③
結局、その日は午後の授業を取り止めて生徒は全員下校することになった。教員達は、今後の対応の為に誰もが忙しそうに駆け回っている。対して、生徒達は突然の休校と平穏を乱した異常事態に不謹慎ながらも気分が高揚しているらしい。
不安そうにしている反面、その下にある好奇心を隠し切れていない。屋上から飛び降りた生徒について、好き勝手な憶測や噂が飛び交っている。
彼女達が何を思い、考えているのか。かぐやにはわからない。
「ちょ、パパ!? マジで来たの?」
生徒玄関から出たかぐやの目に、クラスメイトの植田可南子が声を大きくして驚いている姿が見えた。彼女達が通う高校、『翡翠崎女子学院』は俗に言うと『お嬢様学校』である。
私立高校ゆえに裕福な家庭の生徒が大部分を占める為か、自家用車で送り迎えされる生徒も少なくない。よって、生徒玄関前は車での乗り入れがしやすいように広く整備されている。悪天候の時などは車や保護者達で混雑しているが、今日はそこまで車の姿は多くない。
それでも、娘の為にと迎えに来たのだろう。青いステーションワゴン車の前で、四十代くらいの男性が植田の名前を呼んで笑っていた。
「当たり前だろう? 急にあんな知らせが入って驚いたよ」
「もー! せっかく休みだったんだから、ゆっくりしていれば良かったのに。あたし、もう高校生なんだよ?」
「パパからすれば、可南子はいつまでも大事な子供だ。さ、帰ろう。ママも心配してたんだぞ?」
ポロシャツにジーパンというラフな格好の男性は、どうやら植田の父親のようだ。垂れ眼気味な顔立ちがよく似ている。微笑ましいやりとりに足を止めていたかぐやに気が付いた植田が、満面の笑みで手を振った。
「あ、成神さん! ねえねえ、パパが迎えに来てくれたんだけど……良かったら、一緒に乗っていかない? 送ってあげるよ!」
「え……」
駆け寄ってきた植田の言葉に、困惑するかぐや。クラスでもムードメイカーである植田は、癖に強いショートヘアーと愛くるしい表情が可愛らしい少女だ。誰にでも分け隔てなく接し、かぐやともよく話をしてくれる。
だが、そこまで世話になるのは申し訳ない。
「あ、その……大丈夫です」
「ええー? 遠慮しなくて良いんだよ。あたしのパパ、今日は有給休暇で暇してたんだから。ね、パパ?」
「おいおい……まあ、確かに可南子の言う通りだよ。怖い思いをしたんだから、こういう時は大人に甘えてくれて良いんだよ」
「大人に、甘えて……」
差し出された言葉に、かぐやの中で何かが揺らぐ。しかし、次の瞬間。彼女の視界に入った黒の外車に目を見張った。
見間違い、だろうか。……否、車種もナンバーもよく見知ったものと同一だ。ステーションワゴンの前に停車したその車から降りてきた人物に、思わず後ずさった。
どうして、今は仕事中の筈では……。
「ああ、良かった。行き違いになっていたらどうしようかと思っていたが……わかりすいところに居てくれて助かったぞ、かぐや」
「に、兄さん……」
かぐやとよく似た黒髪を靡かせる若い男。サマーコートにシャツ、ズボンまで黒づくめという装いだが、少しも重苦しくならずに見事に着こなしてしまっている。加えて、肌は男とは思えない程に白く滑らかでどことなく退廃的な色香がある。
美しい容姿に、一際輝く淡褐色の瞳。
かぐやが受け継げなかった、『神』の証――
「えっ! 成神さんの、お兄さん……!?」
「うん? ああ、お友達か。かぐやの兄です、妹がいつもお世話になっています」
植田親子に微笑みながら、『成神緋月』と記された名札を見せる。そこには名前の他に、『夢宮大学付属病院』や『精神科医師』としての肩書も記されている。かぐやの容姿も並外れたものがあるが、緋月のそれは魔性だ。
