「うーん、見た感じは最近流行りのVRゲームみたいですね。わざわざ処置室で行う必要も無いのでは」

「今回は記念すべき第一回目だからな。見た目はゲームだが、あのヘッドギアには家庭用のものとは桁違いの技術が詰まっているらしいぞ。例えば、神経回路を遮断し信号を白ウサギの方へ連動させるのだとか。実際に腕を動かそうとすれば、自分自身の腕ではなく白ウサギのキャラクターの腕が動くそうだ」

「今はこうして大掛かりな装置になってしまっているけれど。将来的にはもっと小型化し、外来や個人開業医などでも広く試行出来るようになるのが目標らしいよ」


 凪と緋月、そして麻佳が言葉を交わす。あえて声を潜めていないところを見ると、こちらの声は処置室の方には届かない作りになっているようだ。次第に専門用語が混じり始めた会話に置いてけぼりにされてしまったかぐやは、諦めて真衣子の方に集中することに決めた。

 たくさんのケーブルが繋がれたヘッドギア。銀色で無骨なそれはフルフェイスのヘルメットにしか見えない。車椅子からユニットへ移され、ヘッドギアを被る真衣子。傍に待機していた看護師の声に頷くと、そのままユニットに身体を預けて大人しくなった。椛田達も同じようにヘッドギアを頭に被ると、そのまま施術は開始された。


 時刻は午前十時。予定通りに、『白ウサギ』の治験が開始された。


「かぐやさん、ここからは上の一番大きいモニターを見てごらん。真衣子さんが実際に見ている映像だよ」


 椛田の言葉に促されるまま、かぐやは天井から吊るされた中央のモニターを見上げる。同時に、それまで何も映っていなかった画面がぱっと明るくなった。

 

「わあ……なんだか、映画みたいですね」

「これは『白ウサギ』だからな。その名の通り、不思議の国のアリスをモチーフにされている。今後は童話だけではなく、あらゆるシチュエーションを用意する予定だそうだ。ふふっ、羽藤さんが女子高生で良かったな。もしも患者がいい歳のおじさんでは、あらゆる意味で厳しいぞこれは。そもそもシステム自体はともかく、シチュエーションがこれとは……教授の趣味なんだろうか、ふっ……くくっ」

「先生、本音がだだ漏れです」

「あはは……確かに、これは若い子向けかもしれないね」


 緋月の感想に、凪と麻佳が苦笑する。いつもであれば、かぐやも兄を窘めるのだが。今は、画面の中に広がる『世界』に釘付けになってしまっていた。

 時計を持った白いウサギが慌ただしく駆ける。真衣子……いや、主人公である『アリス』はウサギを追いかけて穴に落ち、不思議な国へと迷い込んでしまう。そこで人語を話す獣や虫と出会い、奇妙な出来事に巻き込まれていく。


「凄い……本当に、不思議の国みたいですね……」

「へえ、かぐやさんはこういうファンシーなものが好きなのかな? 少し意外だね」

「そうですか? 妹は可愛いものが好きなんですよ、年相応に」

「うーん、自分はこの作品はあんまり好きじゃないですけど……なんか、不気味じゃないですか? それに、処刑とか裁判とか結構物騒な代物も色々出てきますし」

「それは不思議の国のアリスに限った話では無いぞ、ナギ。例えば、原作のシンデレラではいじわるな義理の姉達が王子の持ってきた靴に足を収めようと指や踵を切り落としている。いばら姫は眠っている間に王子が彼女と性交を行い、姫は知らぬ間に双子を身籠ることになった。白雪姫や、ラプンツェルにもそういったエグイ描写はよく見られる。そういった童話が長年に渡って愛されてきたところを見るに、個人差はあるがは特に幼い女性はメルヘンチックでありながらグロテスクや残酷さをも好む側面があると見て良いと俺は思うが」


 いつにも増して上機嫌かつ饒舌な緋月に、麻佳と凪が顔を見合わせて溜め息を吐いた。凪はもちろん、上の立場である麻佳でさえ緋月の扱いには困り果ててしまっているよう。

 流石に、グロテスクや残酷なものを好きだとは思えないのだが。かぐやがせめてそれだけでも反論しようと口を開くも、処置室から聞こえた甲高い音に声が出せなかった。


「な、この音はまさか!?」


 落ち着いていた空間に鳴り響く、危機感を煽る警報音。最初に立ち上がったのは麻佳だった。すぐに部屋を出ると、少しも躊躇せずに処置室の中へと駆け込んだ。彼の言動だけで、この警報音が何を意味しているかを悟ってしまう。


『あ、麻佳先生! システムが、白ウサギが急に制御不能になりました!!』

『すぐに全てのネット回線を遮断させて。患者と教授達のバイタルは?』

『患者は安定していますが、教授達の心拍が――』

「……あの、先生は行かなくて良いんですか?」


 慌ただしくなる処置室に、凪が立ち上がって落ち着きなく緋月の方を見つめる。緋月は麻佳のように部屋を出るどころか、椅子から立ち上がる様子すら無い。椛田から真衣子には一切関わるなと釘を刺されていたが、まさかこんな状況になってもその言葉を忠実に守る気なのだろうか。

 困惑の表情を隠せないまま、かぐやは緋月の方を向く。そして、見てしまった。


 ――兄が、この場にそぐわない程の酷薄な嘲笑を浮かべているのを。


「……なる程。面白いことをしてくれる」

「に、兄さん?」

『とにかく、施術は現時刻をもって中止! スタッフ、患者共にシステムから離脱させるんだ』


 麻佳の指示に、看護師や技師が急いで真衣子達からヘッドギアを外そうと手を伸ばす。だが、彼等よりも緋月の方が早かった。

 腰を上げた緋月は部屋を出るのではなく、壁際に設置されていた受話器を取った。どうやら、あれが処置室と直接繋がる唯一の連絡手段のようだ。


「待ってください、麻佳先生。今、白ウサギの参加者を強制離脱させるのは危険です」

『成神くん!? きみは、何を――』

「少し前に流行ったじゃないですか。多人数参加型のオンラインゲームへログインした参加者が、システムの悪用によってログアウト出来なくなるっていう創作ジャンルが。外部から無理矢理にログアウトさせようとゲームの電源コードを抜いたりすれば、その瞬間に参加者は死亡するか意識不明の重体になるか。ご存知でなかったですか?」

「先生! それはあくまでアニメやゲームの話でしょう!? これは二次元とは違って、現実で――」

「そう言い切れるか、ナギ? 教授達が装着しているヘッドギアは、頚椎部分で神経信号を遮断しゲーム内への動作へと変換している。そして現状、白ウサギのシステムは制御不可能な状態にある。麻佳先生……個人的な意見でしかないのは確かですが、今の状態で参加者を強制離脱させるのは危険だと判断します。事実、教授達のバイタルに異変があるのは無視出来ないと思いますが……反論や他の意見があればどうぞ。技師や看護師も、遠慮なく教えて欲しい」


 問いかけるも、緋月の主張に反論出来る者は誰も居なかった。そういえば、一時期そういったゲームにハマっていたことがあったような。かぐやは記憶を思い返しながら、処置室での成り行きを見守る。結局、誰もが参加者達のヘッドギアを外すことはせずにそのままシステムに繋げたまま生命維持を優先することとなった。


 そして、数時間後。白ウサギが制御不能に陥った原因は、羽藤真衣子がシステムをハッキングしたことによるものという結論が下された。

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