第百十三幕 ~エリスの嘲笑~

 オリビア率いる小隊一行は予定通りアムルの村で一泊後、およそ一週間ほどかけてコスリア、サン・カレアの街などを経由し、大陸中央へと足を延ばしていた。

 現在いるザルシュベルク街道からすぐ北の森を隔てた先には、三百年の歴史を持つ国。幼王アレン・カイム・スワランが治めるスワラン王国である。


 今やスワラン王国は帝国の属国と成り果て、ファーネスト王国とは敵対関係にあった。余計な接触を避けるためスワラン王国を大きく迂回するよう南に進路を取りながら、やがて小隊一行は風光明媚な景色が広がるラゴという小さな村に到着。そこで休息を取ろうとしたのだが────。


「今出て行けといったのか?」


 到着早々村の代表と名乗った老人の言葉に、クラウディアは眉を顰めた。

 時刻は既に薄暮はくぼの刻を迎えようとしている。地図を見る限りでは、この先に街や村らしきものは見当たらない。野宿は慣れているものの、長旅で人や馬もそれなりに疲労を蓄積している。

 できればここらあたりでしっかりと、それこそ丸一日費やして休息をとらせたいのがクラウディアの偽らざる気持ちだ。とくにアシュトンなどは多分に期待の込められた目をこちらに向けてくる。だからといって強引に居座り、村の者たちに迷惑をかけるわけにもいかなかった。

 老人は強張った表情を覗かせながらも、クラウディアの問いに対して同様の言葉を口にする。


「迷惑というのならもちろん出ていくが……よければ理由を聞かせてもらっても?」


 なにか誤解を生じているのならまだ望みもある。老人は一瞬逡巡する様子を見せた後、ポツポツと話し始めた。


「ご覧の通りここは辺鄙な村です。その甲斐あって戦争が始まっても余計な争いに巻き込まれることなく平穏無事に暮らしてきました。そこにあなた方が突然現れた。正直あなた方のような軍人は争いの元になる」


 老人の口から出た思いもかけない言葉を聞き、クラウディアはさらに眉を顰めることとなる。


「……よく我々が軍人だと気づいたな」


 領外へと出るにあたり、クラウディアたちは王国御用達の商人に偽装していた。当然服装も軍服ではなく、当代の商人が好むようなものを身に着けている。さらに剣などの武器類は馬車内に隠されているので、それこそ中を詳しく検めなければわかりようがない。

 しいて言えば腰にナイフを帯びてはいるが、あくまでも護身用レベル。旅人なら誰しもが携帯する類のものである。

 クラウディアが抱いた疑問は、次の老人の言葉ですぐに明らかとなった。


「あなた方がどこの国の軍人さんかは知らないし知りたくもありませんが、軍人さんが纏う独特の空気感というものは、我々のような弱者の目からは到底隠しきれるものではありません。とくにこの地域は争いが絶えず続いている。自然軍人さんを見かける機会も少なくないということです」


 大陸中央から西にかけて多くの小国が存在する。そして、それぞれの国がそれぞれの思惑の下に激しく矛を交えていると聞く。実際領外に出てからここにくるまでに、比較的最近と思われる戦場の跡らしき場所がいくつか見つかった。それゆえ老人の言葉を疑う余地はない。

 老人はさっさと出て行けと言わんばかりに深く頭を下げてくる。集まっていた村人たちも老人の仕草を見て、ぎこちなく頭を下げ始めた。どうやら取り付く島はないらしい。

 クラウディアは内心で嘆息した。


「閣下、説得は無理そうなので今日は野宿となります。よろしいですか?」


 老人に聞こえないよう耳打ちすると、オリビアは頷き口を開いた。


「私は全然構わないよ。野宿も好きだし」

「ご不便をおかけして申し訳ありません」

「別にクラウディアのせいじゃないし」


 なんら気を悪くした様子はなく、オリビアは出発の下知を下す。老人がホッと肩を撫で下ろしたのもつかの間、突然ギョッとした顔を覗かせた。


「どうした?」


 不審に思ったクラウディアが声をかけるも、老人はまるで巌のように固まってしまっている。それは老人だけではなく、村の者たちも同様の反応を示していた。


「ねぇねぇお母さん。あれって山賊って人?」


 そんな中、ひとりの幼子が母親の袖を引きながら無邪気な笑顔で言う。母親は襲いかからんばかりの勢いで幼子の口を慌てて塞いでいると、


「違うな坊主! 俺たちは気高き暁天ぎょうてん傭兵団だ!」


 クラウディアが振り向いた視線の先には、いつの間にか野獣のような男たちが村の入り口を塞いでいた。それぞれがにやついた笑みを浮かべながらこちらを見ている。そのなかでも武骨な鎧を着た男が近づいてくると、村人たちは我先に建物の中へと逃げ込んでいった。


