第九十九幕 ~誰がための戦い~

 ──ノービス平野

 神国メキアの西端。周囲を山脈に囲まれ東西を分けるようにノービスと呼ばれる広大な河が流れる平野がある。普段ならこの時期は至るところで様々な花が咲き乱れ、牧歌的な風景が広がる場所として知られている。

 しかし、今やその面影は全く見られない。多くの人間たちによって花は無惨に踏み荒らされ、そのほとんどが短き生涯を終えている。これは聖翔軍とストニア軍。合わせて約九万の軍勢が対峙しているからに他ならない。


 そのストニア公国陣営。

 憮然とした表情で腕を組むのは公国軍元帥オーギュスト・ランバンスタイン。類稀なる体格と武威に秀でた男であり、御年四十六歳。帝国がストニア公国に対し臣従を迫ったおり、あくまでも徹底抗戦を唱えていた人物でもある。しかし、四賢人筆頭であるローマンの言を受け入れたジルヴェスター大公の決定を受け、戦うことなく帝国に屈した。

 それからというもの、彼は決して晴れることのない憂さを抱えながら日々を過ごしていた。酒を浴びるほど飲んで鬱屈を紛らわそうとした日も一度や二度ではない。が、ここにきてジルヴェスターによる神国メキア進撃の勅命が下された。


 オーギュストはその勅命を拝命したとき、内心でほれみたことかとせせら笑った。国を損なうとの理由から属国化してまで戦争を回避したが、結局は戦争をするはめになったではないか、と。しかも、相手は女神シトレシアの信徒たちが聖地と崇める国。兵士たちの様子に鑑みても、初めから帝国と戦端を開いた方が余程ましだったことは明らかだ。


「──と、俺は思うのだが。なにか間違っているか?」


 眼下に広がる濃紫の軍旗を眺めながら、隣に立つ総参謀長──セシリア・カディオ少将に問うてみる。ストニア公国建国以来の才女と謳われ、並み居る優秀な男性将校を押しのけ今の地位を築いた人間だ。

 彼女は厚い唇の端を上げ苦笑すると、目にかかる金髪をしなやかな指先でかきあげた。


「元帥閣下の憤りはもっともだと思います。ですが今さらそれを言っても詮無きこと。すでに賽は投げられたのですから」


 それはオーギュストも十分承知している。それでも言わずにはおられないのだ。このおよそ馬鹿馬鹿しい戦を前にしては。しかし、これ以上元帥である自分が不満を述べれば、ただでさえ士気が低い状況がさらに悪化するのは目に見えている。


(今に限ってはこの立場が鬱陶しい……)


 立ち並ぶ兵士たちを見遣った後、オーギュストは黒く淀んだものを無理矢理心の隅へと追いやった。


「それにしても敵の数が存外少ない。四万から五万と俺は聞いていたが」


 実際は精々三万程度といったところ。帝国がもたらした情報と大分開きがあるのは明白だ。


「確かにそうですね……帝国の戦力算定が間違っていた、ということではないのですか?」


 言いながら、セシリアは視線を右前方に向ける。そこには全身蒼の鎧で覆い、帝国の象徴である十字剣のマントをはためかせている男。帝国から軍事顧問として派遣されたフェリックス・フォン・ズィーガ―が、悠然と戦場を眺めていた。


「いや、さすがにそれは考えづらい。奴らの抱える諜報部隊はかなり優秀と聞く。ましてや帝国最強と謳われる男もこうして出張って来ているのだ……まぁ、一見すると顔が綺麗なだけの優男に見えるが」


 城の女中たちはある意味敵とも言えるフェリックスのことを〝蒼の君〟などと呼んで呑気に騒ぎ立てている。確かにフェリックスは、類稀なる美貌をもつ青年であった。艶のある青みがかった黒髪に、見事なまでに均整のとれた鼻梁と唇。深い蒼色の瞳は最強の名に反比例するかのごとく、優しげで理知的な光を称えている。女中たちが色めき立つのも無理からぬことだとオーギュスト自身思わなくもない。

 だからと言って、名だたる貴族の令嬢までもがこぞって陶然とした目を向けるのは、怒りを通り越して呆れるばかりだった。


「確かに空恐ろしいほどの綺麗な顔立ちですね……」


 そう言うセシリアの声にはどこか艶っぽい響きがある。オーギュストは内心で『お前もか』と嘆息した。


「セシリア総参謀長」

「んん……失礼いたしました。しかしながら帝国の戦力算定が正しいとすると、結論はひとつしかございません」


 そこで言葉を切ったセシリアは、揺らぐ緑色の瞳を向けてくる。その視線の意味するところを悟ったオーギュストは、思い切り眉根を寄せた。


「奴らは、聖翔軍は我々ストニア軍を舐めていると言いたいのか?」


 セシリアは一瞬戸惑いを見せた後、口を開く。


「口にするのもはばかれますが……」

「ふん。戦うことなく帝国に尻尾を振った我らだ。そう思われても仕方がないのかも知れんな」


 オーギュストの乾いた笑いが空虚に響く。仮に己が敵の立場だった場合、やはり同じような考えに至ったかも知れない。それを踏まえても三万は舐め過ぎにもほどがある。敵の司令官がなにを考えているのかはわからないが、兵の多寡は勝敗に直結する。それゆえ用兵以前に戦そのものを知らないのではないか、とオーギュストに疑念を抱かせるには十分だった。