彼の巧みに隠された本性も知らないまま、すっかり騙されてしまったのだろう。植田だけでなく、父親までもが顔を赤くしている。
「うあ、いえ……! こ、こちらこそお世話になってます」
「えっと、お兄さんと待ち合わせしていたんですね。そそそ、それなら良かったです。では、わたし達はこれで失礼します!」
挙動不審になりながら、親子は自分達の車に乗り込んで行ってしまった。自分達の存在に気がついたのだろう、生徒や保護者達がチラチラと緋月を見ては黄色い歓声を上げている。
だが、当の緋月は一通り見回すだけ。
「……さて、それでは行くか」
それだけ言って、緋月は再び愛車の運転席へと戻る。かぐやも慌てて後を追って、助手席へと乗り込んだ。ふんわりと、緋月から甘い匂いが香る。
香水の類ではない。またお昼をスイーツだけで済ませたのだろうか。そう考えると、頭痛がする思いである。
「……くくっ、それにしても。さっきのお前の表情は中々に可愛らしかったぞ。あの親子も負けてはいないがな」
アクセルを踏み込みながら、緋月が意地悪く笑う。そこに、先程までの柔和な面影は残っていなかった。
こちらの表情の方が本当の彼だと、知っている者はどれくらい居るのだろう。
「……だって、兄さんが来てくれるとは思わなかったから。お仕事中ではなかったんですか?」
「今日は精神科外来がない日だから、時間的には余裕がある日だったんだ。まあ、そうでなくともお前は大事な妹の為だ。いつでも駆け付けるさ」
多くの道路を走る車を見つめながら、緋月が何でも無いことのように言った。兄の言葉に、かぐやは思わず綺麗な横顔を見つめる。
どうしよう、嬉しい。だって、かぐやにとっても緋月は何よりも大切な兄なのだ。
かぐやに残された、たった一人の家族だから――
「それに、屋上から飛び降りたという少女……
居ても立っても居られなかった。そう言って笑う緋月は傍から見れば、妹思いの良き兄に見えるかもしれない。だが、実際は違う。ほんの少しでも、嬉しく思ってしまった自分をかぐやは恥じた。
緋月は精神科医として、研究者として面白そうな素材が見つかったことを喜んでいるだけに過ぎないのだ。
「……どうして、羽藤さんが私と同じクラスであることを知っているんですか?」
「羽藤真衣子は夢宮大の救急に運ばれてきたんだが、最初に診たのが俺だった。五階建ての校舎から飛び降りたものの、落下地点が花壇だったこともあり左腕と左足首の骨折で済んだ。検査と処置が済み次第、すぐに精神科病棟に転科してくるだろう」
近年、急患で運ばれてきた患者の中で必要がある場合、精神科医が診察することがあるらしい。
「羽藤さんは、大丈夫ですか?」
「ああ。運ばれた時から意識ははっきりしていて落ち着いていた。遺書は無かったとのことだが、診た限りでは希死願望を抱く程の精神疾患を抱えているようには思えない。学校での生活はどうだ?」
「……特に仲が良いと言うわけではありませんが、そこまで何か思い悩んでいるようには」
かぐやは小さく首を振る。そうか、と緋月が溜め息を吐いた。憂い気の表情さえも見惚れる程だが、兄にそんな表情をさせてしまったことにかぐやは自分を責めた。
自分に出来ることは、何かないだろうか。
「とりあえず、このまま家まで送ってやる。今日は少し遅くなるかもしれないから、先に――」
「兄さん。羽藤さんと面会することは、可能ですか?」
「……何?」
かぐやからの申し出に、緋月が眉根を寄せた。普段、彼女が自ら思いを主張してくることはない。でも、躊躇も後悔もなかった。
だって、自分は緋月の役に立つために存在しているのだから。
「私に出来ることなら何でも……兄さんの為に、何かお手伝いをさせてください」
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