第百九幕 ~死の森~ 其の弐

「ふむ。死神と呼ばれる少女か……」


 フェリックスの話を聞いたラサラは、此度の戦争が勃発して以降漠然と感じていた不安と、死神と呼ばれる少女がなんとなく重なったような気がした。言葉にすると難しい。それでもあえて言うのであれば、デュベディリカ大陸全土を闇で包み込むようなそんな漠然とした不安。


 三百年という長き時を生きるラサラが知る限り、過去死神の異名で呼ばれた者たちは数人ほどいた。そのどれもが戦場で類まれなる武勇を示し、相手を恐怖に陥れたからに他ならない。言ってみれば死神とは強者のみに許された称号である。


 しかしながら今回の死神を冠する少女はそのどれもと違う気がする。そもそも阿修羅アスラと双璧をなす深淵人しんえんびとからして単純な強者とは訳が違うのだ。そして、尽きることのないこの不安。

 実際伝え聞く話だけなのでなんとも言えないが、阿修羅と深淵人の実力はほぼ互角だとラサラは見ている。それでもフェリックスが死神なる少女を最大限に警戒する理由。


(もしかすると小僧もまた、死神少女の先にある漠然とした不安を本能的に感じ取っているのかもしれない。真の強者は危険察知能力も並のそれではないからな)


 戦衣装で身を固めたフェリックスを見つめながらラサラはそう思った。


「帝国にとってオリビア・ヴァレッドストームは最大の障害です。彼女を止めなければ帝国による大陸統一は考えられません」


 真剣な表情でフェリックスは言う。ただひとりの少女によって大陸統一が阻まれる。他人が聞いたらさぞ大袈裟な言いようだと思うことだろう。ラサラとてフェリックスの言葉でなければ一笑に付していたかもしれない。逆に言うとその程度にはこの気骨ある若者を信用していた。


「さすがの小僧でも深淵人しんえんびとが相手では慎重にならざるを……ちょっと待て。今オリビア・ヴァレッドストームと言ったか?」

「はい。言いましたがそれがなにか?」


 不思議そうな表情を浮かべるフェリックスを横目に、ラサラは沈殿している記憶の糸を手繰り寄せながら口を開く。


「いや、ヴァレッドストームという家名に覚えがあってな。確かあの本に……」


 部屋の中央に置かれた卓の向かい側、壁に並べられた本棚のひとつにラサラは左手をかざす。間を置かずカタカタと本棚が小刻みに揺れ始め、整然と並んでいる本の中から一冊の本がスッと抜き出されていく。黒い装丁の本は空中をフアフアと漂いながらラサラの手元へ吸い寄せられた。


「──闇の一族」


 横から覗き込んだフェリックスが意味深長にタイトルを読み上げる。ラサラは構うことなく手早にページをめくり、そして目を走らせながらフェリックスに語りかけた。


「百五十年以上昔の話じゃ。ファーネスト王国の中でも忠義が厚いことで知られていたヴァレッドストーム家がとある嫌疑をかけられてな。半月を経たずして屋敷を王国軍の軍勢に囲まれた挙句、火を射かけられて皆殺しにされたのじゃ。当然ヴァレッドストーム家は断絶。歴史からその姿を消したというわけじゃな」


 目を向けると、形の良いフェリックスの眉が眉間へと吸い寄せられていた。


「忠義の高いことで知られる一族が半月を経たずに皆殺し。随分と違和感がある話のように私には聞こえてしまうのですが……当時はそれが当たり前だったのでしょうか?」

「いや、普通に考えれば小僧の言う通りじゃ。もしかすると時代そのものが後押ししたのかもしれんな」

「時代が後押しですか? 百五十年前だと光陰暦八百年……なるほど。いわゆる暗黒の時代ですか……」


 フェリックスは沈黙した。


 光陰暦八百年代。帝国を除く各国はまるでなにかに取り憑かれたかのように戦争に明け暮れていた。大地は常に死臭が漂い、弱き者たちは一欠けらのパンですら口にすることができず早々に命のともしびを消していく。それは大国であるファーネスト王国とて例外ではない。実際当時を生きてきたラサラにとっても目を背けてしまうほどの有様であった。


「──ですがそれを差し引いても皆殺しなど尋常ではありません。いったい彼らはどんな嫌疑をかけられたのですか?」

「うむ。その嫌疑とはな、いにしえの時代に凄まじい戦闘能力で国の転覆を謀った少数部族、本のタイトルでもある闇の一族の末裔と目されたのじゃ。とある密告によってな」

「古の時代に凄まじい戦闘能力……まさか⁉」


 ラサラは不敵な笑みでフェリックスを見やり頷いた。


当然阿修羅アスラ末裔まつえいたる小僧ならピンとくるだろう。そう、闇の一族とは十中八九深淵人を指している。勝者が敗者の名を貶めるのはよくあることじゃ。本によると謀反の証拠が終ぞ出てこなかったと記されているが、結局のところ嫌疑そのもの自体は間違っていなかった。たとえヴァレッドストーム家に王家を害する気持ちが一片もなかったとしてもな」

「……そしてその密告を行ったのが阿修羅アスラ、ですね」


 フェリックスは深い溜息を落として近くの椅子にドカリと座った。


「それで間違いないじゃろう。阿修羅アスラがなにゆえヴァレッドストーム家イコール深淵人の末裔と見破ったのかは謎だが……ひょっとするとそのあたりの事情は小僧の仲間が知っているのかもしれないな」

「別に私は彼らのことを仲間とも思っていませんが」


 怫然としたフェリックスの姿を見て、今さらながら己の身に流れる暗殺者の血と、今に至ってもなお暗殺を生業とする阿修羅アスラを激しく忌み嫌っていることを思い出し、ラサラは己の迂闊さに苦笑した。


