④
夢宮大学付属病院精神科には、病棟が二つ存在する。一つは一般診療科と同じ開放病棟、もう一つは閉鎖病棟である。羽藤真衣子は、閉鎖病棟の個室に入院することとなった。
閉鎖病棟は開放病棟とは異なり、外部に繋がる全ての通路を電子錠でロックされている。出入りするにはスタッフ専用のカードキーが必要になる。よって、患者はもちろん面会にも制限がかけられている。
「かぐやさんは、羽藤さんとは仲が良いんですか?」
「えっと、いえ……いつもは挨拶や、ちょっとしたお話をする程度です」
スタッフ用の通路を案内しながら、凪がかぐやに問い掛けてきた。あの後、緋月の車は自宅があるマンションではなく、夢宮大学病院へと向かった。職員用の駐車場へ車を止めて、緋月に連れられて精神科へと行く途中に凪と合流したのだ。緋月は何やら上司に呼ばれたとかで、途中で医局の方へと行ってしまった。
かぐやにとって、凪は緋月の次に仲が良い間柄である。かぐやは緋月と二人で暮らしている為に、兄が夜勤などで帰りが遅くなる際は凪が頻繁に家に来てかぐやの世話をしてくれるのだ。
「……やっぱり、そんなに仲が良くない私が面会に来るには変ですかね?」
「うーん……それなら、クラスの代表で来たということにするのはどうです? 授業のこととか、行事のこととか、当たり障りのない話題を持ちかけるんですよ」
「あ、なるほど――」
ナースルームを出て、一般の通路を歩く。初めてではないものの、閉鎖病棟の独特な雰囲気に気圧されそうになる。
病室から聞こえる喚き声、虚ろな表情で歩き回る患者。出来るだけ意識しないようにと、俯き加減で凪の後を付いていく。その途中だった。
「あら? あなた、翡翠崎の学生さん?」
すれ違った女性に声を掛けられて、思わず立ち止まった。二十歳前後だろうか、黒縁の眼鏡に長い髪はバレッタで留めている。大人っぽく、知的な印象の人だ。
だが、かぐやには見覚えがない。
「……えっと」
「あ、ごめんなさい。わたし、羽藤結衣奈って言います。今日、こちらに入院した羽藤真衣子の姉です。もしかして、真衣子のお友達?」
「あ、そうです。同じクラスなんです。これから授業のこととか、学校のことで何かお手伝い出来ることがあればと思いまして」
「そう……それは助かるわ。あの子、何か悩んでいるみたいなんだけどわたしや他の家族には話してくれなくて……良ければ、お話だけでも聞いてあげてね」
それでは。結衣奈が軽く手を振ってから、看護師に連れられてその場を後にした。思わず、その後ろ姿を見つめてしまう。
お姉さんが居たとは、知らなかった。
「かぐやさん、こっちですよ」
凪に手招きされて、慌ててかぐやが彼女を追う。真衣子の病室は、病棟の中でも奥のところにあった。静かだが、どことなく寂しい雰囲気だ。
脇に立った凪が、声をひそめて促す。
「自分はここで待っていますので、何かあればすぐに呼んでくださいね」
頼もしい凪にかぐやは頷く。一度だけ深呼吸をすると、意を決してドアをノックする。はーい、とすぐに覚えがある声が返ってきた。
「羽藤さん、あの……成神、です」
「あれ、成神さん? うわー! 予想外の人がお見舞いに来てくれたー、どうぞどうぞ。入って!」
意外にも、真衣子はかぐやを歓迎してくれた。少しだけ乱れたボブヘアと見慣れない病衣姿だからか、いつもとは随分と雰囲気が違う。緋月が言っていたように、腕と足に巻かれたギプスや頬のガーゼが痛々しい。
でも、それ以外はいつも通りの彼女のように見える。マイペースで、少々緊張感に欠ける性格。とてもじゃないが、自殺未遂を起こした張本人には見えない。
「えっと、すみません。急に押し掛けてしまって……学校のこととか、他にも何かお手伝いできることがあればと……迷惑、でしたか?」
「ううん、全然。むしろ助かるよ! でも、よくアタシがこの病院に入院してるってわかったねー? ……あ! もしかして、成神さんってお兄さんが居たりする?」
「あ、はい。兄はこの病院の、精神科医です」
「やっぱりー! ほんの少しだったけど、この病院に運ばれた時に超カッコイイ先生とお話したんだ。その時に付けてた名札に成神って書いてあったから、もしかして……とは思ってたんだけど。へえー、美男美女の兄妹なんだねー」
じっと見つめてくる真衣子に、かぐやは苦笑するしかなかった。塞ぎ込んでいるのかと思っていたが、やはりこうして見る限りでは教室に居るクラスメイトと何も変わらない。
どうしよう。何か、取っ掛かりを見つけなければ。このままでは、彼女のペースに流されてしまう。
「あ、あの。先程、結衣奈さんという方にお会いしました。羽藤さんにも、お姉さんが居らしたんですね」
とにかく話を続けようと、かぐやは先程見かけた結衣奈の名前を口にした。
「ああ、会ったんだ。うん……結衣奈お姉ちゃんね、美人で頭も良くて自慢のお姉ちゃんなんだ」
「はい。とても落ち着いた方だと思いました」
「アタシの家さ、結構うるさいって言うか……厳しくてね。お姉ちゃんはその辺上手く立ち回ってるんだけど、アタシは親とケンカばっかりでさ」
「ケンカ、ですか」
「そう。アタシ、卒業後は色々やりたいことがあるから家を出たいんだけど……親は家から大学に通えってうるさくて。家を出るのは結婚してからだ、なんて。古臭いよねー。成神さんの家もそうだったりする?」
「え、いえ。私の家は……」
思わず、言葉を飲み込む。兄は、緋月は自分が家を出ると言ったらどんな反応をするのだろう。
駄目だと言うだろうか。それとも……
「はあー、色々めんどくさいよね。あ、そろそろ検査の時間か」
手元にあったスマホを眺めて、真衣子が呟いた。時刻は午後四時。あまり話せなかった、と息を吐くかぐやを真衣子が呼ぶ。
「ねえ、成神さん。時間が出来た時で良いからさ、また遊びに来てくれない?」
「え?」
「ほら、アタシこんな感じじゃん。怪我もしてるし、閉鎖病棟だから自由に身動き出来ないし。当分入院することになるから、暇だし。それに、成神さんと話していると気が楽だから」
成神さんだけだよ。真衣子の声が、冷ややかなものに変わる。はっとして彼女を見るも、先ほどと同じ笑顔がそこにあるだけだった。
気のせい、だろうか。
「成神さんだけだよ。屋上から飛び降りたこと、責めるどころか聞くこともしなかった人なんて……ね」
笑いながら、真衣子が言った。一体どういうことだろう。聞いてみようとするも、彼女の言う通りに検査の時間が迫っていたらしく。
「羽藤さーん、検査の時間ですよー」
小柄な看護師がドアを開けて、真衣子を呼ぶ。ちらりと見えた隙間から凪が手招きしているのが見えた為に、迎えに来た看護師と入れ替わるようにしてこの日は大人しく帰るしかなかった。
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