第四十幕 ~落日の王国~

 王都の民は、第三、第四軍壊滅の報に激しく動揺した。ベールクル会戦の大勝利を始め、かつて帝国領に進攻するほどの勢いを見せた武勇を知っているからだ。

 それと同時に、王国北部が帝国軍の手に落ちたと悟る。


 目端の利く商人などは最早これまでと思い定め、次々とサザーランド都市国家連合に逃げ出していく。彼らの中には、王家と取引のある商人も多数含まれていた。

 そのことが事態の深刻さをより顕著に表しているといっていい。


 また民衆にとって死活問題なのは、日々を生きるための食料だ。商人が少なくなれば当然食料などの流通が滞り始める。

 王都ということもあり、食料はそれなりに備蓄されている。そのため、目立つ略奪や暴動などの騒ぎは起きていない。

 だが、時間が経つほど状況が悪くなるのは誰の目から見ても明らかだった。




 ──王都フィス。レティシア城、謁見の間。


 カスパー砦奪還の一報を受けたとき、アルフォンスは狂喜した。久々の勝利ということもあったが、キール要塞奪還に向けて弾みがついたと思ったからだ。

 だが、僅か二ヵ月ほどで状況は一転。第三、第四軍壊滅の報がもたらされると、アルフォンスは絶望の淵に立たされた。

 さらに王家と取引のある商人が、王都から消えたと聞かされて声を失った。すなわち、ファーネスト王国に未来はないと断言されたのも同然なのだから。



(ここも大分静かになったものだな)


 コルネリアスは謁見の間を見渡しながら、内心で苦笑した。かつては連日のように目通りを願った者たちの姿はなく、大扉が滅多に開かれることはない。

 謁見の間を彩る高価な調度品も、今となってはどこか寒々しい印象を与えてくるだけだ。


 僅かな感傷にコルネリアスが浸っていると、最奥の扉から響く微かな足音に気がついた。コルネリアスは素早く片膝をつき、臣下の礼をとる。

 すぐに衛兵によって扉が開かれ、近衛を引き連れたアルフォンスが姿を見せた。アルフォンスはコルネリアスを一瞥すると、玉座に座るや否や話しかけてきた。


「爺。余は今後どうすればいい? もうなにをどうしていいかわからなくなってしまった」


 大きな溜息と共に弱音を吐くアルフォンス。その声には全く覇気が感じられない。顔色も青白く、目もどこか虚ろげだ。

 侍従から食がめっきり細くなったと訊いていたが、若干痩せたようだ。


 その弱々しい姿は、とてもファーネスト王国を総べる王とは思えない。宝石をふんだんに散りばめた銀色の王冠が、辛うじて王を王たらしめている。

 コルネリアスは心の中で痛ましいと思いつつ、鼓舞するよう口を開く。


「陛下。そんな弱気なことでどうするのですか。北部はまだ十分取り返せますぞ。我が第一軍の総力をもって、その任に当たらさせていただきます」

「そ、それは絶対にダメだッ! 第一軍は王都を中心として、中央地域を守ることだけを考えていればいい!」


 激しい拒否反応を示すアルフォンスに、コルネリアスは嘆息する。

 中央地域は王都フィスが中心となり、交易都市として栄えていた。人の往来も北部や南部と比ぶべくもない。

 人が多ければ当然、物や金も集まる。敗北を重ねると共にだいぶ人数は減ったが、それでも王国の屋台骨を支える重要な地域だといえた。


 アルフォンスは軍事方面の才能はないが、経済方面に関してはそれなりに長けている。それだけに同じ拒否でも前回とは比べものにならない重みがあった。

 コルネリアスが第一軍の派兵を強く推せない理由だ。

  

「では先の命令通り、中央戦線はこのまま第二軍のみに任せるのですか? 仮に北部の帝国軍が南下した場合、確実に包囲されますが?」

「そうだ! ……それが酷なことくらい、余もわかっておる。だが、こればかりはどうしようもないじゃないか……」


 うな垂れるアルフォンスに、コルネリアスは絶句する。子供の頃から知っているが、ここまで弱々しい姿を見たことがなかったからだ。

 だが、同時に安堵もした。アルフォンスなりに、第二軍の状況を快く思っていないことがわかって。


「陛下、その第二軍から第七軍に北部の帝国軍を対処できないかと打診を受けております。これはいかがなさいますか?」


 この言葉が意外だったのか。アルフォンスは僅かに顔を上げると、綺麗に整えられた眉根を寄せる。


「第七軍に? ……彼らはカスパー砦の防衛があるではないか」

「そこは問題ございません。すでにカスパー砦を中心に堅固な防御ラインを引いております。第七軍が動くのに、なんら支障はありません」

「……余をたばかっているのではあるまいな?」


 そう言うと、疑惑の目を向けてくる。コルネリアスはアルフォンスの疑惑を取り除くよう、真っ直ぐその目を見返した。


「陛下をたばかるなど滅相もございません」


 即座に不定するコルネリアスに対し、ならばキール要塞から大軍が差し向けられたらどうすると尋ねるアルフォンス。

 折角奪い返した砦を、また奪われやしないかと恐れているのだろう。その問いに、コルネリアスは自信をもって答える。

 

