第四十二幕 ~英雄と呼ばれた少女、化け物と呼ばれる少女~

 後世、漆黒の英雄と呼ばれたオリビア・ヴァレッドストーム。彼女がデュベディリカ大陸の歴史にその姿を現すのは、光陰歴九九九年頃だと伝わっている。デュベディリカ英雄記では戦争を背景に、美しき銀髪の少女オリビアが漆黒の剣を振るい活躍する姿が描かれている。

 子供向けの絵本が作られるほど愛されている英雄記だが、ほかの英雄記と比較すると全く異なる部分があることはあまり知られていない。


 多くの英雄記が主人公の生い立ちから始まるのに対し、デュベディリカ英雄記は十五歳のオリビアが王国の兵士として活躍するところから始まる。つまり、幼少期の頃の記述が一切見当たらないのだ。

 絵本は幼少の頃も描かれているが、子供向けにわかりやすく伝えるための創作であると作者自身語っている。


 このように生い立ちが一切不明な人物だが、最大の謎は死神に育てられたという点に尽きる。今も昔も死神とは架空上の存在。大抵の人間はその存在を否定し、鼻で笑うことだろう。

 仮に万歩譲ったとして、なぜ死神がオリビアという人間の少女を育てたのか。この疑問に答えられる者は誰もいない。


 だが、オリビアが語ったとされる数々の死神との逸話は、妙に具体的な部分も含まれていた。そのため多くの研究者の頭を悩ませることとなる。大方の研究者は、死神とはオリビアを育てた人物の隠語であると結論付けた。

 その一方で本当に死神が存在したのではないか、という一部の研究者もいた。


 その根拠となるのは、近年発見された一通の手紙。正確に表すならば、もの。オリビアの所持品と目される本から出てきたものであり、偶然整理をしていた管理人が見つけた。死神がオリビア宛に書いたものではないかとされる実に怪しげな代物だ。

 そう言われている理由のひとつは、書かれた文字にある。どの時代にも合致しない全く未知なる言語が書かれていたからだ。またそれを裏付けるかのように、オリビアが時折意味不明な言葉を使っていたとの記述も残されている。

 当時その是非を巡って激しい論争が行われた。


 結局のところ、この論争に決着はついていない。オリビア・ヴァレッドストームは今もって謎多き人物であり、またそのことが今日こんにちにいたっても多くの者たちを魅了している理由だろう。



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 ──王国北部 ウィンザム城


 現在ローゼンマリーの軍が拠点としているウィンザム城。小高い丘の上に築かれた白亜に輝く美しい城だが、戦って得たものではない。それを証明するように、城に戦いの傷跡は見られない。

 とある領主から是非お役立てくださいと献上されたものだ。ほかにも〝挨拶〟と表して名画や宝剣。果ては金貨の詰まった大袋などといった露骨なものまで、続々とローゼンマリーの元に届けられていた。


 これは北方戦線にて第三、第四軍の敗北を知った北の地方領主たちが、帝国軍に対して恭順の意を示した結果に他ならない。結果としてローゼンマリーは、北部地域の北半分をすんなりと制圧下に置くことができた。

 すでに彼らの中では、王国は終わった国と認識されている。新たなる支配者である帝国に少しでも良い印象をもってもらうため、靴を舐めるがごとく媚びへつらっていた。


 ローゼンマリーの副官であるガイエル大佐は、執務机に置かれた親書の束を見て溜息を吐いた。

 

「これがかつて獅子の国と恐れられた王国とは信じられません。特にこの城を差し出してきた男。こう言ってはなんですが、侵略されたのにもかかわらずへらへらと。正直虫唾が走りました。彼らに自尊心はないのでしょうか?」

「結果がそれを証明しているだろう? 見た目だけは立派な大樹だが、地面の下は相当根腐れしていたということさ」


 ローゼンマリーは鼻を鳴らす。


「まぁ、制圧する手間が省けたので、こちらとしては有り難い話なのですが」

「そんなことよりも、オスヴァンヌ大将を殺った第七軍の動きはどうなっている? いい加減〝陽炎〟から連絡があってもいい頃じゃねえのか?」


 明らかに苛立ったような口振りでローゼンマリーは言う。その問いに対し、ガイエルは首を横に振る。第七軍の動向を探るため各地に陽炎を放っているが、未だに情報は得られていなかった。


