第百五幕 ~不可視の刃~

 ヨハンとフェリックスの闘いはアメリアの介入もあって一応の決着をみた。

 その頃オーギュスト率いる殿軍はというと、ラーラ率いる本隊と激烈な戦闘を繰り広げていた。のちに吟遊詩人によって語り継がれることとなるコーン・ウル平野の戦いである。


「はははっ! 聖翔軍の小童共よ! その程度の腕でわしを討ち取れると思うなよ!」


 老練の将バッカス中佐が細い鉄棒を幾重にも束ねて作られた豪槍〝鬼道丸〟を縦横無尽に振りまわしながら聖翔軍の行く手を阻む。彼に立ち向かった者はそのことごとくが突き殺されるか、叩き潰されるかしてその身を大地に沈めた。

 目に映る老いが偽りだと感じさせるほどの動きは、長い時を修練に修練を重ねた者だけが体得できるものであった。


「このおいぼれがッ‼ 一斉に槍を突き立てろッ‼」


 十人翔の命令を受け、五人の衛士たちが一斉に槍を突き立てる。バッカスは見事な体捌きをもって躱すものの、転がっていた躯に足をひっかけ体勢を崩してしまう。その隙を突かれ、死角である背後からの一撃を受けてしまった。


「ぬうぅ……」

「今だッ!」


 動きを止めたバッカスに対し、ここぞとばかりに槍を突き刺していく衛士たち。刺された箇所からとめどもなくどす黒い血が流れ落ちていく。


 だが──。


「こ、こいつ死なないぞッ‼」


 バッカスは倒れることなく血塗れた歯を見せ、にぃっと衛士たちに笑いかける。衛士たちは刺したことも忘れ、呆然とバッカスを見つめてしまった。戦場において心の隙は、そのまま死に直結する。剥き出しになった彼らの命をバッカスは豪槍を頭に振り下ろすことで次々と刈り取っていった。


「このじじい不死身かッ‼」


 この信じがたい光景を前に、衛士たちは畏怖の表情を浮かべながら一歩、また一歩と後ずさりする。バッカスは狂気をはらんだ笑い声を上げながら豪槍を小気味よく回転させると、槍把そうはの先端を何度も何度も地面に叩きつけた。


「げぇひゃぁひゃひゃッ‼ 見えるか? わしの後ろにおわす軍神アステリア様の神々しいお姿が。今もアステリア様はわしに力を与えてくださる。屑神のシトレシアを崇める者など恐れるに足りんと申しておるぞ」

「お、おのれッ‼ 創造神たる女神シトレシア様を屑神だとッ‼ 好き勝手言わせておけばッ‼ 構わんッ‼ この死にぞこないにありったけの矢をぶち込めッ‼」


 声を荒らげたのは信仰心厚い別の十人翔だった。憤怒に満ちた表情で唾をまき散らしながら部下に指示を出す。彼らは次々と弓を引きながら散々に矢を浴びせかけると、最後は魂を凍てつかせるほどの不気味な笑みを残してバッカスはその命を燃やし尽くした──。





「閣下、バッカス中佐討ち死にしました。率いていた部隊も全滅です」


 聖翔軍の衛士たちを存分に切り伏せていたオーギュストのもとに、ひとりの伝令兵が現れ淡々と報告を行う。彼の背中には複数の矢が深々と突き刺さっており、流れ出る血は今もその身を赤く染め続けている。誰の目から見ても致命傷であることは明らかであった。


