第百四幕 ~竜虎相搏つ 其の弐~

(先を取る)


 先に仕掛けたのはヨハンだった。冷静に剣を構えるフェリックスに走り寄る。魔法によって強化された身体は疾風のごとき速さで距離を縮め、伸ばした腕は稲妻のごとき突きを可能とした。だが、フェリックスには僅かな動揺も隙も見られない。それどころか自ら剣に体を捧げるがごとく前へと踏み出してきた。


「むっ……!」


 突如目の前に巨大なる壁が立ち塞がったかのような感覚を覚えたヨハンは、咄嗟に地面を蹴りつけ真横に飛ぶ。直後獣の唸り声のような刃風と共に、フェリックスの剣が振り下ろされていた。


(魔法で身体強化をしているわけではない。にもかかわらずなんて速さで剣を振り下ろすんだ。初めからわかってはいたことだが、やはり一筋縄では行かないか……。どうやら魔力を温存している場合じゃなさそうだな)


 再び剣を正眼に構えるフェリックスを見やりながら、ヨハンは改めてそう思った。実際に今もフェリックスから感じる圧は、オリビアと対峙したときに感じたものとほぼ同等と言える。

 もしも二人が戦えばどういう結果になるか俄然興味は尽きないが、


(今は己が戦いに集中するのみ)


 ヨハンは左腕を真上に上げ、青い炎を纏う火球を放つ。放たれた火球は徐々に鳥の形へとその姿を変え、ヨハンを中心に前後左右四方向に分かれていった。


「炎を纏う小鳥……?」


 空中に漂う小鳥を見つめながらフェリックスが訝しげに呟く。

 

「別にこれであんたを攻撃しようってわけじゃない。念のための用心といったところだ」


 ヨハンはフェリックスに向けて再び駆ける。剣が届くギリギリの距離で跳躍し、空中で体を捻りながらフェリックスの背後へ着地する。完全に死角へと滑り込んだ圧倒的有利なこの状況。だが、なにせ相手は尋常ではない。

 ヨハンが神速の剣を突き刺すより先に、フェリックスはヨハンの視界から瞬時にその姿を消した。と同時に背後の小鳥からピイィと鋭い鳴き声が発せられる。ヨハンは振り向きざまに剣を横薙ぎに払う。刹那、激しく火花が飛び散った。


「……やはりな。俺の考えていた通り、彼女と同じ動きをすると思ったよ」


 目の前には両眼を驚愕の色に染めるフェリックス。交錯している剣からギリギリと刃の重なり合う音が奏でられている。

 並みの者であったら反応すらできず今の一撃で終わっていたのは想像に難くない。アメリアがフェリックスを魔法士と勘違いしたのも無理からぬことだと思う。ヨハンとて初見だったらそれなりのダメージを負っていたかもしれない。

 実際オリビアとの戦いでは瞬間移動のごとき動きに翻弄された。予め探知魔法〝焔(ほむら)〟を使っていなければ、即座に対応することはできなかっただろう。


(ふっ。まさにあの戦闘は無駄ではなかった。オリビアには感謝しないといけないな)


 屈託ない笑顔のオリビアが目に浮かぶ。数度剣を打ち合った後、お互いの様子を窺うかのように二人は一定の距離を置いた。


「……今彼女と同じ動きと言いましたよね。もしかして彼女も私のように俊足術の使い手なのですか?」

「ほう、その動きは俊足術というのか。なるほど。言い得て妙だ」


 ヨハンが感心してみせると、フェリックスがもどかしげに言う。


「質問にお答えいただけると嬉しいのですが」

「少なくとも俺の目には同じ動きに見えたな」

「そうですか……」


 なにかを考えるような仕草を見せた後、剣を鞘に収めるフェリックス。


 ──臆したか。


 一瞬そう考えたヨハンをあざ笑うかの如くフェリックスは右足を擦りながら大きく前に踏み込み、そのままゆっくりと前傾気味に腰を沈めていく。蒼の瞳はより深みを増し、呼吸は浅く時に深い。動から静への移行。どう見ても先ほどまでの雰囲気と違う。


 ──なにをする。


 その行動を見たヨハンは即座に身体強化の魔法を重ねがけする。再び黄金の光に体が包まれる中、時を置かずヨハンの骨という骨、筋肉という筋肉が悲鳴に似た軋みを上げ始めた。


