「ああ、これは一体どういうことなんだ……俺が何をしたと言うんだ」


 夜、久し振りに凪を含めた三人で夕食を食べ終えた後。自分で買い貯めていたコンビニスイーツを手に、自宅のリビングで緋月が何やら難しい顔で嘆いていた。

 予定よりも随分早く帰って来てから、ずっとスマホを片手に何やらぶつくさ言っている。ソファに深く腰を掛け、ゆるりと足を組んでいるその姿は中々絵になっているのだが。思わず、隣で洗い物を手伝ってくれている凪を見る。

 ちなみに、スイーツは既に何個か空だ。いつの間に食べていたのか。


「……あの、凪さん。兄さんはどうしてあんなに不機嫌なんですか? 今日の食事がお口に合わなかったのでしょうか」

「いえ、それはあり得ません。かぐやさんのお料理は絶品ですから! 今日のロールキャベツも最高に美味でしたし、何よりあの先生が完食したんですよ!?」


 泡だらけの拳を握り締めて、凪が力強く断言した。はて、いくら偏食の緋月でも出された食事を残すようなことは滅多に無い筈だが。

 病院では違うのかもしれない。


「えっと、それならどうして」

「さあ? どうせ、お気に入りのソシャゲのランキングでも落としたんじゃないですか? ああ言うのって、しばらくログインしないだけでも変わるものですから」

「残念ながら違うぞ、ナギ。そもそもメンテナンスが延長しているんだ。せっかく早く帰ることが出来て万全な状態だと言うのに……仕方無い、せめて太っ腹な詫び石でも期待するとしよう」


 スマホを空いている隣に放って、緋月が大きく伸びをした。良かった、食事の出来に不満があったわけではないのか。かぐやはほっと胸を撫で下ろす。

 自分たちの生活費は全て緋月が養ってくれている。だからせめて、緋月が心穏やかにかつ健康的な生活を送れるように出来ることをするのがかぐやの役目なのだ。

 兄にそう言われたわけではないけれど、かぐやは自分でそう決めたのだ。


「……はあ。てっきり、夕方の件で落ち込んでいるのかと思ったのに。本当に先生には可愛げが無いですね!」

「この俺に落胆という二文字が存在するとでも?」

「夕方の件、ですか?」


 食器を片付けながら、かぐやは首を傾げた。そういえば、彼はかぐやが真衣子と会っている間は何をしていたのだろう。


「ええ。先生、椛田教授に叱られたんですよ」

「違う、牽制されただけだ」

「牽制……?」

「羽藤真衣子は椛田教授が直々に担当することになった。そして同時に、関係者以外の接触……つまり、非常時以外は決められた医師や看護師以外は彼女の診察に関わることは出来なくなった。要するに、俺は締め出されてしまったというわけだ」


 つまらん。黒髪をかき上げて、緋月が嘆息した。確かに落ち込んでいるようには見えない、が。かぐやは気が付いた。

 彼の声に、状況にそぐわない程の好奇が孕んでいる。


「それにしても、驚きましたね。羽藤さんのお父さんと椛田教授が同級生だったなんて。それも、A製薬会社のお偉いさんですよ!?」

「ああ、しかも羽藤家は旧家だそうだ。羽藤さんのお母さんも、お姉さんも気品があって落ち着いていたが……家柄というのはやはり雰囲気に滲み出るものだな」

「……あの、先生。何でこっちを見て言うんですか?」


 がるる、と唸るように凪。確か、真衣子は家が厳しいと言っていたが。そういうことだったのか。


「やれやれ、何やらいかがわしい癒着でも無ければ良いが……。まあ、仕方ない。今回は大人しく、教授の研究成果でも拝ませて頂こう」


 ローテーブルに置かれていたアイスココア――緋月のお気に入りのコンビニの定番商品の一つ。いつも大量に買い置きしてある――のストローを咥える。研究成果、とは何だろう。


「うーん、まだアレのテストをするのは無理がある気がしますが。シンデレラでも稼働には十分な時間をかけたのに……準備不足で事故でも起きたらどうするんです?」

「俺のシンデレラとは何もかもが違う。教授のあれはただのゲームのようなものだから、失敗することはあれど大した被害は出ないだろう。出たとしても、全ては教授の責任だ」

「あの、すみません……『アレ』って、何ですか?」


 思わず、割り込んでしまう。先程会ったばかりのクラスメイトが、一体どんな治療を受けるというのだろう。

 緋月が開発したという『シンデレラ』……その治療器具がどれほど偉大で、どれだけ危険かはかぐやも知っている。


 医療がどういう代物か、――


「通称『白ウサギ』と呼ばれている、医療用VR技術だ。ほら、最近話題になっているだろう? SF心を擽るヘッドギアを被り、ゲームなどの仮想現実をまるで自らが体験しているかのように感じるという代物だ」

「一般的に知られているVR技術はまだまだ発展途上ですが、夢宮大学では長年専門的に研究していたんです。そして三か月程前に、医療用のVR技術として発表されたのが白ウサギです」


 洗い物を終えて、凪もまた自分用に買ってあったレモンティーのペットボトルを手にリビングにある一人掛けのソファへと腰掛けた。そうなると、かぐやは自然に緋月の隣へと座る形となってしまう。


「医療用とは言っても、簡単に言えばゲームと同じだ。患者と医療スタッフにヘッドギアを装着させ、仮想現実を共有する。つまり、大勢が同時に同じゲームをする」

「ゲーム?」

「ああ。患者は主人公、スタッフは登場人物として白ウサギに参加する。主人公となった患者に仮想現実を通して心理検査や精神療法を行う。普通に行うよりも効果が高いと言うが……実際のところはまだ不鮮明だ。早速明日の午前中に施行するそうだから見学させて貰うことにしよう。楽しみだな」

「見学……」

「明日は白ウサギの初稼働ですからね。希望者は特別に見学することが出来るんですよ」

「あの、その様子って……私も見学出来ませんか?」


 その言葉に一番驚いたのは、他でもないかぐや自身だった。今までにない技術の初披露だということに興味を惹かれたのか、我ながらよくわからない。

 ただ、妙に気になってしまう。


「え……えっと、一応見学は医療従事者だけなんですけど――」

「構わないぞ、かぐや。明日は学校が休みだと言っていたな? 丁度良い、お前も来い」


 凪の声を遮るようにして、緋月が言った。思わず隣に居る兄を見ると、いつもの不敵な笑みが返ってきた。


「え、良いんですか先生?」

「ああ。見学可能なのは医療従事者だけ……それなら、何の問題も無いだろう? かぐやは、俺の妹なんだから」


 誰しもが見惚れる程に美しく、『神』をも思わせる程の傲慢さで。彼は断言した。


「成神緋月の妹。それだけで、医療従事者であることと同等の権限を持つ。知りたいなら教えてやれ、見たいのなら見ると良い。かぐやの行動、欲求全てが

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