第四十一幕 ~死神の手がかり~

 ガリア要塞で軍議が開かれた翌日。

 ホスムント率いる三千の騎兵連隊は、北部南端に位置する城郭都市エムリードに向けて進発した。北部の帝国軍が中央に向けて南下するならば、エムリードを制圧して拠点とするだろうと考えたからだ。結局アシュトンの案は却下され、ホスムントの案が正式に採用される運びとなった。


 また、一週間後にオリビア率いる騎兵連隊が第二陣として進発。さらに本隊の進発は二週間後と合わせて決まった。

 要塞内が出立に向けて慌ただしくなる中、オリビア、クラウディア、アシュトンの三名は、兵舎食堂で昼食を摂っていた。


「なあ、昨日の発言は何だったのだ? あまりにも想像が過ぎていると言うか、ちょっと妄想じみていて怖かったぞ」


 眉根を寄せながらスープを飲んでいるアシュトンに、遅れて席に座ったクラウディアが声をかける。すると、スプーンを持っていた手がピタリと止まり、アシュトンは困ったような笑みを浮かべた。


「あのときはそう思ったんですよ。確かに想像が過ぎていると言われれば、それまでですけど……」

「ほうかな? あふぁしはありふぇない──」

「少佐、ちゃんと飲み込んでから話してください。お行儀が悪いですよ」


 クラウディアが窘めると、オリビアはコクコクと頷く。傍から見るとまるで姉妹のようなやりとりに、アシュトンは知らず笑みをこぼす。

 不意に金髪のクラウディアと銀髪のオリビアの並ぶ姿が、王国の紋章である獅子を連想させた。そうすると、さしずめ杯は二人の真ん中に置かれているコップだろうか。

 そんな益体もないことを思った。


「──私はありえない話だとは思わなかったよ。アシュトンの言う通り、タイミングが良すぎない? 私たちがカスパー砦を落としてから、たった二ヵ月で第三、第四軍が壊滅だよ? 第七軍に対する挑発行動と考えてもおかしくないと思うけど」


 オリビアはアシュトンの考えに賛同する。ではなぜ軍議の席で発言しないのかとクラウディアは思ったが、夢中で紅茶を飲むオリビアの姿を思い出した。


「そうは言いますが、あまりにも話が飛躍しすぎていませんか? 北部の帝国軍が我々第七軍を誘っているなんて」


 ──アシュトンが軍議の席で語ったこと。


『北部に展開する帝国軍は、カスパー砦を奪取した第七軍が現れるのを待っている。なので、慌てて軍を動かす必要はない』


 そう話し始めたとき、大方の将校は『こいつ、頭は大丈夫か?』という目を向けていた。パウルやオットーなどは終始黙って話を訊いていたが、周囲が気づく程度には困惑の表情を浮かべていた。

 ホスムントなどは「さすがオリビア少佐付きの軍師様は大胆な発想をしていらっしゃる」などと言いながら、くつくつと笑う始末。


 その時はオリビアまで馬鹿にされたようで、クラウディアは正直腹が立った。だからと言って、その場で声を荒げるほど狭量でもない。

 ただ、その件を抜きにしても、アシュトンの発言はあまりに想像の埒外だった。


 ある程度はアシュトンのことを理解しているつもりのクラウディアだが、さすがにあの発言を擁護するだけの材料も、そして勇気も持ち合わせていない。


(少佐はアシュトンの発言を理解している。結局のところ、私はアシュトンという青年を、その器を計りかねているのだろうか?)


