第7話 暗殺者


 咢は乗っていた車の上によじ登った。車は運転手がいないのにも関わらず走り続けている。

――おそらく車が走り続けているということは恭介がミラーワールドで運転しているのだろう。闘えるのは俺しかいない。


 咢は京子と対面した。彼女の顔は完全に色を失い、冷酷なオーラを放っている。

「キョーコ、話を聞いてくれ!」

京子はゆっくりと銃を下した。

「お前が父親から命じられてこんな殺しを行っているのはもう知っている。こんなことはやめろ。こんなことしたって誰も救われねぇぞ」

「またそんな嘘を言うのね」


 彼女は顔色一つ変えず答えた。

「勘違いしているみたいだから言っておくわ。私はただ依頼をこなしているだけ。別に父親の言葉だからとかそんなことは微塵も思わないわ」

「依頼主はもういないんだぞ。従う必要なんてないだろ」

「あなたには分からない。私の生きる目的は依頼をこなすことだけ。それ以外に求めるものはない。そう体に教えられて生きてきた」

「依頼をこなしたらどうするつもりだ」

「……そんなことはどうでもいい。依頼があればまた人を殺す。なければ私に生きる意味はない。感情なんてとうに忘れたわ」

「なんでもっと自由に生きようとしないんだ!」

 咢は叫んだ。車のエンジン音に負けないくらいの声を張り上げた。


「俺は今日お前とデートしたとき、正直に言って楽しかったよ。俺自身お前が嘘ついているのは分かっていたからさ。楽しむフリをしなくちゃいけないと思っていたけど、そんなことすら忘れていたよ。お前はほんの少しも楽しくなかったのか? 本当に感情を忘れてしまったのか?」

 京子は目を合わせなかった。

「もういいでしょ、あんたに用はないの。足綿恭介、あいつの居場所を教えなさい」

「これ以上、俺たちが争う必要なんてないんだ。分かってくれ!」

「話にならないわね。いいわ、殺してでもやつのことを聞き出してやる」

 京子は一瞬にして姿を消した。それと同時に咢もスタンドフェイスを発動する。


 彼女の能力、”存在の消失”(サイレントディレイ)については既に恭介から聞いていた。

 この能力は発動すると周りの人間は発動者を全ての感覚で認識できなくなる。例えば、歩く音や香水の香りなどの五感で受け取る情報を周りの人間は受け取ることができなくなる。たとえ目の前にいたとしてもその姿は網膜に写らなくなってしまうのだ。能力を知らずに対峙してしまうとまず勝つことはできない。


 そんな能力に対して、咢ができる対策は自らの能力だけだった。

 分かってはいる、彼女も自分の能力を知っているということを。ショッピングモールでの出来事で、咢が能力が封じることができるのも知っているだろう。だが、出し惜しみもしてられなかった。


 すぐにトラックに飛び移る。京子の姿はどこにも見えない。

――自分の能力の限界範囲は半径約五メートルの円と同じ。近くの車に飛び移ったなら見えるはずだ。遠くに逃げたのか? 能力の限界時間はきっと知らないなら、隠れて隙を伺っているかもしれない。


 能力を解除した。リスクを回避している余裕はない。スタンドフェイスはあと二十秒程度しかもたないのだ。

――落ち着いて計算しろ、俺が能力をやめてから最大で襲い掛かかってくるのに何秒かかるかを。

 落ち着いて天空を見上げた。命の張りつめた状況では冷静さを保つのも一苦労である。

――あいつの移動速度と俺の能力の限界範囲から推測するに四秒以上はかかるはず。四秒待つんだ……ここで四秒すら耐えれないならきっと勝機はない

 目を閉じ神経だけを尖らしてじっと待った。


 四……三……二……一……!