(くっ……さすがに二度目ともなるとかなりの負荷がかかるな。だが、奴は必ずなにかを仕掛けてくるつもりに違いない。ここは先手必勝で余計な真似をさせないのが肝要だ)


 ヨハンは体の痛みを誤魔化すがごとく大きな息をひとつ吐くと、太ももに込めた力を解放して地面を蹴り抜く。限界まで身体強化を行ったことにより視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感が極限まで研ぎ澄まされる。

 そのうちのひとつ。視覚がフェリックスの口元が微かに開かれたのを捉え、さらには聴覚が呟かれた言葉を拾った。


 ──俊足術・極(きわめ)


 途端、なにかが派手に砕ける音と共にフェリックスの姿がかき消える。今の今までフェリックスが立っていた場所は、陥没した地面の跡が広がっていた。


(消えたッ⁉ 馬鹿なッ⁉)


 今のヨハンの両眼はあらゆる事象を捉えることが可能となっている。オリビアと対峙したときとはわけが違う。だが、その目をもってしてもフェリックスを見失ったのだ。

 ヨハンが焦りを覚えた刹那、右わき腹に衝撃と共に痛みが走った。そのまま真横に吹き飛ばされたヨハンの両眼に映し出された光景、それは土煙が派手に舞い上がる中、右拳を突き出しているフェリックスの姿だった。

 それから遅れること数秒。地面に倒れたヨハンの左頭上で、小鳥が思い出したかのように警戒音を発していた。


(くくっ……焔が感知できないほどの速さとは。これは恐れ入ったわ)


 ヨハンは瞬発的に体を浮かせ、跳ね起こして付着した泥を丁寧に払う。実際派手に吹き飛ばされはしたものの、そこまでのダメージはない。魔法の効果により打撃に対する耐性が上っていることもあるが、なによりも全力の一撃というわけでもなかったのだろう。

 それは兎にも角にもオリビアの情報を聞き出したいとの表れだとヨハンは考えた。


「まだ続きをしますか? 一応私の役目は果たしたようですし、あとは彼女の──オリビアに関する情報を教えていただければそれで良いと思っているのですが」


 フェリックスは一瞬視線を蒼の騎士団に向けたが、すぐにヨハンへと向き直った。その言葉からしてフェリックスの目的は自軍の足止めであったことが推察される。蒼の騎士団の目覚ましいまでの活躍は、ヨハンの部隊をこの場に釘付けにし、ストニア軍に撤退する猶予を与えることに十分貢献していた。

 帝国最精鋭の看板は伊達ではないといったところだろう。


「さすがの帝国もオリビアにはかなり手を焼いているようだな」

「……ええ。そこは否定したくともできませんね。彼女が現れなければファーネスト王国との戦争はおそらく終結していたはずですから」


 両手を腰に添えたフェリックスは自嘲気味に笑った。フェリックスの言は誇張でもなんでもなくヨハン自身もそう思う。もしもオリビアがいなかったと仮定した場合、今頃神国メキアはアースベルト帝国と全面戦争に突入していたかもしれない。

 それほどまでにオリビアという存在は周囲に多大なる影響を及ぼし、またそれゆえにどんな煌めく星々よりも強く激しく光り輝いているのだから。


「ま、あの少女は並みの者ではまず止められない。あんたも化け物じみた力を有しているが、それでも一筋縄ではいかないだろうよ」

「無論承知しています。だからこそ彼女の情報を欲しているのです」

「それはそうだろうが、だからと言って敵であるあんたに俺が素直に教えるとでも? こちらに寝返るというならいくらでも答えてやるが」


 言ってにたりと笑うヨハンに、フェリックスは盛大な溜息をひとつ落とす。そして、柄に手をかけると、ゆっくりと剣を抜きながら呟く。


「……さすがにありえない話です。あまり腕ずくでというやり方は好きでないのですが」

「まるで腕ずくなら可能とでも言いたげに聞こえるな。一応言っておくがたとえ拷問されたとしても俺は口を割る男ではないぞ」


 ヨハンも命をかけて貴重なオリビアの情報を得たのだ。現在の帝国がオリビア・ヴァレッドストームの情報をどの程度掴んでいるかは知らないが、間違いなく魔術に関しては把握していないはず。黄金の山ですら霞むほどの情報を易々と教えてやる義理も道理もない。


