第百一幕 ~紅蓮の雨~

 ──聖翔軍右翼 ヨハン陣営


「むむっ! むむむっ! ヨハン様! 大変です! これは大変ですよ! アメリア様の翔隊が敵に包囲されつつあります! すぐ助けに行きましょう!」


 十二衛翔であるアンジェリカ・ブレンダー上級百人翔が、遠眼鏡片手に盛大に騒ぎ立てている。その様子を見て、ヨハンは大きく溜息を吐いた。


「助けに行きましょうって、お前ね。気軽に言うが目の前の敵はどうするんだ?」


 左翼のアメリア翔隊が戦闘を開始した後、時を置かずヨハンの翔隊もまた戦闘状態に入っていた。現在のところ士気の差もあって有利に事を運んでいるが、自軍の兵力は一万。対してストニアの軍勢は二万を越えている。さすがに援軍に向かう余裕はなかった。


「そんなの決まっているじゃないですか。ヨハン様の魔法でブアーッてぶっとばしちゃえばいいですよ。ブアーッて」


 アンジェリカは大きく手を広げながら兎のごとくピョンピョンと跳ねて言う。その度に肩までかかる黒髪が大きく揺れ、背中に背負った得物が鈍い音を奏でている。どう見ても小柄な体格のアンジェリカに不釣り合いな大剣。

 ラ・シャイム城において第一門を守護する衛翔、〝斬撃のアンジェリカ〟の異名となった暴力的なまでに無骨な大剣だ。


「随分と簡単に言ってくれるな。それでなくとも俺の魔法は燃費が悪いんだ。ブアーッと使っていたらあっという間に魔力が枯渇してしまう」

「そうなんですか?」


 ヨハンの言葉に、アンジェリカは小首を傾げた。


「そうなんですかって、なにをすっとぼけているんだ? お前もよく知っていることだろう。それともなにか? お前は俺に死ねって言っているのか?」


 胡乱な目をアンジェリカに向けたヨハンだったが、彼女が放った思いもよらぬ言葉に閉口する。


「そんなわけないじゃないですかぁー。別にぃー。私との約束を破ってぇー。他の女の子と合っていたなんてぇー。全然これっぽっちもぉー。怒っていないですからぁー」

「…………」

「なんでもぉー。若くてぇー。銀髪のぉー。とってもとーっても綺麗な女の子だとかぁー」


 わざとらしく語尾を伸ばしながら、アンジェリカはクリクリとした紫色の瞳を向けてくる。ともすれば小動物のように愛らしくもあるが、瞳の奥は研磨された剣のように鋭い光を放っている。

 ヨハンは想像していた人物と違っていたことで、思わず口を滑らせてしまった。


「ああ、そっちか」

?」


 アンジェリカの双眸が瞬く間に細まる。身の危険を感じたヨハンは、慌てて言い直した。


「い、いや、ただの独り言だ。というか、アンジェリカとの約束を忘れていたわけじゃない。聖天使様直々の調査任務だから仕方がないだろう。それに、たまたま相手が美人だったというだけだ」


 これはヨハンお得意の脚色を加えていない純然たる事実であり、なんら後ろめたいことなどないのだが、


「あれあれぇー? なんだかおかしいなぁー」


 わざとらしく人差し指を頬に当て、再び小首を傾げるアンジェリカ。明らかになにかあると言いたげだ。ヨハンは嫌な予感がしながらも続きの言葉を促した。


「だってだってぇー。私が聞いた話によるとぉー。ヨハン様自ら志願したって聞いているんですけどぉー? しっかもぉー。だって初めから知っていましたよねぇー」

「…………」

「どうして黙っているんですくわぁー?」


 ヨハンは反論しなかった。事前にオリビアが絶世の美女であると知っていたのは紛れもない事実だから。


(だが、なぜアンジェリカがそこまで詳しく知っているんだ?)


