「うう……」

「かぐやさん、ヘッドギアを外しますね?」


 くぐもった声と共に、頭から外されるヘッドギア。天井の照明が眩しく、視界に埃のような光が幾重にもちらつく。

 ああ、現実へ戻って来られたのか。目元を擦る手も、頭も、身体全体が鉛のように重い。指先がびりびりと痺れ、起き上がるどころか呼吸をするだけで精一杯だ。

 身体から魂だけが引き剥がされて、再び押し込められるとこんな状態になるのかもしれない。そう、かぐやはぼんやり考えた。


「うげぇ……何なんですか、これ。すっごい気持ち悪いです……」


 隣で同じようにヘッドギアを外された凪が、ユニットの中で身を捩らせながら呻く。何とか上体を起こし、辺りを見渡してみる。

 背の高い女性の看護師が、全員のユニットを順番に外している。良かった、どうやら全員を白ウサギから解放することに成功したらしい。

 椛田も、他の皆も。そして、


「うう……こ、ここは……」


 真衣子も、無事に意識が戻ったのだ。彼等はかぐや達よりもログインしていた時間が長い為か、まだ意識が朦朧としているようだが。

 白ウサギの暴走は、これでひと段落ついたのだ。


「ふふっ、なかなか楽しかった。だが、強制ログアウト時の衝撃は早急に改善の余地があるな。いや、それよりも先にハッキングやウイルスへの脆弱性の改善か」

「ええっと……成神くん、何できみだけそんなに元気なのかな?」

「おっと、麻佳先生。俺がこの程度でグロッキーになるとでも?」


 誰よりも早く、というよりは何事も無かったかのようにユニットから下りる緋月に麻佳が呆気に取られたよう。すたすたと軽い足取りで麻佳に歩み寄り、画面のいくつかを覗き込みながら楽しそうにする兄をぼんやりと目を追う。


「そうだ、麻佳先生。そろそろ、彼女をこちらに呼んでも良いのでは?」

「うーん。この部屋は一応、関係者以外の立ち入りは禁止なんだけどね。ま、今回は良いか」


 渋る素振りを見せるも、緋月の提案に頷く麻佳。二人はかぐやの背中側にある壁の方を向くと、そこに嵌められた大きな鏡へ声を飛ばす。

 否、そういえばあの鏡はマジックミラーだった筈。


「というわけだ。こちらへ来て良いよ、羽藤結衣奈さん」


 麻佳がそう声をかけて、しばらく。静かに開かれたドアから、恐る恐る結衣奈が顔を覗かせた。たった今まで立ち入り禁止となっていた場所に入ることに戸惑っているのだろう。

 それでも、真衣子の姿を見るや否や、一目散に妹の元へと駆け寄った。


「真衣子……! 良かった、戻ってきてくれたのね!」

「え、おねぇちゃん?」


 看護師の制止も振り切り、結衣奈が真衣子を力強く抱き締めた。目元を涙で潤ませる姉は歓喜の余り、妹が苦しそうな声を出していることにすら気が付いていないようだ。

 無理もない。だって、結衣奈は本当に真衣子のことを心配していたのだから。


「うぐぐ。お、おねえちゃん……苦しいよ」

「ごめんね、ごめんね。真衣子、今まで本当にごめん。あなたを傷つけているだなんて知らなかったの」


 ぐすぐすと、嗚咽を漏らしながら。何度も何度も詫びる結衣奈に、不思議とかぐやの胸が痛んだ。

 そして無意識に、緋月の方を見やる。


「へえ、途中から映像が復帰したんですか。それなら、あらゆることへの説明の手間が省けますね」

「そうだね、あれほど頑固に締め出されていたのに、まるでタイミングを見計らったかのように映像だけがモニター出来るようになってね。てっきり、誰かさんの仕業かと思っていたが」

「誰かさん? さあ、よくわかりませんが。なんにせよ、これで全て解決ですね」

「ああ。後は、今回の件を詳しく解析して再発防止策とアクシデントレポートを……」


 どれだけ見ても、緋月がこちらを振り向くことは無かった。ああ、これは確かに寂しい。

 だが、これで良い。かぐやは緋月の障害にはならない。邪魔はしない。自分は彼に作られた存在であり、彼の功績の一つだ。必要以上の我が儘を言って、ガラクタになってはいけない。


 ……でも、


「兄、さん」


 どうしてだろう。一分だけでも良いから、自分を見てほしい。構って貰いたい。理性と欲求が、自分の中で争う。混乱する。この感情は何だろう。

 わからない。教えて欲しい。


「兄さ――」


 思わず兄の方に手を伸ばした、その瞬間。視界が大きく傾き、身体がバランスを失った。ユニットから落下し、硬いリノリウムの床に身体を打ち付ける。

 繋がっていた管が外れ、傍にあった心電図などの機械が揺れる。激痛に息が詰まり、意識が遠くなる。


「かぐやさん!?」

「かぐや……!」


 凪の悲鳴じみた声が聞こえる。そして、緋月の声も。ああ、なんて情けない。彼の足を引っ張るような真似をしてしまうだなんて。

 ごめんなさい、兄さん。情けない自分に泣きそうになりながら、かぐやは意識を手放した。

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