第百七幕 ~晩餐会~

ファーネスト王国 レティシア城 獅子王の間


 優美なバルバロッサ調のシャンデリアが煌めく獅子王の間において、今宵晩餐会が催された。広間の中央に置かれたいくつもの円卓には、豪勢な料理や高級酒がところ狭しと並んでいる。その周りでは高級将校や豪奢な衣装で着飾った貴族の娘たちが歓談していた。


「うむうむ。皆、楽しんでいるようだな」


 その様子をアルフォンスが満足気に眺めている。久方ぶりに公の場へと姿を見せた王は血色も良く、最近のアルフォンスを知る者には驚きの光景だろう。時折隣に立つコルネリアス元帥と言葉を交わしては、にこやかな笑みを浮かべている。

 それもそのはず。北部の帝国軍を国境線まで追い返し、中央戦線の戦いも勝利した。そして〝第零号作戦〟と銘打たれた今回の一大反抗作戦。防戦一方だった王国が帝国領、それも帝都オルステッドを征圧しようというのだ。


 さらには神国メキアが合力してくれることもあって、アルフォンスの機嫌はすこぶる良かった。それを示すかのように神国メキアのきらびやかな白塗りの馬車が王城に到着すると、アルフォンス自らが嬉々として出迎えたことからも窺い知れよう。


 一方、第八軍初代総司令官に着任したオリビアはといえば、


「やっふぁりおうふゅうりょうりひんがふくるりょうひはおいひいよね」


 目尻を思い切り下げ、蕩けるような表情で料理に舌鼓を打っていた。前回の祝賀会に引き続き今回もオリビアお気に入りの王宮料理人が腕を振るったとのことで、なんなら打ちっぱなしである。今や誰もが王国随一の武勇と認めるところのオリビアは、しかし閣下と呼ばれる身分になった今もまるで行動に変化がなかった。

 円卓の料理が瞬く間に消えていく様に、クラウディアは溜息しかでてこない。


(少しは将軍としての威厳を出してくれるとこちらとしても助かるのだが……)


 十六歳の少女に威厳を求めるのも酷な話だと思わなくもないが、しかしながら部下の手前もある。オリビアの武勇を知ってなお侮る者などいないだろうが、それでも一軍の将となったからには演技だけでもそれらしく見せてほしいのがクラウディアの本音だ。


 以前オリビアにそれとなく促したところ『私の柄じゃないよ』と笑いながら一蹴されてしまった。王城で偶然会ったオットーに上官として接したこともあるらしいが、最後は全力で逃げ出したと言っていた。相手が〝鉄仮面〟の異名をもつオットーとはいえ、どう接したら上官であるオリビアが逃げ出す状況になるのか。クラウディアにはまるで想像つかなかった。


(ま、それも含めて閣下らしいと言ったところか……)


 そう思いながら改めてオリビアを見やる。本当に細い体のどこにあれだけの食べ物が収まるのか、そしてなぜ太らないのか。クラウディアはただただ首を傾げるばかりだ。決して羨ましいなどと思ってはいない。


 そんな今宵のオリビアの装いはというと、黒のドレスに身を包んでいる。祝賀会のときと同様クラウディアが見繕ったものだが、前回のような胸元と背中が大胆に開いたドレスではなく、フリルとピンタックがふんだんにあしらわれた可愛いらしいドレスである。

 オリビアの容貌からすれば少々子供っぽいかとも思ったが、実際着せてみたところ全く問題がなかった。結局のところ絶世の美女とはなにを着せても似合ってしまうものらしい。たとえそれが襤褸ぼろであろうともオリビアなら華やかに着こなすのではないか、とクラウディアに思わせるには十分だった。


「閣下、口の中にものを詰めたまま話をしないでください。それと少しは挨拶をしてください。皆待っていますよ」


 先ほどからチラチラとこちらの様子を窺う者のなんと多いことか。将校は当然として、それなりに家格のある貴族も含まれていた。今や飛ぶ鳥を落とす勢いのオリビアの知己を得ようとの魂胆だろう。貴族社会の常とはいえ、このような状況はクラウディアの好むところではない。最も母であるエリザベートから言わせれば、貴族としての観点がズレているらしいが。


