第百六幕 ~胎動~

王国軍 ガリア要塞 第二会議室


 テラスに舞い降りた小鳥たちが互いのくちばしを合わせながら、まるで歌でも歌っているような鳴き声を奏でていた。立ち並ぶ木々には王国南部にのみ生息が確認されている固有種、尾長縞リスたちがその特徴を活かした長い尻尾を枝に括り付け、器用にぶら下がりながら桃仙(とうせん)の種を食べている。開かれた窓から吹き抜ける熱の籠った風が、同時に青々とした香りを室内に運んでいた。


 聖翔軍とストニア軍の戦いから一ヶ月余りが経過したころ。本格的な夏の到来を感じさせるガリア要塞第二会議室にて、新設された第八軍による軍議が開かれた。


「これから軍議を始めるよー。みんな座って座ってー」


 なんとも緊張感のない声で着座を促すのは、五階級特進により少将に任じられたオリビア・ヴァレッドストーム。長いファーネス王国の歴史において最も若い将軍であり、さらには一軍を率いる総司令官でもある。

 彼女が長卓の上座に座ると、改めて第八軍に配属された将校たちも左右に分かれ、きびきびとした動作で椅子に腰かけ始めた。この場に集ったのは以下の八名である。


 第八軍総司令官 オリビア・ヴァレッドストーム少将。

 副官 クラウディア・ユング中佐。

 軍師 アシュトン・ゼーネフィルダー少佐。

 ガウス・オズマイヤー少尉。

 ジャイル・マリオン准尉。

 ルーク・クロスフォード大尉。

 エリス・クロスフォード准尉。

 エヴァンシン・クロスフォード中尉。


 第八軍の総兵士数は三万五千。

 これは現在の王国軍において、第一軍の次に戦力を有することを意味している。どれだけ王国軍首脳部が第八軍、ひいてはオリビアに期待を寄せているかがわかるだろう。


「第八軍最初の任務は──帝国領侵攻作戦である」


 一瞬躊躇するように口を開いたクラウディアに高揚感はなかった。王国南部及び北部を帝国軍から奪還したのは喜ばしいことだが、同時に多大なる犠牲も出している。守っているばかりでは事態が好転しないのは理解しているものの、帝国に比べれば王国軍に余力はないのも事実。それでも兵数だけはそれなりの数を揃えたが、蓋を開ければ新兵のなんと多いことか。それだけに万が一侵攻作戦が失敗に終わった場合、逆撃を受けるのは目に見えている。


 それは居並ぶ彼らもわかっているのだろう。一部の者たちを除き困惑気な表情を浮かべている。さらに最終目的が帝都オルステッドの征圧だと伝えると、たまらず声を上げる者がいた。隻眼の大男、ガウス・オズマイヤー少尉である。


「いやいやいや。さすがに無理があるでしょう。周知のことですがあえて言いますぜ。帝都オルステッドにはかの有名な蒼の騎士団が駐留しています。彼らの実力は未知数ですが帝国最精鋭の看板は伊達ではないでしょう。さらに言えば我々に敗れたとはいえ、紅・天陽の両騎士団もいまだ健在です。当然我々の侵攻を阻んでくるでしょう。それら全てを第八軍のみで相手にしろと? 死ねと言っているのと同じだと俺は思いますが」


 そう言い切ると、ガウスは自嘲気味に笑う。すると、天陽の騎士団との戦いでオリビアの影武者を務めたエリスから嘲笑めいた言葉が投げかけられた。


「はっ! 図体ばかりでかくてなっさけないわねー。男なら俺に任せとけくらい言いなさいよ。それに誰が第八軍を率いると思っているの? 絶世にして至高の美少女、オリビアお姉様よ。オ・リ・ビ・ア・お・ね・え・さ・ま! 三騎士団は当然として、たとえ敵が女神シトレシアであったとしても全く問題ないに決まっているじゃない」

「女神シトレシアってお前なぁ……」


 ガウスの呆れかえった視線を一顧だにせず、陶然とした表情をオリビアに向けるエリス。そんなエリスに向かって、隣に座っているジャイルが感無量といった感じで何度も頷き始めた。


