第百幕 ~血濡れの美姫~

 神国メキア

 後世の歴史において、存在したのかどうかも疑わしい魔法士なる人間を数多く輩出した国として知られている。また小国でありながらデュベディリカ大陸に覇を成そうとした時代もあり、この時期を題材にした本が煌めく星々のごとく世に出され、そして多くの人々を魅了していった。


 その中でもとりわけ女性に人気が高いのが、美丈夫として描かれた絵画が今も残るヨハン・ストライダーの物語。恋多き男として知られ、定番な英雄譚よりも恋愛方面に寄った物語に人気が集中している。

 一方男性には、圧倒的カリスマと神々しいまでの美貌を兼ね備えていたという稀代の統治者。第七代聖天使ソフィティーア・ヘル・メキアや、古文書に白銀の麗人との記述が残されている聖翔、ラーラ・ミラ・クリスタルの物語などが人気を博している。


 また、嘘か真か。殺戮をこよなく愛したと伝えられているのが〝血濡れの美姫びき〟の異名を持つアメリア・ストラスト。ある本では殺した人間の血を大量に絞り取り、さらには狂気の笑みを浮かべながら全身に浴びた、などといささか誇張が過ぎた表現も見受けられたりする。

 ただ、どの本にも共通して言えることは、戦場に置いて冷酷無比な女性として描かれていることだ。その酷薄さが魅力的なのか、一部の読者たちから熱狂的な支持を得ていた──





「──アメリア千人翔、我が翔隊は敵の分断に成功しましたッ!」


 聖翔軍とストニア軍による戦いが始まってからおよそ二時間。

 血濡れた十文字槍を縦横無尽に振るいつつ、ジャンが声を張り上げる。今や敵の戦列は完全に崩壊しており、秩序なき後退を演じている。これでは立て直しを図ることなど不可能だろう。アメリアは逃げ惑うストニア兵の心臓を抉るように突き刺すと、鮮血で艶かしく光る剣に舌を這わせて言った。


「そんなことは見ればわかることです。無駄口を叩く暇があったらさっさと各個撃破に移行しなさい」

「はっ! ただちに!」


 ジャンがすかさず各中隊に向けて命令を発した。衛士たちは機敏な動きで追撃態勢へと移行していく。その様子を眺めつつ、次第に濃くなる血臭を存分に楽しんでいるアメリアの下へ、ひとりの衛士が激しく息を切らせながら姿を見せた。


「ア、アメリア千人翔ッ! 至急お伝えしたいことがッ!」

「…………」

「アメリア千人翔ッ!」

「……うるさいですねぇ。折角人が良い気分に浸ってるというのに」


 アメリアの形の良い眉がこめかみに向けて吸い寄せられていく。ここが戦場でなければ即座に〝教育〟を施しているだろう。本当に残念だ。


「申し訳ありません! しかしながら事は一刻を争います!」

「はぁ……それで、一体何事ですか?」


 アメリアは凍てつく瞳を衛士に向ける。衛士はというと、一瞬躊躇するような表情を見せるものの、すぐに口を開いた。


「我が翔隊の左右後背から敵の大軍が迫っておりますッ!」

「大軍? 情報は正確に告げなさい。どの程度の兵数ですか?」

「およそ二万程かと」

「二万……」


 アメリアはジャンに軽く手招きする。心得ているとばかりに差し出された遠眼鏡を乱暴に受け取り、衛士が指差す方向に向けた。すると、確かに新たなストニア兵が土煙を舞い上げながら翔隊を囲むように迫ってくるのが見える。衛士の言った通り、数はおよそ二万といったところ。


(生意気な……)


 アメリアはフンと鼻を鳴らし、ジャンに向けて遠眼鏡を突っ返した。彼もまた、遠眼鏡を即座に後背へと向ける。


「これは……これはあまりにもタイミングが良すぎます。おそらくですが──」


 そう断りを入れたジャンは、これまでの動きそのものが自軍を敵陣深く誘い込むための罠であったと述べた。その見解に対し、アメリアはとくに返答をしなかった。上級百人翔、ましてラ・シャイム城へと通じる十二の門を守護する衛翔であれば、その程度のことはむしろ気づいて当然だ。


「一杯食わされました」


 右手に持った十文字槍を深々と地面に突き立て、悔しげな表情を浮かべるジャン。果敢に攻め立てていた衛士たちから動揺の声が上がっていく。

 防御の薄い部分を突いたつもりだったが、それこそが敵が仕掛けた巧妙なる罠。そうとも知らず、まんまと上手く乗せられたということだ。おそらく逃げ惑う兵士たちは、作戦そのものを伝えられていない可能性が高い。