「えー。挨拶はクラウディアが代わりにすればいいじゃない。そういうのも副官の仕事でしょう? 今私はとってもとーっても忙しいから」


 円卓の料理を全て胃袋に収めたオリビアは、別の卓にいそいそと移動しながら言う。そのあとを追いながらオリビアに耳打ちした。


「少しはご自身の立場もお考えください。仮にも閣下は第八軍を統べる将軍なのですから」

「そんなこと言われてもなりたくてなったわけでもないし」


 オリビアは不満そうに口を尖らす。その間も目だけは料理に釘付けだ。


「だとしてもです。そもそも一軍の将とは──」

「あ、来たみたいだよ」


 言葉を遮り、クラウディアの背後を指さすオリビア。振り返ると左右の大扉が厳かに開かれ、目が覚めるような白いドレスに身を包んだひとりの女が姿を現した。


「「「…………」」」


 まるで時が止まったかのような静けさは、しかし一瞬で過ぎ去っていた。広間のいたるところから感嘆とも溜息ともつかぬ声が漏れ聞こえてくる。女は銀の錫杖片手に優美なる微笑をたたえていた。


(あれが神国メキアの国主、聖天使ソフィティーア・ヘル・メキアか……。噂には聞いていたが凄まじいまでの美しさだな。どうして閣下といい勝負だ)


 ソフィティーアはピンヒールを高らかに響かせながら実に優雅な足取りでアルフォンスの下へと近づいていく。その後ろに続くのは麗人然とした白銀髪の女と、精緻な顔立ちに冷たさを滲ませている薄青色髪の女。恰好からしてどちらも軍人であることは間違いなく、無駄のない足取りから察するにかなりの手練れであることが窺えた。


 そして──。


(やはり来たか。よくもまぁ抜け抜けと……)


 最後尾を歩くヨハンを睨みつけていると、こちらの視線に気づいたらしい。軽い笑顔でもって手を振ってきた。オリビアもヨハンに気づいたらしく、屈託ない笑顔で手を振り返していた。


(へらへらとあの野郎! というか閣下もなに呑気に手を振っているんだ!)


 クラウディアがひとり鼻息を荒くしていると、アルフォンスの隣に並んだソフィティーアがおもむろに挨拶を始めた。


「ファーネスト王国の皆様方、お初にお目にかかります。わたくしは神国メキアを統べる聖天使、ソフィティーア・ヘル・メキアと申します。此度はアースベルト帝国の野望を打ち砕かんがため、共に手を携えることを嬉しく思います」


 両手を腹に重ね頭を下げるソフィティーアに割れんばかりの拍手が巻き起こった。挨拶自体はごく当たり障りのないものである。が、圧倒的なカリスマとでも言えば良いのか、ソフィティーアの言葉ひとつひとつに魂を揺さぶるような力が感じられる。現に少なくない将校が戦意を昂らせた表情でソフィティーアの挨拶に聞き入っていた。


「ソフィティーア殿、此度の合力誠に感謝いたします。聞けば帝国の属国と成り果てたストニア公国に痛烈なる打撃を与えたとか。いやぁ。実に頼もしい限りですな」

「アルフォンス様、こう言ってはなんですが帝国の傀儡(くぐつ)ごときなど、我が聖翔軍にかかればどうということもありません。帝国は実に愚かな選択をしました。神国メキアに牙を剥くという愚かしい選択を。今後彼らは身をもってそのことを味わうことになるでしょう」

「い、いやはや。全くもってその通りですな。今後は共に手を携えて帝国の野望を打ち砕きましょう。そしてデュベディリカ大陸に再びの安寧を」

「はい。戦乱の世に終止符をうち、共に平和を成していきましょう」


 凄みのある笑みを浮かべたソフィティーアに、アルフォンスは若干顔を引きつらせながら相槌を打つ。斜陽著しいファーネスト王国ではあるが、経済・軍事力共にまだまだ神国メキアが及ぶところではない。そもそも国の規模が違うのだから当然だ。

 しかしながら統治者としてアルフォンスとソフィティーアを比較した場合、一にも二にも彼女に軍配が上がるのは誰の目から見ても明らかであった。


 乾杯の音頭をとったのちアルフォンスは再び歓談を促すと、自らは率先してソフィティーアを貴賓席へと案内する。再び広間にぎやかな声が交わされる中、オリビアはさらに別のテーブルへと移動していた。どうやら挨拶の最中も手も口も休めることはなかったらしい。


(本当に閣下はマイペース……ん?)