「全くもってエリスの言う通りだな。オリビア隊長ならどんな困難でも必ず打ち破ってくれる。なぜならデュベディリカ大陸最強の戦乙女だからな。なんなら地上に舞い降りた天使と言ってもいい」


 エリスは色気のある視線をジャイルへと向けた。


「……ふーん。確かジャイル、だっけ? オリビアお姉様のことをそこまでわかっているなんて中々見どころがある男じゃない。気に入ったわ」

「ああ、中々どうしてエリスもやるな」


 二人は同時にニヤリと笑みを浮かべ、どちらともなく握手を交わす。その二人の様子にエリスの兄であるルークは呆れた表情を向け、弟であるエヴァンシンは頭を抱えていた。


(また面倒くさい二人が意気投合したものだ。これは先が思いやられるな)


 クラウディアが内心で嘆いていると、盛大に溜息を落としているガウスが目に映る。顔に似合わず意外と苦労性なのかもしれない、そうクラウディアは思った。

 ちなみに渦中の人物であるオリビアは、


「ねぇ。まだかな? まだかな?」


 と体を振り子のように揺らしながらワゴン台に置かれている白磁器のティーポットをジッと見つめていた。


「……そろそろ頃合いですね。本日の茶葉はレイグランツを使用しています」


 きびきびとした口調で答える女性はガリア要塞の裏方の一切を取り仕切るメイド長、マリエッティ・コンテニュである。綺麗に整えられた白磁の髪に、しわひとつ見当たらない紺色を基調としたシンプルなロングドレス。銀縁メガネの奥から覗き見えるくぼんだ瞳は鋭い光を帯びている。糸で釣り上げられたかのごとく背筋をシャンと伸ばした姿といい、とても七十を超えた女性には見えなかった。あのオットーが一目置くことも頷ける。


 彼女は実に優雅な所作でティーポットを手に取り、机に整然と並べられたティーカップに向けて黄金色の液体を注ぎ込んでいく。ほのかな湯気が立ち昇り、会議室に心地良い香りが漂う。オリビアは「ほうっ」と熱い吐息を漏らしていた。


「レイグランツの茶葉は時間を置くと深みとコクが出ますので、二杯目はミルクを入れて召し上がると格別です」


 言いながら銀色に輝くミルクジャグをティーカップの隣に置くと、オリビアは蕩けるような視線を向けていた。その様子からしてもジャイルとエリスの会話は言うに及ばず、最初から話を聞いていなかったことが窺える。多少の呆れをもってオリビアを見つめるクラウディアに、ルークが数度の咳払いと共に話しかけてきた。


「クラウディア中佐、我々は軍人です。戦うことそれ自体に異存はありませんが、もう少し具体的にお話ししていただけますか? 私もガウス少尉の懸念は至極当然のことだと思いますので」


 クラウディアは頷いてみせた。


「言葉足らずだったのは謝る。今から詳細を説明するので各自よく聞いてほしい」


 エリスやジャイルの横槍が入ったことにより話が逸れてしまったが、今まで防戦一方だった王国軍が帝国領、それも帝都オルステッドに侵攻しようというのだ。当然第八軍のみが動くわけもなく、第一、第二、第七軍を加えた総勢十二万を超える一大反抗作戦である。生命線でもある輜重兵を含めれば、実に総兵士数の八割が動員されることを意味していた。


 まず作戦の第一段階として、第一軍と第七軍がキール要塞に向けて進撃を開始する。当然帝国軍はキール要塞を死守すべく、天陽の騎士団を主軸とした軍が迎撃に打って出るだろう。だが、王国軍にキール要塞を奪取する意図はない。派手に戦争を行うこと、それ自体が目的である。つまりは規模を極端に大きくした陽動だ。

 そうやって帝国軍の目がキール要塞に向けられている間に作戦の第二段階を発動。本命である第二、第八軍がアストラ砦に向けて進撃を開始する。第二軍は露払いであり、できるだけ第八軍を無傷な状態のまま帝都オルステッドに向かわせるのを主任務としている。