 当然疑問はそこに帰結する。無論災いの元になるような話をヨハン自ら漏らすようなことはない。アンジェリカが蛇のように視線を絡みつかせてくる中、ヨハンは今さらながらあることに気がついた。


(多分、というか間違いなくアメリア嬢が教えたんだな。ちっ! 余計な真似を……)


 人付き合いが絶望的なまでに乏しいアメリアだが、なぜかアンジェリカにだけは心を許しているふしが垣間見える。偶然二人が連れ立って装飾店に入っていく姿を見かけたときは、思わず二度見してしまったほどだ。裏表のない無邪気な彼女の気質がそうさせるのか、その結果がこれである。

 ヨハンは大きく咳払いすると、殊更に顔を引き締めてアンジェリカに命じた。


「そんなことよりも第三中隊が少々押され気味だ。すぐに第九中隊を援護に向かわせろ」

「あ! 誤魔化した!」

「別に誤魔化してなどいない」

「ぶーっ! ……本当、ヨハン様ってズルいんだから」


 そうブツブツ言いながらも、アンジェリカは的確な指示を伝令兵に向けて飛ばす。程なくして予備兵力である第九中隊は、第三中隊の援護に向かった。


「──それで、結局アメリア様を助けに行かないんですか?」


 再び援軍を口にするアンジェリカだが、そこに先程までの無邪気な笑みはない。真剣な眼差しでヨハンを見つめてくる。本気でアメリアを心配する様子が窺えた。


「さっきも言った通り、援軍を差し向けるほどの余裕はない。気持ちはわかるが今は無理だ」

「ならラーラ聖翔様に動いていただくとか?」


 尚も食い下がるアンジェリカに対し、ヨハンは安心させるように言った。


「そう心配するな。千人翔の位は伊達ではない」


 とは言ったものの、ヨハンとて確証があるわけではない。いかに魔法という人外の力があろうとも、所詮は人が扱うもの。油断すればあっけなく命を落とすことも十分あり得る。

 ただ、聡明なアメリアがこのまま手をこまねいているとも思えなかった。


「それはそうかも知れないですけど……」


 そう言いつつも、アンジェリカの表情は暗い。チラチラとこちらの様子を窺う様は明らかに納得していないと言わんばかりだ。

 ヨハンは軽く息をついた。


「それによく考えてもみろ。下手に手助けなどすれば後でアメリア嬢に文句を言われかねないぞ」

「うーん……確かにそれはあり得るかも……」


 視線を中に漂わした後、アンジェリカはたははと笑う。アメリアが高いプライドを持っていることをアンジェリカも良く理解しているのだろう。

 そうヨハンが思っていると、アメリア翔隊の方角からむせ返るような強い魔力の波動を感じた。魔法士だけが感じ取ることのできる波動だ。


「──どうやらアンジェリカの心配は杞憂に終わりそうだ」

「え? どういう事ですか?」

「今アメリア翔隊の方角から強い魔力の波動を感じた。おそらくはあの魔法を使ったに違いない」

「あの魔法? あの魔法ってどんな魔法ですか?」


 瞳を大きく開き、興味津々といった感じでアンジェリカが尋ねてくる。それに対し、ヨハンは大げさに肩を竦めて見せた。


「聞かないほうがいいぞ。聞けばきっと飯が喉を通らなくなる」

「えー! そんな言い方されたら絶対気になるぅー!」


 アンジェリカはそう言って、ヨハンの肩をこれでもかとばかりに揺さぶってくる。しばらくなすがままにされていたが、諦めそうな気配は微塵もない。ヨハンは仕方ないとばかりに、腰の遠眼鏡に手をかけた。


「わかったわかった。俺の遠眼鏡なら確認できる。そこまで気になるのなら自分の目で確かめろ。ただし」

「ただし?」


 ヨハンはアンジェリカを見据えて言った。


「見た後で文句はなしだ」

「もちろん! やったね!」


 ヨハンの手から素早く遠眼鏡を受けとったアンジェリカは、背中の大剣を元ともしない軽快さで近場の木をスルスルと昇っていく。しばらくすると、アンジェリカはフラフラとした足取りで戻ってきた。どことなく顔も青白い。