 不意に背後から突き刺さるような視線を感じたクラウディアが振り返ると、二人の女がこちらの様子をジッと窺っていた。オリビアもその視線に気づいたらしく一瞬手の動きを止めていたが、振り返ることなく食事を続けている。


(あの二人か……。閣下の武勇はヨハンから間違いなく聞かされているはず。やはり気になるらしいが、これから共に戦う者に対して向ける目ではないな)


 負けじと見返すクラウディアの下へ、視界に入れたくない人間が飄々と割って入ってくる。気づくと自身の拳が固く握りしめられていた。


「いやぁ。先程は熱い視線を向けられて心臓が張り裂けるかと思いました。クラウディア様は相変わらずお美しいですね」


 亜麻色の髪を搔き上げたヨハンは、開口一番歯の浮くような世辞を並べ立ててきた。

 クラウディアはあからさまな溜息を吐いて言った。


「……よくもまぁ私の前に堂々と姿を現したものだな。知っているか? 貴殿のような男を面の皮が厚いと言うのだ。厚顔無恥とも言うな」

「はは。久しぶりにお会いしたというのに随分とまた辛辣ですね。ですがそういうところもクラウディア様らしく魅力のひとつなのですが」


 笑みをたたえて言うヨハンに、クラウディアは大きな鼻息をひとつ落とした。


「ふん……。それにしても神国メキアの人間だったとはな」

「これで私が帝国の人間ではないとわかってくれましたか?」

「それはすでに承知している。だが気に入らんな」

「おやおや。なにが気に入らないのでしょう?」


 ヨハンはわざとらしく目を見開いてみせる。いちいち小芝居がかった態度に、巨大なる虫唾が背中を走る。やはりこの男は生理的に合わないとクラウディアは強く思った。


「気に入らないことだらけだな。大体──」

「まぁまぁ。そんなに怒ってばかりだと小じわが増えるよ」


 突然割って入ったオリビアに、肩をポンポンと叩かれる。


「小じ……小じわなどありません! 私はまだまだ若いですから!」


 思わず声を荒らげると、オリビアはカラカラと笑う。確かにオリビアと比べたら六つほど年上だが、さすがに小じわができる年齢ではない──と思いたい。


「あはは、ごめんごめん。冗談だから気にしないで。──それにしても久しぶりだね。元気にしてた?」

「ええ、オリビア様も相変わらずお元気そうでなによりです。今日のドレスも似合っていますよ。ただ惜しむらくはオリビア様の魅力にドレスが追いついていないということです」

「うーん。確かこういうのを口が美味しいっていうのかな?」


 人差し指を口元にあて、小首を傾げるオリビア。


「微妙に違います。あれは口が上手いというのです」


 クラウディアがすかさず訂正していると、ヨハンが首を左右に振った。


「お二人とも違います。私は真実を口にしているだけなので」

「それを口が上手いというのだッ!」


 再び声を荒らげるクラウディアの耳に、朗らかな笑い声が聞こえてくる。視線を向けたクラウディアの瞳に、グラス片手に微笑むソフィティーアの姿が映った。


「あらあら。これはまた随分と楽しそうですね。よろしければわたくしもお仲間に入れてはくれませんか?」


(──ッ⁉)


 最重要警戒人物であるソフィティーアの登場に、しかしオリビアは気軽に「いいよ」と返事を返し、そのまま招き入れてしまった。その直後、こともあろうにソフィティーアのドレスをいきなり触り始める。後ろに控えていた女が鬼の形相で止めに入ろうとするのを、ソフィティーアは軽く手を上げて制していた。