「奴の最期はどうであった?」

「一歩も、ただの一歩も退くごとなく実に見事な最期でした」


 誇らしげな顔で答える伝令兵に、オーギュストは大きく頷いてみせた。


「そうか……報告ご苦労。後のことは任せ貴様はゆっくり休め」

「お心遣い感謝いたします。ではお言葉に甘えて……」


 そう言って伝令兵は静かに倒れ伏す。僅かに上下させていた体は程なくしてその動きを完全に止めた。勇者がまたひとり戦場に散ったのだ。


「いずれ冥府で会おう」


 オーギュストは刃こぼれした剣を投げ捨て、自身が殺した男の傍に落ちている剣を拾う。それなりの位をもつ者だったのか、質も良くしっくりと手に馴染んだ。


「まだまだいけるな」


 柄を強く握りしめながら呟くオーギュストもまた、バッカスと同じく狂気の笑みを浮かべるのだった。





 ラーラ率いる聖翔軍本隊と、オーギュスト率いる殿軍の戦いが始まってからすでに二時間が経過しようとしていた。

 狂兵と化したストニア軍は、たとえ隣の者が殺されたとしても眉根ひとつ動かさない。退かず顧みず、ただただ目の前の敵を殺しつつ前進していく。そこにはなんの戦略も戦術もない。知性なき獣のごとくだ。

 にもかかわらず聖翔軍は進軍を阻むことができないばかりか、完全にその動きを止めていた。


(まさに死の壁と言ったところね。あれは生半可な攻撃では崩れない。あーあ。このまま楽に終わると踏んでいたのに……)

 

 チラリと隣を覗き見ると、十五年来の友人が仁王立ちで戦況を見つめている。端麗な顔立ちに、ヒストリアでしか気づかないであろう僅かの陰りを見せながら。


(はぁ……。仕方がないか)


 内心で溜息を吐いたヒストリアは、華麗な動きで白馬から降りた。


「──行くのか?」


 ラーラの問いかけに、ヒストリアは腰に差した二振りの得物を抜くことで回答とする。ソフィティーアに下賜された銀色に輝く剣、〝双星そうせい〟と名付けられた双剣は、相手の懐に深く入り込むヒストリアの戦闘スタイルに合わせ、通常の剣よりも短めな刃渡りとなっている。神国メキア随一の鍛冶師、ダガン・アサイラムが心血を注いで作り上げた稀代の逸品だ。


「仕方がないでしょう。このままだとこちらの損害も無視できないし。それともラーラの魔法で圧殺してくれる? それが一番手っ取り早いんだけど」


 たとえ死の壁であってもラーラの魔法が行使されれば一挙に崩れ去るだろう。一番確実かつ安全な方法であり、なにより楽である。しかしながら当の本人はあっさりと首を横に振ると、こともなげに言った。


「馬鹿を言うな。狂気に身を染め上げねば戦えない愚者共ではあるが、これはこれで絶好の機会だぞ」

「絶好の機会?」


 聞いたヒストリアに、ラーラは薄ら笑いを浮かべて首肯する。


「ああ、あのような者たちをどう制していくか、衛士たちにとって得難い経験となるだろう。聖翔軍をさらなる高みに上げる絶好の機会だ」

「得難い経験ねぇ……。ま、ラーラならそう言うか」


 ラーラの目指すところは聖翔軍をデュベディリカ最強の軍隊へと育てることにある。それは一にも二にもソフィティーアのためであることは明白であり、たとえ反対したとしても無駄なことはわかりきっていた。


「久しぶりの妙技。しかとこの目で見させてもらうぞ」


 ニヤリと口の端を上げるラーラに対し、ヒストリアは盛大な溜息を吐いてみせた。


「私の剣技を大道芸かなにかと勘違いしていない? 総督様は実にお気楽なことで」

「信頼しているからこその言葉だが?」


 まるで当たり前のように言うラーラに、ヒストリアは背中がむず痒くなるのを感じた。普段滅多に人を褒めることをしない人物だけに、たとえ友人であっても気恥ずかしさを覚えてしまう。


「はいはい。ほんと物は言いようだよね!」


 ヒストリアは照れを誤魔化すように大声を発した。


「返事は一回でいい。双剣のヒストリア」


 ラーラは再びニヤついた笑みを向けてきた。


「だ・か・らッ‼ その異名で呼ばないでって言ってるでしょ‼」


 言ってヒストリアは死の壁に向かって颯爽と駆けていく。怒号と喧騒が溶け込む戦場で、ヒストリアに気づいたひとりの老兵が長巻を薙ぎ払ってくる。それに対しヒストリアは大地を舐めるように体を深く沈めてこれをかわしながら老兵の懐にするりと入り込んだ。