「ほれみたことか!」


 一転して恨みがましい顔をクラウディアに向けた老人は、たどたどしく杖をつきながら逃げ出していく。その様子を男は楽しそうに見やりながらクラウディアの前で足を止めた。


「ほほう。近くで見ると随分と精悍な面構えをした商人共だな。しかもこの辺りじゃ滅多にお目にかかれねぇ美人揃いときてやがる。こりゃ楽しめそうだ」


 男はクラウディア、エリス、そして最後にオリビアを見やった後、満足気な表情で頷いた。


「……我々になにか用か?」


 訝しげに尋ねたクラウディアに対し、男は表情を真剣なものへと変える。


「なに。こんな場所で護衛もつけず商人がうろついていると部下から報告を受けてな。このあたりはリーン王国とカルネラ王国の連中がしょっちゅう小競り合いを起こしているいわば危険地帯だ」

「そうなのか?」

「そうなのかって、商人のくせに随分とのんびりしているな。普通は……あぁ。その獅子の紋章。お前らファーネスト王国の商人か。じゃあこの辺の事情に疎くても仕方がないか」


 男は馬車の扉に描かれた紋章に気づくと納得顔で頷いていた。


「それで、何用だ?」

「悪い悪い。話が逸れちまったな。単刀直入に言うが俺たちを護衛として雇わないか?」

「お前たちを?」

「ああ。どこに向かうかはこれから聞くとしてだ。俺たちとなら奴らの争いに巻き込まれることなく安心して旅が続けられるぜ。──っと、そう言えば自己紹介がまだだったな。俺はこの暁天傭兵団を率いる団長ジェリスだ」


 そう言って男は小鼻をうごめかす。男の左手は腰に帯びた剣を軽妙に弄んでいる。かなり使い込まれている様子からして、腕にはそれなりの自信があるといったところだろう。


「有り難い話ではあるが、我々は特段護衛を必要としていない。すまないがほかの商人でもあたってくれ」


 軍人が傭兵に護衛されるなど笑い話にもなりはしないとクラウディアは内心で苦笑した。


「それは断るということか?」

「それ以外のことを言ったつもりはないが?」

「こいつは驚いた……。今の状況がわかっているのか? 戦いに巻き込まれる確率が高いと俺は言っているんだぞ?」


 ジェリスは意味がわからないと言わんばかりに首を大きく横へ振った。


「状況は理解したつもりだ。それでも護衛の必要はない。そもそもお前たちは傭兵なのだろう? 商人の護衛をして小銭を稼ぐよりも、戦場に出た方が余程稼げると思うが?」


 国に属することなく金次第で戦場に赴くのが傭兵である。こんなご時世である以上、傭兵はどこの国でも引く手あまただろう。腕に覚えがあるのならなおさらだ。常に死を傍らに置くのと引き換えに、彼らの懐はそれなりに温まるはず。

 半ば当たり前のクラウディアの質問に、しかしジェリスは顔を歪ませて舌打ちをする。直後、エリスが笑いながらジェリスの前へ颯爽と歩み出た。


「──女、なにをそんなに笑っていやがる?」

「だってそりゃおかしいに決まっているでしょう。あんたら暁天の傭兵団、だっけ? ご大層な名前を掲げてはいるけど私が推察するに、どこの国も雇ってくれない傭兵崩れでしょう。大方雇われてもすぐにもめ事を起こすとかで?」

「…………」

「図星だった? ごめんねー。それでも腕が確かなら雇われるはずだけど、実際はそこまででもない。だから商人の護衛ってのはわかるけど……ププッ。私ならプライドが邪魔してとてもじゃないけど無理ー!」


 相手をけなすことにかけては右にも左にも出る者がいないであろうエリスは、恥ずかしいとばかりに顔を両手で覆っている。


(平時であれば傭兵が商人の護衛をするのはそこまで珍しいことでもない。にもかかわらず、ここまで相手を蔑むことができるとは。いやはやなんとも恐ろしい……)


 これがクラウディアの素直な感想であった。

 目に鈍い光を帯び始めたジェリスは、口調も恫喝的なものへと変化していく。


「さっきから随分と言いたい放題言ってくれるな。なにを勘違いしているのかしらねぇが、この護衛は強制だ。お前たちに選択の余地なんか初めからねぇんだよ」

「も、もう駄目! 笑い死ぬからそれ以上言うのは止めて!」


 腹を抱えて笑うエリス。涙目であることからも本当におかしくて仕方がないのだろう。アシュトンやほかの兵士たちなどは畏怖を込めた表情でエリスを見つめている。

 唯一エヴァンシンだけが盛大に頭を抱えていた。


「てめぇ!!」

「はぁはぁ……わかったわかった。じゃあこうしよう。私と団長のジェリス、だっけ? サシで剣の勝負をするの。私が負けたら馬車の中にある荷物はぜーんぶあんたたちに渡す。本当はそれが目的で近づいてきたんでしょう?」