 そして作戦の最終段階。第八軍は帝都を守護する蒼の騎士団と対決。これを打ち破り皇帝の座する居城、リステライン城を征圧すれば任務完了だ。


 改めてこの未曾有な作戦計画を聞かされた将校たちは互いに引き結んだ顔を見合わせていた。


「そして今回の作戦は神国メキアとの共同戦線でもある」


 最後にクラウディアがそう伝えると、場が一斉にざわめき始めた。今まで敵対する国はあれど、ファーネスト王国に味方する国は現れなかった。しかし、それも当然のことだとクラウディアは思っている。


 終わりの見えない戦乱がようやく終局に向かっていた群雄割拠の末期。当時のファーネスト国王であり現国王アルフォンスの曽祖父にあたるラファエル・セム・ガルムンドが、今の帝国と同じく大陸全土を手中に収めんがため各国に軍隊を派遣。侵略を推し進めたという歴史がある。その爪痕は五十年経過した現在も色濃く残り、アースベルト帝国が大陸統一を宣言した折には率先して協力を申し出た国もあると聞く。それだけに彼らの反応は至極もっともだと言えた。


「神国メキアとは聖イルミナス教会の総本山があるあの神国メキアでしょうか?」


 最初に口を開いたのはエヴァンシンだった。実に訝しげな表情で疑問を呈してくる。それに対しクラウディアは、軽い頷きをもって答えとした。


「王国側が協力を打診したのですか?」

「いや、神国メキア側から申し出があったらしい。詳しい経緯は私も聞かされていないのでわからないが」


 クラウディアがありのままを伝えると、エヴァンシンばかりでなくほかの者たちも複雑な表情を見せ始める。エヴァンシンが口にした通り、神国メキアは聖イルミナス教会の総本山、アルテミア大神殿が鎮座する国として知られているが、遥か西方に位置する小国ということもあって国そのものの情報は乏しい。

 クラウディアの知識も精々が神国メキア産の鉱物は高値で取引されているといったことくらいだ。彼らの態度は推して知るべしというところであろう。


 そう思いながらクラウディアは忌々しい記憶を思い出す。亜麻色の髪に整った顔立ち。名を、そして身分を偽り飄々とした態度でオリビアに接触してきた大胆不敵な男のことを。後から神国メキアの人間だったとオリビアに教えられたときは単純に驚いたものだが、今こうして神国メキアが公式に接触してきたことを踏まえると、諜報活動の一環と捉えることができる。


「わが軍は帝国軍に比べ人員、物資などあらゆる面において余裕がありません。加勢はもちろんありがたいのですが……その……」


 なんとも歯切れの悪いルークの言葉を補うようにエリスが口を開いた。


「兄貴は小国の軍隊ごときが本当に役に立つのかと言いたいんでしょう? 下手に他軍が絡むとこちらの連携が崩される可能性も出てくるし。糞真面目な兄貴の考えそうなことで」


 最後は皮肉めいた笑みを浮かべるエリスに、ルークはなにか言いたげに唇を揺らすも、結局は不承不承と言った体で頷いた。エリスの言は正鵠を射ており、多分にそういった側面もあるにはあるが、


「ルーク大尉の懸念に関してはおそらく問題ないと私は思っている」


 クラウディアがそう言うと、ルークがすかさず問うてきた。


「問題ないとはどういうことでしょう?」


 クラウディアは手元の資料に目を落とす。


「今から一ヶ月ほど前の話だが、隣国のストニアが神国メキアに攻め入ったらしい」

「帝国の属国となったストニアが神国メキアに? ……あの二国間に戦争をするほどの因縁があったとも思えません。随分とキナ臭い話ですな」


 しきりに顎を撫でつけながら視線を宙に漂わせるガウスを尻目に、クラウディアは頷きつつも話を続けていく。


「ああ、私もそう思う。どういう意図かは知らないが背後で帝国が暗躍しているのは間違いないだろう。だが問題はそこではない」

「と、いいますと?」


 ガウスが口を開くより先にエリスが聞き返してきた。


「問題は聖翔軍──神国メキアの軍隊は聖翔軍というらしいが、六万からなるストニア軍に対し、僅か半数の兵でもって返り討ちにしたそうだ。しかもたった半日のことらしい」


 それが意味するもの。すなわち神国メキアは小国ながらも精強なる軍隊を有しているということだ。クラウディアがそう付け加えると室内が水を打ったように静まり返る。それぞれがなにかしらの思いにふけっているようだ。