「カスパー砦は第七軍でも守備に定評がある将軍が守っています。たとえ大軍を差し向けられたとしても、三倍程度の敵なら問題なく追い払うことが可能です」


 その言葉に、アルフォンスはしばらく目を閉じ考えるような仕草をとった。時間にして五分か、十分か。あるいはそれ以上か。

 コルネリアスが辛抱強く待っていると、アルフォンスの目が開き、ゆっくりと口が開かれる。


「──わかった。爺を信じる。第七軍の援軍は認めよう。だが、先程も申した通り、第一軍は王都を中心とした中央地域の守備だ。よいな?」

「はっ! ご許可いただきありがとうございます!」

「なに。前みたいに突然辞任すると言われても困るからな」


 皮肉交じりにそう言うと、アルフォンスは疲れた表情を浮かべながら謁見室を後にした。残されたコルネリアスはゆっくりと立ち上がり、深呼吸をする。


(わしができるのはここまでだ。後はパウルがどれだけやれるかだが……)



 ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 ──ガリア要塞、作戦会議室。


 イリス会戦の功により大将に任じられたパウルは、主だった将校を集め軍議を開いた。アルフォンスから北部の帝国軍を迎撃するよう勅命が下されたからだ

 居並ぶ将校の中には、同じく階級を上げたオリビア少佐。そして、クラウディア中尉、アシュトン准尉の姿もあった。


「──すでに周知の通り、我々は王命に従い北部の帝国軍を迎撃することになった」


 そう切り出したオットー上級大佐に、将校たちは揃って神妙に頷く。頬杖をつき退屈そうに天井を見上げているオリビアを除いて。

 オットーは条件反射の域まで達しつつある拳の震えを押さえながら、淡々と現在の状況を説明していく。

 それに対し将校から次々と意見が述べられていく中、ひとりの将校が手を挙げた。イリス会戦で右翼を率いたホスムント少将である。


「第二軍が危険な立場に立たされていることはわかった。ならば一刻を争うだろう。状況確認も含めて、私が三千程の兵を率いて先行するのはどうだろうか?」


 ホスムントの言葉に、将校たちの反応は二つに分かれた。とくに問題ないとばかりに頷く者と、曖昧な表情を浮かべる者。

 前者の反応はそのままの話だが、後者の反応は功を焦るホスムントの姿が透けて見えるのだろうとオットーは推察する。


 そして、事実ホスムントは焦っていた。イリス会戦で目立った功も挙げられず、カスパー砦は到着する前に陥落してしまった。

 同僚のエルマンが中将に昇格したことが、焦りに拍車をかけていた。


「閣下、ホスムント少将は左様に申しておりますが?」


 パウルに話を振りつつも、オットー自身は微妙な意見だと思っている。状況を確認するのであれば、斥候部隊を放てばいい。

 功を焦る気持ちもわかるが、まずは中央に進出してくるであろう前衛部隊の撃滅だ。最終的には北部を奪還することも視野に入れている。

 オットーとしては、少ない兵を分散して万が一にも失うリスクを避けたかった。


「ホスムント少将。状況を確認するのであれば、斥候を放っておけば済む話ではないのか?」


 パウルも同じことを考えたのだろう。オットーと同じ考えを口にしたが、ホスムントは即座に反論する。


「パウル閣下。こうしている間にも、北部の敵はいつ南下してくるかわかりません。今回、最大の敵は時間と考えます。拙速をもって事に当たらなければ、第二軍は壊滅してしまいます。斥候を放って情報収集している時間はないかと」

「ふむ……そう言われてみると、ホスムントの意見は一理あるな」


 パウルがそう述べると、ほとんどの将校たちが納得顔で頷いている。例外は大きな声で紅茶のおかわりを頼んでいるオリビアと、その両隣で恥ずかしそうに俯くクラウディアとアシュトンくらいだ。

 オットーはひとつ咳払いをすると、オリビアに尋ねた。


「オリビア少佐は、なにか案などはないかね?」

「──私ですか? うーん。敵を視てから考えます」


 そう言うと、運ばれてきた紅茶に貴重な砂糖を惜しげもなく入れ、美味しそうにすするオリビア。その態度にオットーは呆れながら、俯くアシュトンに視線を移す。


「アシュトン准尉はどうか?」

「は、はっ! とくに先行させる必要はないと思います!」


 言った瞬間、アシュトンは顔を引き攣らせる。明らかに失言だったと言わんばかりに。当然、将校たちの視線がアシュトンに集中していく。

 そんな中、眉を跳ね上げるホスムントが問うた。


「アシュトン准尉、と言ったね。カスパー砦における君の軍略は訊いている。その君がなぜ私の案を不定するのか、非常に興味が湧く。是非理由を聞かせてもらってもいいかね?」


 ピリッとした空気が会議室を覆う。その空気を作ってしまったアシュトンが、すがるような目をオットーに向ける。

 その視線に対し、オットーは僅かに口の端を吊り上げながら黙って顎をしゃくった。どうやら意見を述べない限り、助かる道はないらしいとアシュトンは悟る。

 

 口は災いの元。そんな言葉を思い出しながら、アシュトンは自らの考えを語りだした────

 

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