「うぅぅ……気持ち悪い。ストニアの兵たちが干物みたいになってた……」

「やはりそうか」


 予想通りだと述べるヨハンに、アンジェリカが不満そうに口を尖らせた。


「もう、なんなんですか。あの魔法?」

「吸血花。その名の通り対象者の血を吸う魔法だ。一滴残さずにな」

「うぇぇ。だから死体が干物になっているんだ……もしかして死体の周りに咲いている真っ赤な花って」

「察しがいいな。まぁ、〝証〟みたいなものだ。ちなみにアメリア嬢が扱う魔法の中でも、あれは飛びきり悪辣なものだと俺は認識している」

「悪辣過ぎますよぉ。 ──もしかして、ヨハン様もあんな魔法を使ったりするんですか?」


 瞳を揺らした上目遣いでヨハンをジッと見つめてくるアンジェリカ。ヨハンは頭をガリガリと掻きながら己に言い聞かすように言った。


「使わない。というより、俺には使えないといったほうが正しいか」


 どんな魔法を扱えるかは本人の性格や嗜好が色濃く反映する。かつての師父がそう言っていたことをヨハンは思い出していた。束縛系に属する〝吸血花〟は加虐嗜好のあるアメリアらしい魔法であり、ヨハンには到底扱える代物ではない。

 そう教えると、アンジェリカはホッと胸を撫で下ろした。


「良かった……」

「それで、状況はどうだ? おそらく好転したとは思うが」


 むしろ吸血花を目のあたりにしてなお戦意が消失しないのであれば、敵ながら称賛に値するが、


(もっともその可能性はないだろう)


 ヨハンは自嘲気味に笑った。


「そ、そうでした! アメリア様の魔法で敵は大分混乱しているようです。攻勢に出るのも時間の問題かと」

「そうか。意図していたわけではないが丁度良い頃合いだろう。こちらも動くとするか……」

「もう、やっとその気になったんですか?」


 アンジェリカは頬を膨らまし、ヨハンの左手に視線を向けた。


「別に出し惜しみしていたわけじゃない。ただ、タイミングを見計らっていただけだ」

「タイミング?」

「ああ、聖天使様の意向に沿うようにな」

「もしかして軍議の席で聖天使様がおっしゃっていたデモンストレーションってやつですか?」

「その通りだ。帝国が扇動した戦いである以上、どこかで奴らの目が光っているのは間違いないだろうからな。精々派手に見せつけてやるさ」


 左手の感触を確かめるヨハンに対し、アンジェリカは満面の笑みで拳を高々と上げた。


「じゃあ、ドカンと派手にぶちかましちゃってください!」

「はぁ……お前ってやつは本当にお気楽だな」


 ヨハンは深いため息を吐いた後、空に向けて左手を掲げる。焔光の魔法陣に魔力が注ぎ込まれていく中、アンジェリカは一旦後退の指示を飛ばしていく。


「──ヨハン様! 退避、完了しました!」

「ではやるか……お前たちの境遇には正直同情するが、これも戦の習いだ。悪く思うなよ」


 魔法陣からほとばしる灼熱の光と共に、ヨハンの掌から巨大な火球が放たれた。小さな太陽ともいうべきそれは轟音を響かせながらストニア軍の遥か上空で制止し、


「爆ぜろッ!」


 ヨハンが左手を握りしめると同時に火球は爆ぜ、ストニア軍の頭上に炎の雨を降らす。


 ──風華紅細雨。

 霧雨のように体にまとわりつく炎が、やがて対象者を紅蓮の炎に包んでいく。ヨハンが得意とする広範囲魔法のひとつであった。



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