 言葉にすれば易いが、実際二倍の敵を打ち払うのだけでも容易なことではない。それが僅か半日ともなれば空恐ろしいものをクラウディアは感じてしまう。戦場に身を置くものであればある意味当然の感情だ。


「──それは実に頼もしい限りですが、なんの見返りもなく協力を申し出るとも思えません。そのあたりはどうなのでしょう?」


 今まで黙って話を聞いていたアシュトンが口を開いたことで、皆の視線が彼に集中していく。数々の軍略をもって第七軍の勝利に大きく寄与してきた彼の言葉は、パウルが稀代の軍師と評したことも相まって、軍内部における存在感を大きく増していた。


(最も当の本人はかなりの戸惑いを見せているようだが)


 こちらを射貫くような蒼氷色の瞳を向けてくるアシュトンへ、クラウディアは咳払いをひとつした。


「当然なにかしらの要求はあったと思う。だがこうして共同戦線が決まった以上、過度の要求ということでもなかったのだろう。それがなにか気になるのか?」

「そうですね……気にならないと言ったら嘘になります。なぜ今この時期にファーネスト王国に味方しようと考えたのか……オリビアはどう思う?」


 アシュトンと同じく黙って──というよりは紅茶を飲むことに勤しんでいたオリビアは、ティーカップを静かに置くと、こともなげに言った。


「もちろんなにかしらの意図はあると思うよ。アシュトンの言う通り、今になって手を差し伸べてくるのはちょっと不自然だからね。要求そのものが擬態の可能性も十分に考えられるし」

「なるほど。要求そのものが擬態か……」


 アシュトンが遠くを見つめるように目を細める。


「うん。真なる目的を悟らせないためにね。兵法でもよく使う手だよ」

「……それがなんなのか見当はつくか?」


 アシュトンの質問に皆の視線がオリビアに移り変わっていく。オリビアはというと、困ったように頬をポリポリと掻いていた。


「さすがにそれはわからないよ。ただなんにしても警戒はすべきだと私は思う」


 最後はそう締めくくったオリビアに、アシュトンは黙って頷いた。


「そのことと関連があるかは不明ですが、近々レティシア城にて盛大な晩餐会が催される予定です。その──」

「それがどうしたの? この間は祝賀会があったし別に珍しいことでもないよね」


 話の腰を見事に折ったオリビアは不思議そうに小首を傾げる。


「話を最後までお聞きください。その晩餐会にアルフォンス王は賓客として神国メキアの国主を招待したそうです。その国主が閣下の出席を強く望んでいるとの話を聞いております」

「オリビアを?」


 アシュトンの表情が陰るのとほぼ同時に、エリスが勢いよく椅子から立ち上がった。


「西方の小国にまでオリビアお姉さまの名が轟いているなんて最高!」

「ああ、全土にオリビア隊長の名が広まるのも時間の問題だな」


 呆れるくらい呑気な発言をするエリスとジャイルを横目に、クラウディアはオリビアとアシュトンの会話を反芻していた。


(閣下の推測が正しいとすれば、神国メキアの国主がオリビアの出席を強く望んでいること、すなわち真なる目的とやらが閣下そのものにあったとしてもそこに違和感は生じない。むしろヨハンの行動に鑑みればしっくりくる……どうやら閣下の身辺を大いに警戒する必要がありそうだな)


 クラウディアの瞳に淡い黄金の光が宿る。

 その後も軍議は粛々と進み、各々が役割を頭に叩き込んでいく。二時間が経過した後クラウディアが解散を告げ、それぞれが決意を込めた表情で会議室を後にした。


 時に光陰暦一千年。

 運命という名のプレリュード前奏曲は静かにその音色を奏で始める────

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