 と同時に右手に持つ剣を瞬時に逆手へと持ち替え、老兵の脇を抜きざまに頸動脈を切り裂いた。


「……」


 間欠泉のごとく血飛沫を噴き上げてくずおれる老兵を気にした様子もなく、近くにいた三人の男たちが目をぎらつかせながら斬りかかってくる。最初に剣を突きつけてきた男の手を蹴り上げると、主から切り離れた剣は空中を舞う。

 さらに残り二人の斬撃を軽やかな足さばきでかわしながら落下してくる剣の柄に足裏を合わせ、そのまま蹴り抜き男の喉に押し込んだ。


「ガヒュッ‼」


 男は喉を掻き毟りながらやがて仰向けに倒れていく。その頃には双星がさらなる攻撃のいとまを与えることなく二人の男の心臓を同時に貫いていた。


「この女、手練れだぞッ‼」


 どこからともなく声が上がり、狂気なる視線が一斉にこちらへ向けられていることをヒストリアは感じた。ヒストリアは構うことなく両の剣を引き抜き、剣先から糸を引くように垂れてくる血を地面へと叩きつける。

 次々と迫りくるストニア兵たちを前に、ヒストリアは軽い手招きをもって挑発した。


「ぶち殺せえぇぇぇぇぇッ‼」


 猛然と得物を振りかざす彼らに対し、袈裟斬りと思えば横薙ぎ。突きと思えば逆袈裟など変幻自在な剣捌きをもってストニア兵を次々に切り伏せていくヒストリア。天賦の才に裏打ちされた剣技は、瞬く間に屍の山を築き上げていった。


「ま、大体こんなところでしょう」


 落ち着き払った態度で屍の前に立つヒストリアに、狂気に身を染めた兵士たちもさすがに警戒心が芽生えたのだろう。次々に足を止めていく。そして、その隙を見逃すヒストリアではなかった。


「足が止まった今が好機! このまま一気に突入しなさい!」


 ヒストリアは崩れた一角に向けて指をさす。衛士たちは嵐のような雄叫びを上げながら進撃を再開した。


 一万三千と五千。


 ヒストリアが死の壁に穴を穿ったこと。そして、元々の兵力差があったこともあり、殿軍の死傷者が凄まじい勢いで増え出していく。いくら狂気に身を落とそうが限界というものは必ず訪れる。まして元が老兵なら尚更だ。

 時間が経つごとにそれは顕著となり、太陽が大きく西に傾くころには、趨勢もまた完全に聖翔軍へと傾いていた。


「ふぅ……。これで私の仕事はおしまい。あとはラーラに任せればいいよね」


 蹂躙されつつある殿軍を尻目に、ヒストリアはラーラのいる方向へ視線を送った──。





(いよいよ進退極まったか)


 僅か五百人にまで討ち減らされたオーギュスト率いる殿軍は、聖翔軍によって完全に包囲されていた。殿軍は大楯を張り巡らし鉄壁の防御陣を敷いている。それに対し聖翔軍は徐々に包囲網を縮めていく。

 互いににらみ合いが続く中、しばらくすると包囲網の一角に一筋の道ができる。そこから三頭立ての黒馬に引かれた戦車が姿を現した。戦車には黄金の鎧に身を固めた御者と、見たこともない美しい白銀の髪をもつ女が威風堂々と立っていた。


(あれが敵の総司令官、しかも女か……国を総べるのも女なら軍を統べるのもまた女ということか。しかしどう見てもセシリア総参謀長と大して変わらん年齢に見受けられるが……)