「それは承知しています。出会ってそう時も経ってはいませんが、あなたの人となりはなんとなくわかるつもりです。それでもあなたの意志に関係なく情報を引き出すことは可能です」

「俺の意志に関係なく? そんなことが本気で可能だと──」


 ヨハンは自身の言葉を途中で止め、思わずフェリックスを凝視した。本人の意思に関係なく口を割らす。本来なら到底ありえない話だが、こと魔法士ならその限りではない。だが、フェリックスが魔法士でないことはアメリアの証言によって明らかになっている。

 そんなヨハンの心の機微を読んだかのように、フェリックスは優雅な所作で青みがかった前髪を軽く振り払いながら口を開いた。


「なにも魔法士は神国メキアの専売特許ではありません。もちろん帝国にも魔法士は存在します。まぁ、最も少々変わり者の魔法士ではありますが……」


 魔法士は概ね四つの〝型〟に分類することができる。

 ヨハンやアメリアのような戦闘型。

 武器や道具などに魔法を付与する支援型。

 ラーラのように戦闘型と支援型を合わせ持つ万能型。

 そして、それ以外の独自型だ。


 さらにそこから本人の性格、思考などによって様々な系統に分かれていく。ヨハンが得意とする火炎系や、アメリアの束縛系といった具合だ。

 フェリックスの口ぶりからして、帝国にいる魔法士は独自型に属する可能性が非常に高いと思われる。独自型は数少ない魔法士の中でも滅多に存在しないばかりか、未知なる部分も多いと聞く。フェリックスの言いぐさではないが、彼の人となりを見て到底はったりを言う人物ではないとヨハンなりに信用していた。


「それはまた厄介だな」


 再び剣を水平に構えながら言うと、フェリックスが走り寄りながら口を開く。


「そう思うのでしたら考え直していただけませんか?」

「だから寝返るなら教えると言っているだろう。あんたほどの男なら聖天使様は三顧の礼をもって迎えるぞ? 無論今の地位に相応しい待遇を用意してな」


 耳を切り裂かんばかりの金属音と火花が飛び散る中、剣越しにヨハンは誘いをかけてみる。そもそも神国メキアが小国ながらも栄華を誇っているのは、なにも良質な鉱山を多く有しているだけではない。ソフィティーアは優秀であれば身分の上下に関係なく要職に就かせているのも大きな理由だ。

 ラ・シャイム城第一の門を守護するアンジェリカとて、元をただせば孤児院の出身である。まして相手が帝国最強と呼び声高い人物なら、間違いなくソフィティーアは手厚く遇することだろう。

 しかしながらフェリッスクの瞳は僅かな揺らぎも見せることはない。それどころか怒りに満ちた光を帯び始めた。


「私は皇帝陛下に絶対の忠誠を誓う者。たとえこの命尽きようとも寝返るなどあり得ません。それはあなたとて同じではないのですか?」

「ふっ。違いない。聖天使様を裏切るなど死んでもあり得ない。ま、所詮俺たちは武に生きる者。言葉で決着がつかないのは最初からわかっていたがな」

「どうやらそのようで」


 二人は互いに不敵な笑みを交わしながら剣を見舞い、弾け合うように再び距離を取った。ヨハンはすかさず魔法陣に魔力を注ぎ込み、焔光の輝きを放つ左手を思い切り払う。地面という地面から炎が勢いよく噴き出すと、瞬く間にフェリックスを取り囲んだ。


「この炎……ただの炎ではありませんね」


 フェリックスは炎蛇のごとくうねる炎を見渡しながら呟く。その姿はどこまでも冷静でいて、かつてのオリビアと重なった。


「お察しの通りだ。どういう結果になるかは冥界でゆっくり確かめるがいい」


 ヨハンが左手を強く握り込むと同時に、炎はその輪を徐々に縮めていく。それに対しフェリックスは、再び剣を鞘に戻すと腰を深く沈めた。一見すると俊足術・極(きわめ)を彷彿させる。だが、先ほどと違うのは右手が柄に触れている点だ。


(オリビアは魔術でもって風華焔光輪を防いでみせた。だが魔術は言うに及ばず魔法もフェリックスには使えないはず。たとえ俊足術を使ったとしても、風華焔光輪の炎は触れた途端に黒砂と化す。言ってしまえば〝詰み〟の状態だ。それなのに腹の底から湧き上がってくるこの不安感はいったいなんなのだ?)