「我が軍は聖翔軍に比べ、約二倍の兵力を有しています。本来ならまず負ける要素などありませんが……」


 そう言うセシリアの表情はすぐれない。その後に続くであろう言葉をオーギュストが代わりに答える。


「我が軍の士気は著しく低い。よって二倍の兵力差があろうとも勝敗の行方はわからない。そうセシリアは言いたいのだろう?」


 我が意を得たとばかりに頷くセシリア。


「遺憾ながら。行軍中に逃亡を図った兵士たちも少なくありません」

「その兵士たちは女神シトレシアの信徒共か」

「おっしゃる通りです。信徒の中でもとくに信仰が厚い者たちと思われます」


 オーギュストは深く息を吐きながら空を仰ぎ見た。敵前逃亡は理由の遺憾なく極刑と決まっている。たとえ未遂でも慈悲をかけることなどない。それをわかっていてなお実行に移すということ自体、彼らの信仰がいかに深いものかを如実に伝えている。


「女神シトレシアか……実に厄介極まりない。神は唯一無二、軍神アステリアだけでいいのだ」


 軍神アステリアとは、ストニア公国に古くから伝わる土着神である。三つ目に四本の腕を持ち、手には円月輪や三叉槍といった武具を手にしている。創造神である女神シトレシアとは異なり、破壊の限りをつくす荒ぶる神として知られていた。


「軍神アステリア。久しぶりにその名を聞きました。確か子供の頃に読んだストニア創設記以来だったかしら……?」


 セシリアがどこか懐かしそうな声を上げる。ちなみにストニア創設記は子供が到底理解できる類の本ではない。オーギュストはあえてその点には触れずに話を続けた。


「今の若い者は神話など興味もないだろうからな。女神シトレシアの人気が異常なのだ──まぁ、そんなことはどうでもいい。それよりも逃亡を図った兵士たちを処刑していないだろうな?」

「ご安心ください。今のところ拘束に留めています。軍紀に照らせば即刻首を刎ねているところですが、今回はいささか事情が異なると思いまして」


 オーギュストは満足げに頷いて見せた。凡百の人間なら軍規に照らし、即座に処刑していただろう。それは責められるものではなく、むしろ当然の処置なのだが。だからこそ従来の型にはまらない柔軟な思考ができるセシリアに感謝もする。


「その通りだ。今回は我が軍が勝利を得てそれで終わりではない。聖イルミナス教会、ひいては信徒たちがこのまま黙って見過ごすはずもないからな」


 逃亡を図った兵士たちを処刑などすれば、聖イルミナス教会に対し火に油を注ぐようなものであり、さらなる関係悪化を招くのは必定。そうさせないために、女神シトレシアの信徒に対しては細心の注意をもって接しなければならない。

 およそ馬鹿馬鹿しい話ではあるが、これがストニア公国の置かれた非情なまでの現実である。


「閣下、どうやら敵の右翼が動き出したようです」


 セシリアに促され視線を向けると、右翼の敵が矢尻状の陣形を展開している。


「初手から鋒矢ほうしの陣形か……あちらさんは余程この戦いに自信があると見える」


 それか戦を知らない本当の間抜けか。どちらにしてもこれは絶好の機会である。


「いかように対処しますか?」

「飛んで火に入る夏のなんとかだ。奴らを陣中深くおびき寄せ、頃合いを見て一挙に包囲殲滅を図る。さすれば兵士の士気も幾分か上がろう」

「かしこまりました。ではすぐに準備いたします」


 セシリアの美しくも鋭い指示の声が戦場に響き渡った。





 ──聖翔軍左翼、アメリア陣営


 聖翔軍三万の内、七千からなる軽装歩兵翔隊を率いるアメリア。髪の毛先を指先でクルクルと弄びながらストニア軍を冷然と眺めていた。整然と立ち並ぶ衛士の顔は覇気に満ちており、ストニアの兵とは真逆の様相を見せている。

 その中から十二衛翔のひとり、十文字槍の使い手であるジャン・アレクシア上級百人翔が、先頭に立つアメリアの背後に歩み出た。


「アメリア千人翔、全ての準備が整いました。いつでも突撃可能です!」


 報告を受けたアメリアは、おもむろに懐から懐中時計を取り出す。女神シトレシアが刻まれた上蓋を押し開き、時刻を確認する。


「陣形構築まで三十分ですか……随分と時間がかかりましたね」


 アメリアは淡々とした口調で言う。まるで魂を凍らせるほどの冷たさに、ジャンはゴクリと唾を呑み込んだ。


「申し訳ございません!」

「……今回は許しましょう」

「お許しいただきありがとうございます!」

「ですが次回はありません。そのことをよく肝に銘じておくように」


 振り返ったアメリアの炯々けいけいたる眼光に、ジャンは気圧されたように一歩後ずさる。だが、すぐに居住まいを正すと、声を張り上げた。


「はっ! 肝に銘じます!」

「それと、先陣を切るのは武人の誉れ。遅れた者は私が直々に殺すと伝えておきなさい」

「はっ! アメリア千人翔の仰せのままに!」


 踵を返したジャンは、駆け足で翔隊へと戻っていく。程なくしてジャンの号令が飛び、衛士たちが手にした武器を一斉に掲げ咆哮する。


「「「聖翔軍に女神シトレシアのご加護があらんことを!!!」」」

「「「聖天使様の名に懸けて、絶対なる勝利を我が手に!!!」」」

「では蹂躙を開始しましょう。楽しい宴の始まりです」


 剣を抜き放ったアメリアの口元は、大きな弧を描いていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る