 オーギュストがあまりにも若い総司令官に訝しんでいる中、女は左手を水平に掲げ、停止の命令を発していた。


「──防御陣を決して崩すなよ」


 ここまで生き残った側近が黙って頷くのを確認し、オーギュストは戦車の前へと歩み出る。女はオーギュストを一瞥すると、颯爽と戦車から降り立った。


「察するに貴様がこの部隊を率いていた指揮官らしいな。まずは神国メキアに牙を剥いた愚か者の名を聞こう」

「……俺の名はオーギュスト・ランバンスタイン」


 促されるまま名を告げると、女は炯々たる眼光を放つ瞳をスッと細めた。


「ほう。元帥が殿を務めるなど聞いたことはないが……実に面白い。我が名はラーラ・ミラ・クリスタル聖翔である。その無謀なる勇気に免じて私と一対一で相見えることを許してもよいがどうする?」


 ラーラの思いがけない提案は、もちろんオーギュストにとって渡りに船の話である。どちらにせよ状況を覆すには総司令官を討ち取ることしかないと思い定めていたが、まさか本人からそのような申し出をしてくるとは思いもよらなかった。

 すぐに承知した旨を伝えようとオーギュストが口を開きかけた刹那、ラーラの隣にいる銀眼の女が呆れたように口を開いた。


「ラーラ聖翔、さすがにそれはないでしょう。このまま蹂躙すれば済む話がどうして一対一の話に繋がるのですか? 全くもって理解不能です」

「そうか? 私は殿として残ったこの男の心意気を評価した。それに〝敵に塩を送る〟という言葉もあるしな」

「それにしたって送り過ぎですよ……。ま、ラーラらしいといえばらしいけど」


 そう言って女は肩を竦めると、あっさりと後ろに引き下がっていった。その様子を見る限り、一対一で負けることなどないと信じていることが窺える。


「──話の途中で悪かったな。で、どうする?」


 視線をオーギュストに戻したラーラは、改めて問うてきた。


「こちらとしては願ってもない話だが……本当にいいのか? 大層腕に自信があるようだが、そういう者こそ足をすくわれるぞ」


 それは純粋な親切心から出た言葉であったが、ラーラは肩を大きく揺らして言った。


「なるほど。元帥の言葉ともあればそれなりに聞く価値もあるかもしれん。だがまぁそう案ずるな。貴様が私の体に一瞬たりとも触れることは叶わないと宣言しておこう」

「……ふん。それを人は傲慢と言うのだ」


 言って大上段に剣を構えると、一陣の風がオーギュストの体を吹き抜けていく。目を細めた先、ラーラはというと剣を抜く様子もなくただ悠然と立ち尽くしていた。


「……貴様、仮にも元帥であるこの俺を愚弄する気か。腰の剣は飾りではあるまい。さっさと抜いたらどうだ」


 静かなる怒気を滲ませたオーギュストの言葉に、しかしラーラは事もなげに告げてきた。


「そうそう、ひとつ言い忘れたことがある」

「……なんだ?」

「私は聖翔軍を統べる総督であるが、同時に魔法士でもある」

「なにッ⁉」

「ではさらばだ」


 そう言うと、踵を返し自軍の下へ歩を進めるラーラ。まるで無防備な背と発言にオーギュストが軽い混乱に陥っていると、ドサリとなにかが落ちる音がした。視線を下に向けると剣を固く握りしめた筋骨隆々な両腕が転がっている。


「これは俺の──腕?」


 異変はさらに続く。さきほどまで正常だった視界がいつのまにか上下にずれているのだ。自軍から悲鳴にも似たどよめきが一斉に上がる中、聞こえてきた言葉は。


「我が魔法は風を操り空中に不可視の刃を作り出す。それは鋼ですら瞬時に断つ無慈悲なる刃。元帥殿に対してせめてもの手向けだ。遠慮なく受け取ってくれ」


 ラーラの言葉が終わる頃には、オーギュストの体はバラバラに崩れ去っていた。

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