「エリス! なに勝手なことを──」

「オリビアお姉さま! それでいいですよね?」


 クラウディアの言葉を遮ったエリスは、オリビアに嬉々として許可を求める。当然許可など出すはずがない。そう思っていたクラウディアをあざ笑うかのごとく、オリビアは一も二もなく承諾した。

 しかも、満面の笑顔付きでだ。


「あぅん。さすが愛しのオリビアお姉さまぁ。私のことがよくわかってるぅぅん」

「閣下ッ!」

「あはは。大丈夫だって。クラウディアも結果はわかっているでしょう?」

「それはまぁそうですが……」


 チラリとジェリスに目をやると、憤怒の表情で腰の得物を抜き始めた。


「どいつもこいつもふざけやがって。俺が商人なんぞに後れを取ると本気で思っているのか?」

「もしかして一対一だと怖い?」


 両手を組みわざとらしくジェリスを心配そうに見つめるエリス。どこまでも人を小馬鹿にしたような態度だが、相手の心を乱すのは兵法上理に適っている。

 エリスがそこまで考えているとも思えないが。


「んなわけあるかッ‼ ──てめぇら‼ わかっていると思うが余計な真似はするんじゃねぇぞッ‼」


 ジェリスの言葉に部下たちはぎこちなく頷く。こちらもそうだが意外な展開に彼らも戸惑っているのだろう。


「ねぇ知ってる? 弱い犬ほどよく吠えるっていう言葉?」


 言ってエリスは、エヴァンシンに剣を取りに行くよう命じていた。


「どこまでも口のへらねぇクソ女だ。あとで存分に楽しんでやろうと思っていたが、お前だけは是が非にでも俺の手で直接殺さねぇと気がすまねぇ」

「はいはい。小物臭漂うセリフだね。わかったからいつでもどうぞ」


 エヴァンシンが慌てて投げ寄越した剣をエリスは無造作に掴む。そして、空いているもう一方の手でジェリスを軽く手招きした。

 完全に相手を侮った態度ではあるが────。


「クソッ! なんでだ! なんでたかが商人相手にこうなるッ!」


 エリスは足を大股に開き、腰に両腕を据えている。エリスの足下には膝を折り、苦悶の表情を浮かべるジェリスがいた。


「そんなの簡単な理屈じゃない? 私があんたより強かった。ただそれだけのことでしょう」


 血に塗れた拳を何度も地面に叩きつけるジェリスに向かって、エリスはまるで虫けらでも見るかのような目つきで淡々と告げていた。


「……おい! てめぇらさっきからなにぼさっと見てやがるんだッ! さっさとこの女をぶち殺せッ!」

「あーあ。それ言っちゃうんだ。さすがにそこまでくると笑えないんだけど」

「そんなの知ったことかッ! この際だ。てめえらまとめてぐちゃぐちゃにしてやるぜッ! ──おいどうした! さっさと殺れやッ!」


 ジェリスの言葉に部下たちは互いに顔を見合わせると、誰ともなくこの場から立ち去り始める。ジェリスは慌てて部下たちを引き留めるが、彼らが戻ってくることは終ぞなかった。


「あ、あいつらどうして……?」

「あんたの部下──元部下と言ったほうがいいのかな? 余程あんたより状況判断ができてるってことでしょう。──さてと。じゃあとどめといきますか」


 ジェリスの首筋に向けてエリスは切っ先をあてがう。ジェリスは泡を食って両腕を上げた。


「ま、待て! 俺はこのあたりの地理には詳しい。俺を案内係としてこき使ってくれ。お前たちも無用な争いには巻き込まれたくないだろ?」

「……形勢が悪くなった途端命乞いをする人間ってほんと反吐が出る」


 吐き捨てるように言った後、ジェリスの首筋を問答無用で切り裂くエリス。ジェリスは血の泡を噴きながら体を痙攣させ、そのまま仰向けに倒れ伏した。


「終わったみたいだね。じゃあ出発しようか」


 オリビアがなんでもないように再び出発の下知を下す。

 エリスだけが「はあーい」と蕩けるような声で応じていた。



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こちらの新作もよろしくおねがいします

【殲滅のデモンズイーター】

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