 もし全て織り込み済みということであれば、自分を凌ぐ役者ぶりだが。


「どうやら巨大な檻に閉じ込められつつある、と言ったところでしょうか。戦うことなく帝国の靴を舐めた愚者にしては、随分と小癪な真似をしてくれます」


 アメリアが呟く。すると、足元に転がっていた老兵の体がピクリと動き、血濡れた口が歪に開き始めた。


「愚かな神国メキアの者共よ……お前たちに勝ち目など……ない」

「死にぞこないがッ! なにを言いだすのかと思えばッ!」


 ジャンが声を荒げて老兵を見据える。


「まぁ聞け。なぜなら我がストニア公国は古来より軍神アステリアによって守られている……貴様らが主神と仰ぐ女神シトレシアなど……軍神アステリアの足下にも及ぶまい……よってお前たちに勝ち目など鼻からないのだ」


 そう言って最後は気が触れたかのようにケタケタ笑う老兵の首を、アメリアは思い切り蹴り抜いた。首はありえない方向にグニャリと曲がり、同時に不快な笑い声も止む。


「軍神アステリア? そんなものは知りませし、興味の欠片もありません。神は唯一無二、創造神たる女神シトレシアだけです」


 すでに絶命している老兵に向かって、アメリアはさらに何度も何度も執拗に蹴りをぶち込んでいく。次第に足下がどす黒く染まる中、その様子を畏怖を込めた目で見つめていたジャンが遠慮しがちに声をかけてきた。


「聖翔軍が負けるなど万に一つもありませんが、このままだと我が翔隊は孤立します。どうかこの場は私にお任せいただき、アメリア千人翔は一刻も早く後退してください」


 意を決したかのようなジャンの言葉に対し、アメリアは殊更に両手を広げ、呆れた表情を作って見せた。


「後退? 仮にも十二衛翔である者の発言とは思えません。正気ですか?」

「もちろん正気です」


 ジャンは恥じることなく堂々と答えた。


「はぁ……腕ばかりでなくおつむのほうも少しは鍛えなさい。そうすればこの状況を好機と捉えられるはずです」

「好機? 今好機とおっしゃったのですか?」


 ジャンは信じられないといった表情をアメリアに向けた。


「二度同じことは言いません」


 今頃ストニア軍は策が成ったことで慢心しているはず。ここで返り討ちにすれば、彼らは二重の意味で士気が落ちるとアメリアは予想する。そうなればいかに数が多かろうと赤子の手を捻るようなもの。この絶好の機会に引くなど思いもよらない。


「ですがアメリア千人翔の言った通り、このままでは檻に閉じ込められたも同然です。好機どころかその後に待っているのはッ─?!」


 ジャンの胸ぐらを乱暴に掴み、アメリアは強引に自らの顔へと引き寄せた。射抜く瞳と揺らぐ瞳。二つの相反する瞳が交錯する。


「なにを勘違いしているのですか? 私はと言っただけです。勝手に話を飛躍させないでください」

「で、ですがこのままでは……」


 なおも食い下がるジャンに向けて、アメリアは大きく息をついた。


「しつこいですねぇ。いいでしょう。愚かな部下の不安を取り除くのも上官の務めですから」


 アメリアはジャンを突き飛ばすと、左手甲の魔法陣に魔力を集中させる。程なくして敵の前衛を射程に捉えたアメリアは、左右に大きく足を開き、青く輝く左手を地面に向けて叩きつけた。


「良く見ておきなさい。これからが真の宴の始まりです」


 アメリアの言葉と同時に、一筋の青き光が地面を這うように前方へと走っていく。やがて敵の前衛に到達すると、地面が海面のように波打ち始めた。ストニア兵は驚愕の表情を浮かべながら一様に足を止め──


「地面からなにか飛び出してくるぞッ!」

「へ? 蔦?!」

「な、なんなんだッ?! 体に絡みついてくるぞッ?!」

「う、動けないッ!」

「ひいいぃぃ! 血ッ! この蔦俺の血を吸っているのかッ?!」


 やがて阿鼻叫喚の地獄絵図へと変化していく。


 ──吸血花。

 地面から伸びた蔦が対象者を絡め取り、さらに無数に生えた棘から血を吸い上げる束縛系に属する魔法。全ての血を抜き取られる頃には、干からびた死体を中心に真紅の輝きを放つ花が咲き乱れるという。

 アメリアが扱う魔法の中でも、最も残虐かつ非道なものであった。



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