 炎越しに油断なくフェリックスの動向を探っているヨハンの耳に、鮮烈なる声が響いてきた。


「阿修羅(アスラ)豪旋風ッ‼」


 飛燕の如き速さで抜き放たれた剣から竜巻のごとき風が吹き荒れる。フェリックスを取り囲んでいた炎は螺旋状に舞い上がる風と共に上空へと昇り、やがて空中で四散した。ヨハンが呆気に取られていると、フェリックスが涼やかなる表情で語りかけてきた。


「おそらく今の魔法が奥の手だと見受けましたが?」


 暗にまだ続けるのかと言わんばかりの口振りに、


(まさに化け物だな……)


 魔法によって身体強化されたヨハンをしてそう思った。そして、このままでは勝てないということも。


(さてどうする? さらに身体強化の魔法をかけるか? ──いや、さすがに死ぬな)


 ヨハンは自分を落ち着かせる意味でも自問自答する。これ以上の重ねがけを行えば確実に体の崩壊が始まるのは自明の理。魔法自体は神の御業であったとしても、扱うのは所詮人間である。どんなに体を鍛えたとしても自ずと限界というものはあるのだ。

 次なる策も思い浮かばないまま剣を三度水平に構えていると、


「あたしのヨハンを困らせることは許さないッ‼」


 怒気を振りまくアンジェリカが猛然とした足取りでフェリックスに向かう姿を捉えた。


「やめろアンジェリカ! お前が敵う相手ではない!」

「でも──!」


 悲痛な声を上げて振り返ったアンジェリカの顔が一転、喜色に満ち溢れた。


「──上級千人翔ともあろう方が随分とお困りなようで」


 背後から聞こえてくるどこか人を食ったような言動と共に、フェリックスの前方から巨大な蔦が無数に飛び出してくる。フェリックスは自身へと伸びる蔦を素早く剣で切り裂きながら大きく後退した。

 ヨハンが後ろを振り返った先には、剣を片手にアメリアが薄青色の髪を掻き上げながら近づいてくる。そのさらに後方からアンジェリカと同じく十二衛翔のひとりであるジャン・アレクシアと、ブラッディ―ソードの紋章旗を掲げるアメリアの部隊が姿を現した。


「アメリアちゃん!」


 駆け寄り腕に絡みつくアンジェリカをアメリアは辟易した様子で引き離した。


「……戦場でその呼び名はお止めなさい。 ──それにしてもまたお会いしましたね。フェリックス・フォン・ズィーガー。こんなところにいるとは意外ですが光栄の極みです」


 ヨハンの隣に並んだアメリアは、酷薄な笑みをフェリックスへと向けた。


「アメリア・ストラストですか……。アストラ砦の件であなたには色々と思うところもありますが、さすがに魔法士二人を相手にするのは厳しいですね」


 全ての蔦を切り裂いたフェリックスは二人を交互に見やりながら息をついた。


「ならば退いても構いませんよ。あなたをここで殺すのは私の予定に入っていませんから」


 アメリアは酷薄な笑みをさらに深め、両手を殊更に広げてみせた。どこまでも人を食った態度ではあるが、このときばかりは頼もしいとヨハンは思った。


「……そうしましょう。オリビアの情報を聞き出せなかったことは残念ですが、それなりに収穫はありましたから」


 踵を返すとフェリックスは悠然とした態度で立ち去っていく。それから程なくして蒼の騎士団もまた後退していった──。


「ふぅ……。正直アメリア嬢のおかげで助かった。さすがに今回ばかりはジリ貧だったからな」


 身体強化の魔法を解除したヨハンはドカっとその場に座り込んだ。新鮮な空気を肺に取り込み大きく息を吐く。かなりの負荷を体に強いていたこともあり、しばらくはまともに動けそうもなかった。


「ま、ひとつ貸しですよ」


 アメリアは再び腕に絡みつくアンジェリカを鬱陶しそうに見つめながら言う。アンジェリカはにへらと笑いながらピョンピョンと体を跳ねさせていた。やはり彼女には笑っている姿がよく似合う。


「あとのことはラーラ聖翔に任せるとするか」

「ええ。勝ち戦となればこれ以上私たちがでしゃばる必要もないでしょうから」


 そう言って二人は本隊が向かった方向に視線を向けたのだった。


 

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