「ま、なんにせよ当時のファーネスト王国に、阿修羅アスラがどの程度の影響を及ぼしていたかはわからぬ。それでも忠義の厚いヴァレッドストーム家を簒奪者として追い落とすことくらいの影響力はあったのだろう。さすがにどこの馬の骨ともわからん者の讒言ざんげんを聞くとも思えんからな」


 どんな国であろうとも多かれ少なかれ闇の部分を抱えている。綺麗ごとだけでは国が立ち行かないのもまた事実だからだ。阿修羅アスラは稀代の暗殺者集団。決して表沙汰にできない、それこそ露見した場合国の存亡に関わるような仕事も多く携わってきたと聞く。

 それは裏を返せば知り得た情報を決して外部に漏らさないという確固たる信頼の証。それだけに彼らの密告は無視できないものがあったのだろうとラサラは推察した。


「それは……それはそうかもしれません」


 なにかを思い出したかのようにフェリックスは苦々しい表情を浮かべた。


「そして偶然あるいは必然か。オリビアが断絶したヴァレッドストーム家を引き継いだ」

「ラサラ様はどちらだとお思いですか?」

「わしは必然だと思っておる。さすがに偶然と考えるのは色々と無理があるからな」

「私も同感です」


 フェリックスは間を置かず頷いた。


「だが気にすべきところはそこではない。問題はこの部分、業火に包まれ焼け落ちていく屋敷の窓から黒い靄の塊が飛び出したという下りじゃ」


 ラサラは開かれたページを手の甲ではたき、フェリックスの眼前に突きつけた。


「黒い塊……はっ⁉」

「そうだ。先ほどの話の中で小僧は言っていたであろう。オリビア・ヴァレッドストームの得物である漆黒の剣は黒い靄を漂わせると。どうにもわしはこの二つが結びついているように思えて仕方ないのじゃ」

「……結びついていると仮定して、ラサラ様はどう考えているのですか?」


 ラサラはしばらく顎を撫でた後、フェリックスを見据える。


「最初に話を聞いたとき、わしはオリビアを魔法士だと思った」

「なんですって⁉」


 驚き椅子から立ち上がろうとするフェリックスをラサラは強引に押し戻す。なにか言いたげな視線を向けるフェリックスに、ラサラは機先を制して話を続ける。


「せっかちな小僧じゃ。話は最後まで聞け。初めはそう思ったがどうもしっくりとこない。感覚的ゆえ言語化するのは難しいが。──実際オリビアは帝国との戦で魔法を使っていないのだろう?」

「ええ、使っていれば必ず報告に上がるはずですから」


 フェリックスは当然だと言わんばかりに強く頷いた。では一旦その話を置いておくとし、改めて己の考えを語って聞かせた。


「わしは先ほど黒い塊と黒い靄が結びつくと言った。相違ないな?」

「確かにラサラ様はそう言いました」

「じゃがな。結びつきはするものの、実際は似て非なるものだと思っている。戦場で使う剣と儀式に用いる剣の違いとも言えばわかるか?」


 我ながら説明が下手だと思いながら尋ねると、案の定フェリックスは曖昧な返事を返してくる。


「ここからはわしの単なる想像だと思って聞いてほしい」

 

 ラサラは一旦息をつき、再び言葉を紡いでいく。


「死神を想起させるヴァレッドストーム家の紋章と、黒い靄を漂わせる漆黒の剣。そして、焼け落ちる屋敷の窓から飛び立ったという謎の黒い塊。これら全てを繋ぎ合わせると、ヴァレッドストーム家の背後には人知を超えた何者かが存在しているのかもしれん」


 言いながらそれこそが数年来の不安を掻き立てる元凶なのかも知れないとラサラは思った。


「まさかとは思いますが、ラサラ様は本物の死神が存在するとでも言いたいのですか?」


 フェリックスの口調には明らかに呆れとも取れる感情が垣間見えた。


「では逆に聞く。いないとする根拠はどこから出てくるのだ?」

「どこからもなにも死神は想像上の産物です」


 口の端を僅かに上げたフェリックスに対し、ラサラはあからさまに鼻で笑って応える。そして、開け放たれた扉に向かって指をさした。


「では改めて聞く。妖精シルキー・エアのことはどう説明する。小僧が当たり前のように接しているあれとて巷では想像上の生き物だ」

「…………」

「さらに言えば、あの犬っころとて一部の者たちからは神獣などと崇め奉られている。今でこそほとんど絶えてしまったが、古の時代は力を持った者たちが当たり前にいたと聞く。無論阿修羅や深淵人とて例外ではない。ならば死神が存在したとしてもそれほどおかしくはあるまいて」

「……今は反論するほどの材料がありませんね」

 

 フェリックスは疲れたように椅子にもたれかかり、自嘲気味な笑みを漏らした。


「ま、散々死神とは言うたが、ほかに表す言葉がないから便宜上そう呼んでいるに過ぎない。わしが思うに文明は進んだが、その代償として元々は誰しもが持っていた力を失ったのかもしれんな」


 いずれは己も力を失うのかもしれない。現に昔と比べたら魔法士の数は激減しており、巷では想像上のものとして語られつつある。だが、それをラサラは悲しいことだとは思わなかった。全ては時の流れゆくままである。


(延命の法で延ばしに延ばした枯れ木のごときこの命もそろそろ尽きる頃だろう。果たしてわしはこの若者にいったいなにを残してやれるのか……)


 瞼を下ろし黙するフェリックスの美しき顔を、ラサラは飽くことなく見つめ続けた。

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