 数え終わろうとしたその時、喉元に何か刃物が当たっている感覚を感じた。すぐに能力を発動したが、ナイフは喉に刺さり少量の血が飛び出す。間一髪後ろに後退しながらナイフを掴むことには成功したが、京子はナイフを離しすぐに消えていった。急いで周りを見渡すが、京子の姿はまたも見えなくなってしまった。

――このままじゃジリ貧だ。俺の能力の限界時間ばかりが削られてる。次は確実に捕まえなくちゃならねぇ。


 次第に状況は変化していった。走っている間に渋滞は緩和し、周りにある車の数もかなり減っている。車の数を目で数えた。

――目に見える限りでは4台、いや飛び移れる距離にあるのは3台だけだ。一か八かやるしかないな。


 咢は覚悟を決めた。

 最もぎりぎり届きそうな距離で走っているバスに狙いを定め、助走をつけてトラックを蹴った。何とか転がりながら能力を発動する。この決断は偶然の幸運を引き寄せた。顔を上げると驚いた表情で京子立ち竦んでいる。

「ビンゴ! 当たったな」

 もう能力は限界に近い。彼女は素早く懐に忍び込みナイフを突き出す。咢はあえてそのナイフを腹で受けきった。

 ぐはぁっと痛みで吐血する。だが、その表情には笑みが浮かんでいた。

「スピード勝負じゃ敵わないって分かってるからよ。ただこれでやっと捕まえたぜ」


 がっしりと彼女のナイフを持つ手を掴み、必死に痛みをこらえた。なんとか逃がさないように手に力を入れる。ただ彼にここから先のビジョンは見えていなかった。

 その時、京子の後ろに突然人影が現れた。

「キョースケ! どうしてここに」

「その話は後だ」

 恭介は後ろから京子の首を絞める。片腕の自由を封じられながらも必死に抵抗したが、さすがの彼女も叶わず意識を失った。


「ふぅ~、危なかったな」

「おい、車はどうしたんだ?」

「お前の妹に変わってもらったよ。免許持ってないって言ってたけど」 

「嘘だろ! 早く戻らなくちゃ」


 咢に手伝ってもらいながら何とか車に戻る。美也はガチガチになりながらハンドルを握っていた。聞くととりあえずまっすぐ進めば大丈夫と自分に言い聞かせて走っていたらしい。


 運転を代わり、一旦道の端に車を止める。

 恭介に応急処置をしてもらった。腹に刺さったのが短刀だったお蔭で傷はあまり深くならずに済んだようだ。


 美也は緊張したためか車を止めて運転を変わると助手席ですぐに眠ってしまった。恭介は隣で眠っている妹にそっと掛布団をのせる。

「キョースケ、お前結構めちゃくちゃなやつだな。警察が普通無免許の人間に運転なんてさせねぇぞ」

「そうだな……俺の中の”正義”という名の精神も揺らぎつつあるのかもしれないな」

 恭介は悲しげな顔をしている。彼自身もこの色々あった事件の中で悩み続けているのだろう。


「それにしてもまさか運転中に襲われるだなんて、とんだ不運だったな」

「まあこれでキョーコにも話を聞くことができる。状況はきっと進展してる」

 気を失い腕を後ろで縛られた京子を見張るため咢も後部座席に乗った。


 車を出し高速から降りた所で、京子は目を覚ました。

「こ、ここは……」

「目が覚めたか、とりあえず大人しくしてろよ」

 彼女は虚ろな目をしている。

「私をこれからどうするの」

「どうもしない。ちょっと質問には答えてもらうくらいだ」

「……分かったわ。なら一つ質問に答えてくれる?」

「なんだ」

「父は、本当に死んだの?」

 運転している恭介が答えた。

「ああそうだ。それも一週間も前のことだ」

「そう……」

 彼女は俯いて何も話さなくなった。

 咢は今彼女に質問するのは酷だと思い、何も言わずに目線を逸らす。


 その時だった。突然、京子の近くのドアが開き、彼女は外に飛び出した。だが、当然彼女は身動きが取れない。急いで外を覗くと、そのまま道を転がったまま、反対車線を通行していたトラックに押し流され姿を消した。


 音を聞いて恭介が話しかけてきた。

「どうした! 何かあったのか!」

 突然の出来事に体が固まる。恭介の言葉にも反応できないほど、目の前の光景が信じられなかった。

 車内には彼女が使っていた短刀だけが残っていた。

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アルカナ・ワールド ゴルゴ竹中 @gmtoboku

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