②
※
「それじゃあ、自分は色々と後片付けがある為に病院に戻りますね。先生、くれぐれもかぐやさんに無理をさせてはダメですよ」
「ナギ、お前……俺の職業が何か知っているか?」
かぐやが倒れてから、数時間後。しばらく意識を失っていたものの、頭を強く打たなかったことが幸いだった。目を覚ましてからは検査や点滴を経て、こうして何とか自宅に帰ってくることが出来た。
二人のいつも通りのやり取りに、ざわつく心が少しだけ安らぐ。
「かぐやさんも、今日はお疲れでしょうからゆっくり休んでください。うんと先生をこき使ってあげちゃってくださいね!」
「えっと、ありがとうございます」
それでは。玄関のドアを開けて、凪は足早に病院へと戻って行った。途端、急に静かになった空気にかぐやは思わず緋月を見る。
「やれやれ、相変わらず口煩い助手だ。まあ良い。ナギの言う通り、今日はゆっくりしていると良い」
「えっと、でもお洗濯とお夕飯を――」
「今日は俺がやるさ。心配するな、任せっきりにしてはいたが家事が出来ないわけじゃないんだぞ」
よしよし、とかぐやの頭を撫でる緋月。それくらいわかっている。かぐやが幼い頃はずっと、緋月が面倒を見てくれていたのだから。
料理に洗濯、掃除など。今ではかぐやの仕事だが、普段はやらないだけで本当ならば緋月の方がずっと上手い。
「でも……」
でも、それなら自分は何のためにここに居るのだろう。彼の役に立たなければ、そのためにこの世に存在するのに。
「そういえば、お前が倒れた後。羽藤結衣奈が凄かったんだぞ。あの後、すぐに両親に電話をかけてな。彼女は来年から社会人だから、妹を引き取って自分は独り立ちすると言ってな。それは流石にどうかと思うが、きっと彼女の両親も考えを改めることになるだろう」
かぐやの思いにも気が付かず、緋月が喋りながらリビングへと戻る。彼の後を静かについて行きながら、かぐやは何とか相槌を打つ。
「そ、そうですか」
「俺達三人以外は、今でもまだ意識が朦朧としているらしい。命に別状は無いし、もう少し休めばもう大丈夫だろう。椛田教授は今回の責任を問われるだろうな。そうなると、次の教授は麻佳先生になるだろうから、俺の胸中は穏やかになって非常に良い。ただ、羽藤真衣子には引き続きカウンセリングを行っていく必要があるから、入院は長期になりそうだが。あの様子では、お前が話したことも覚えているかどうか微妙だろう」
はっとした。そうだ、かぐやは真衣子に自分の秘密を話してしまったのだ。絶対に秘密だと言われていたのに。
表向きでは、かぐやは緋月の妹で居なければならないのに。
「すみません。羽藤さんに、私のことを話してしまって」
「気にするな。あそこでお前のことを知らなかったのは羽藤真衣子と結衣奈、それから看護師の数名だ。真実をうやむやにするのは簡単だ。それに、羽藤結衣奈もモニターで見ていたそうだが、真衣子を混乱させる為の作り話だと思っていたぞ」
そう気に病む必要はない。緋月はそう言うも、かぐやは納得出来なかった。ああ、駄目だ。不必要なことばかり考えてしまう。
「……かぐや。少し話をしないか」
「え?」
不意に手を取られ、軽く引っ張られる。向かった先は、リビングの窓際だった。二人の家にはベランダやバルコニーは設置されておらず、高層マンションゆえに窓も嵌め殺しで開けることはできない。
その代わりに、リビングの窓は床から天井まで届く程に大きい。そこからは、夢宮の街を一望することが出来る。
夕暮れに染まった街を見下ろしながら、緋月が口を開く。
「お前、俺に話さなければいけないことがあるんじゃないか? 担任の田畑先生から連絡があってな。お前が、締め切りを過ぎたのに進路希望の用紙を書けていないと」
「あ……」
想定外だった。そうか、待つとは言ってくれたが、先生も気にしていたのか。まさか、緋月に直接連絡するなんて。
「そういう話をほとんどしてこなかったな、と思ったんだ。それで、お前はどうしたい? 何か、やりたいことはないのか?」
かぐやの手を離し、緋月は窓に寄りかかる。温かな夕日に照らされる彼は、いつもよりも雰囲気が柔らかい。
それでも、かぐやは兄の目を見ることが出来なかった。視線を窓の外の景色に移す。道路を走る車が玩具のようだった。
「やりたいこと、とまではいかなくとも。興味のあることや、気になること。何でも良いぞ、何かないのか?」
「……私は、兄さんの役に立ちたいです」
堪え切れず、そう零す。そうだ、かぐやにあるのはただ一つ。
自分の制作者である緋月の役に立ちたい。それだけなのに。
「私は、兄さんに作って貰えたお陰でここに居るんです。貴方が今までずっと護ってくれたから。だから、私は兄さんの役に立ちたい」
「ふむ、そうか……なかなか難しいものだな」
困ったように笑う緋月。髪をさらりとかき上げて、今度は硝子に背を預ける。そして、一度だけゆっくりと深呼吸をした。
「そうだな……俺達の父親の話は、したことがあったか?」
「え?」
「成神月冴、夢宮大学病院で院長を勤めていたが、俺が七歳の頃に死んだ。享年四十二歳、死因は外傷性脳損傷。院内の階段から足を踏み外した際に、頭を強くぶつけたことが原因だ。当時、成神月冴は多忙ゆえに眩暈や食欲不振を患っていた。加えて、夢宮という都市の設立の為に多方面からの信頼と恨みを同時に買っていた。だから、彼が死んだのは事故か、それとも事件か。今となっては判断出来ない。ついでに言うと、母親は俺を生んだ後すぐに原因不明の多臓器不全で亡くなったと聞いている。親戚も疎遠だ」
緋月から成神月冴の話を聞くのは初めてだった。それも、彼の話しぶりでは他殺の可能性もあると言うではないか。
余りにも衝撃的な内容に、かぐやは思わず兄を見上げる。でも、緋月の顔にはいつもの笑みがあるのみだった。
「正直なところ、成神月冴が事故死なのか他殺なのかはどうでも良い。二十年も前の話だ、真実を追求するのは難しいだろう。それに俺は父親が好きじゃない。あの男は頭がおかしかった。俺に過度な期待を寄せ、医療の発展のみを見ていた。ああ、今思えば医療への執着は妻のせいかもしれないな。なんにせよ、俺はあの男のように未来を見ることが出来ない。父親が期待したような神になる気はない。上ばかり見て、足元が無いことに気が付かずそのまま落ちる、などという間抜けな死に方はしたくないからな」
それよりも。淡褐色の双眸が、かぐやを見下ろす。
「俺は、今の生活がとても気に入っている。夢宮大での地位ではなく、優秀な妹や小うるさい助手との賑やかで愉快な日常が、だ。医療の研究も楽しいが、そこまで突き詰めたいとは思わないな。俺は永遠が欲しいわけではないし、死を克服したいわけでもない。だから、俺は『シンデレラ』や『人造人間』のように可能性を示すだけ。後はそれ以上を望む者に任せる。そして、その時が来たら大人しく死を受け入れるさ。でも、暗殺されるのだけは避けたいな。ふふっ」
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