 そんなことを考えながらアシュトンを見つめていると、


「ま、まあ僕も確証があって言ったわけではありません。そんなに気にすることはないと思いますが」


 などと他人事のように言いながら、クラウディアの視線から逃げるように再びスープを飲み始める。どうやら多少のお説教が必要なようだ。


「馬鹿者! だったら不用意にあんな発言をするな」

「い、いやそうは言いましても、鬼──オットー上級大佐がいきなり話を振るから慌てましてつい……」


 困ったように頬を掻くアシュトンに、クラウディアは大きな溜息を吐く。将校になって日が浅いので、戸惑う気持ちもわからないではない。

 だからと言って、いつまでも一兵卒の気分でいてもらっても困る。


「全く……あの場で意見を求められるのは当然だ。仮にも少佐の軍師だろう。アシュトンはもっと毅然とした態度で臨みたまえ」

「あはっ。アシュトン怒られちゃったね」

「おまっ!? ……はぁ。すみませんでした」


 アシュトンはガックリと肩を落とす。オリビアはそんなアシュトンに「あんまり気にすることないよ」と言いながら、軽く肩を叩いている。

 その姿はまるで弟を気遣う姉のようだ。年齢はアシュトンが四つばかり上のはずだが。そんな二人にクラウディアは内心で苦笑しつつ、オリビアに話しかけた。


「それと少佐は昼食後、家名を決めていただきます。この前みたいに逃げないでくださいね」


 この前は見つけるのに三時間もかかりました。満面の笑みを浮かべながらそう詰め寄るクラウディアに、オリビアは顔を背けながら囁くような声で反論する。


「別に家名なんていらないよ。名前があるからそれでいいじゃない」

「ダメです。少佐も王国の騎士に任命されたのですから、貴族の家名を継ぐのは当然です。それに、オットー上級大佐からも早く決めろと言われています」


 さらに詰め寄るクラウディアに対し、オリビアは両耳を塞ぎながら机に突っ伏す。そんなオリビアに、アシュトンは優しく肩を叩く。


「オリビア。早く決めた方がいいぞ。鬼──オットー上級大佐は怖いから」


 そう言うと、アシュトンは何かを思い出したように身を震わせる。オリビアは顔を上げると渋々といった表情で頷きながら、目の前のスープを一気に飲み干した。



 ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 死んだ魚のような目をしながらオットーの元に向かうアシュトンを見送り、二人はクラウディアの自室へと向かった。


「へぇ。クラウディアの部屋って随分綺麗なんだね」


 オリビアは興味深そうに部屋を見渡しながら言う。ベッドと文机。それに小さな書棚があるだけの飾り気のない部屋だ。

 クラウディアとしてはオリビアの部屋があまりに散らかり過ぎているだけだと思っているが、それを口にすることはない。


「まあ、ほとんど寝るだけの部屋ですからね」


 そう言いながら、一冊の分厚い本を書棚から取り出す。何らかの理由ですでに断絶した貴族の家名が記されている本だ。

 ベッドに腰掛けるようオリビアに勧めると、クラウディアも隣に座りながら本を広げる。


「──って、少佐! 何をやっているのですか!」

「ご飯食べたら眠くなっちゃった」


 ベッドの中にもぞもぞと潜り込もうとするオリビアを強引に引き戻し、クラウディアは本を目の前に突き出す。


「さあ、早く決めますよ」

「クラウディアってホント強引だよね」


 ぶつぶつと文句を言いながらも、オリビアは興味なさげにペラペラとページをめくっていく。あまりのやる気のなさに口を開こうとした途端、オリビアの手がピタリと止まった。


「この紋章……」

「ん? どれですか?」


 クラウディアが本を覗き込むと、髑髏ドクロの額にひし形の赤い宝石。さらには黒い大鎌が交差した不気味な紋章が描かれている。

 どうやら百年以上前に断絶した貴族らしいが、理由が記載されていなかった。


「ヴァレッドストーム家ですか……。しかし妙ですね。普通は断絶にいたった理由が明記されているはずですが、ここには何も書かれていない……?」



 クラウディアが首を傾げている横で、いつになく真剣な表情で紋章を見つめるオリビア。普段の飄々とした姿は、完全に影を潜めていた。


「──クラウディア。私の家名、これに決めた」

「え!? 早く決めろとは言いましたが、そんなあっさり決めなくてもいいんですよ。ほら、ほかにも色々とありますから」


 よりにもよって、不気味な紋章を持つ家を選ぶ必要はないだろう。クラウディアはオリビアから本を奪い、慌てて別のページを開く。

 だが、オリビアは見向きもせず言い放った。


「いいの。今日から私はオリビア・ヴァレッドストーム。ところで、断絶の理由は調べられないの?」

「断絶の理由ですか? そうですね……王都にある王立図書館に行けばわかるかもしれません。あの場所はファーネスト王国の歴史そのものですから」


 どうやらオリビアは断絶の理由がかなり気になるらしい。真剣に話す様子からもそれは明らかだ。


「ふーん。王立図書館に行けばわかるんだ──あ、それよりもオットー副官に早く家名を決めろって言われていたんでしょう? 早く知らせに行ってあげなよ」

「え? ちょっ、ちょっと押さないでください! 行きます! 行きますから!」


 オリビアの尋常でない膂力に押されたクラウディアは、為す術もなく部屋を追い出された。


(一体少佐はどうしたというのだ?)


 急な展開に戸惑いながらも、クラウディアはオットーの元へと向かった。



 オリビアは遠ざかる足音を聴きながら、ベッドに投げ出された本を手に取った。それと同時に懐から緋色の宝石を取り出す。

 ヴァレッドストーム家の紋章が描かれたページを開き、自身の持つ宝石と真剣に見比べた。


(やっぱり一緒だ)


 そう確信を抱きながら、オリビアは髑髏の背後に描かれた黒い大鎌に目を落とす。口の端は徐々に上がっていき、やがて大きな笑い声が部屋中に響き渡った。


『アハハッ! ツイニゼットノ手ガカリヲ見ツケタ! 待ッテテネ、ゼット!』


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