「いえ、陽炎からはまだなにも……」

「ちっ! 案外陽炎も……ん? 何か心配事か?」


 鋭い目を向けてくるローゼンマリー。ガイエルは内心で舌打ちした。


(しまった。顔に出ていたか……やれやれ。私もまだまだということか……)


 副官たる者、表向きは常に冷静でいなければいけない。たとえ相手がローゼンマリーだとしても、それは変わらない。しかし、疑念を持たれてしまった以上、ここで言葉を濁すのは得策ではないだろう。

 そう判断したガイエルは、意を決して答える。


「閣下はご存じでしょうか? 第七軍が化け物と呼ばれる少女を飼っているという噂を」


 言った途端、ローゼンマリーの腰かけている椅子から悲鳴のような軋みが響く。その反応を見たガイエルは、すでにローゼンマリーの耳に入っていることを悟った。捕虜交換で戻ってきた兵士が口々に語る美しい少女の皮を被った化け物の存在。剣も届かず、矢も届かず、立ち塞がった者は誰も生きて帰れない。

 この手の話は過去例がないわけでもない。相手を極端に恐れるがあまり、時に人間を越える──人外の存在に見立ててしまう。要するにおとぎ話に出てくるような妄想の産物であることをガイエルは知っている。


 しかし、今回は妄想を抱く人数が桁違いに多い。化け物と呼ばれるたったひとりの少女に、数千人の兵士が恐怖している状態だ。化け物と相対した兵士の中には、気がふれた者も多いと聞く。これを単なる妄想の産物だと切って捨てることはできない。

 それだけに、第七軍との戦いに一抹の不安を覚えていた。そんなガイエルの心中を知ってか知らずか、ローゼンマリーはせせら笑う。


「化け物の少女? はっ! それがなんだっていうのさ? 相手が何者だろうと、オスヴァンヌ大将を殺った償いはきっちりとつけさせてやる。こいつを使ってな」


 ローゼンマリーは立ち上がると、背後の壁にかけてある一振りの剣を手にする。鞘からゆっくりと抜かれた鋼色の剣は、次第に熱を帯びたように赤く染まっていく。周囲の温度が若干上がったように感じるのは気のせいだろうか。ガイエルは内心で首を傾げた。


「……不思議な剣ですね。それが〝魔法〟と呼ばれる女神の御業なのですか?」

「そんな詳しいことはあたいも知らないよ。フェリックスからのもらい物だしな。ただ、こいつに斬られた奴はおそらく地獄のような苦しみを味わうってことだけさ。たとえ、それが化け物であったとしても」


 剣を掲げ、口の端を吊り上げるローゼンマリー。今や王国を打倒することより、オスヴァンヌを屠った敵を討つことに意識が向けられている。心情的にはわからなくもない。が、仮にもローゼンマリーは一軍を率いる総司令官だ。

 諌めるべきと判断したガイエルは、未だ歪な笑みを浮かべるローゼンマリーに諫言する。


「オスヴァンヌ大将の敵討ちも大事ですが、閣下は〝くれない〟の騎士団を率いる総司令官です。しかも、帝国三将という重責も担っていらっしゃる。そのことをくれぐれもお忘れなきよう願います」

「そんなことは言われなくともわかっている。だから柄にもなく内政の仕事もやっているんだろ」


 机に置かれた書類の束を軽く叩きながら、ローゼンマリーは不満そうに視線を逸らす。立場上ローゼンマリーは、為政者として制圧した北の地域を納めなければならない。今回は領主自ら降伏したため、そのまま代行者として利用している。これは征服者に対する民衆の不満を、帝国に尻尾を振った領主に向けさせるという狙いがあった。


 さらに領主の名のもとに、民衆に不利益になるような政策をあえて実行させていく。やがて不満が最高潮に達したとき、領主の座を正式に帝国の文官に移行。その際、前領主は民衆の手で殺させるまでがローゼンマリーの計画だ。

 ローゼンマリーはその力にばかり評価が傾きがちだが、実は策略家として優れた才をもっていることはあまり知られていない。やり方は実に狡猾極まりないが。


(北部全域を支配するにはまだ時間がかかる。まずは制圧下に置いた北の地盤を固めるのが先決だな……)


 戦いはまだまだ続く。第七軍を叩くためにも準備は万端にしておかなければならない。なにせ相手は、化け物と呼ばれる少女を飼っているのだから。

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