「ラーラさん、別に問題ありません」

「ですがいきなり聖天使様に対し──」

「問題ないとわたくしは言っています。──このドレスがそれほど気になりますか?」

「うん。こんなにキラキラしたドレスを見たのは初めてだよ。それに凄くスベスベしているし」


 ラーラと呼ばれた白銀髪の女が苦々しげにオリビアを見やるも、当の本人は全く意に介す様子がない。「このキラキラは輝銀石を砕いたものかなぁ」などと呑気に呟いている。ちなみにヨハンは苦笑いでその様子を眺めていた。


「閣下、いくらソフィティーア様のお許しが出ようともその辺でお止めください。それとちゃんと敬語を使ってください。無礼ですよ」

「え……? なんで敬語を使うの? 私の上官じゃないよ?」


 ピタッと手を止めたオリビアは、心底不思議そうな顔を向けてくる。


「上官でなくても同盟国の国主様です。敬語を使うのは当然です」


 オリビアの表情が一変し、みるみる顔が青ざめていく。さらには頭を高速で縦に振り始めた。どうやら知らず笑みが零れてしまったらしい。


「ごめんね──じゃなくて、申し訳ありませんでした」


 ぎこちなく頭を下げるオリビアへ、ソフィティーアは問題ないと言って僅かに笑みを漏らす。


「ふふっ。本当にオリビアさんは敬語が苦手なのですね。ヨハンさんから聞かされていた通りです。私は一切気にしませんから普段の言葉でお話ししてください」


 春の陽だまりのような温かい笑みでソフィティーアは言う。仮にも一国を統べるものが他国の、しかも初めてあったばかりの者に対しての発言ではない。


(……その言葉が真か偽りか。不敬だが確認させてもらう)


 聡明な光をたたえるソフィティーアの瞳を覗き見ると、真実の〝色〟を帯びている。どうやら本気の発言だったらしく、懐の深さにクラウディアは内心で舌を巻いた。


「え? いいの?」

「はい。ソフィティーア・ヘル・メキアに二言はありません」

「でもクラウディアが夜叉に……」


 言っておそるおそるこちらに視線を向けてくるオリビアは、もじもじと指を絡ませている。夜叉とはいったいなんであるのか、あとでしっかりと問いたださなくてはならないが、


「問題ありませんよね?」


 ソフィティーアにそう問われ、クラウディアは言葉に窮した。問題がないと問われれば、当然問題がある。今この場だけのことなら無礼講ということで許されるかもしれない。しかし、会話からも察するに、どうもこの場だけの話では済まなそうだ。どうしたものかと頭を悩ませていると、ソフィティーアは顔にパッと花を咲かせ、オリビアの手に自らの手を重ね合わせた。


「ではこうしましょう。わたくしとオリビアさんは今日からお友達です。それでしたら敬語を使わなくとも大丈夫ですよ」

「友達……そっか。友達なら敬語は使わないもんね!」


 オリビアは納得いったように何度も頷く。クラウディアが呆気に取られている間にも話はとんとん拍子に進められていく。気づくとオリビアが神国メキアに招待される話にまで及んでいた。慌てたクラウディアは二人の会話に強引に割って入った。


「ソフィティーア様、あえて無礼を承知で申し上げます。そのような大事をお二人の間だけで決めてしまうのはいかがなものかと。互いの立場というものもありますれば……」


 ソフィティーアは強く頷いた。


「貴女のおっしゃる通りです。少々勇み足でしたね。では今回は表敬訪問という形をとりましょう。アルフォンス様にその旨をお話しすれば、きっと快諾していただけます。なにせわたくしたちはお友達になったのですから」


 そう言ってソフィティーアは蠱惑的な笑みを浮かべた。


(なるほど。そこに話を持っていきたかったわけか……。彼女は閣下を神国メキアに招き入れていったいなにを企んでいるのだ?)


 笑顔で会話する二人を尻目に、ひとり警戒を強めるクラウディアであった。

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