③
「晶子さん! 次はパンケーキを食べに行きませんか!? 自分、前々から目を付けていたカフェがあるんですけど…お店の内装が可愛らしい感じで、中々一人では行き難くて」
一度外に出れば、凪の方が晶子を連れ回す役回りになっていた。晶子自身、自分で行き先を決めたりやりたいことを自主的に見つけることは未だに苦手で、いつもお世話になっている凪が楽しそうにしているのを見ている方が嬉しかった。
健康を第一に考える夢宮には、野菜や穀物などとにかくヘルシーなメニューを扱う店舗が多い。全国的にもチェーン展開するファストフード店なども、夢宮限定メニューを取り揃える程で。健康だけではなく、美容にも敏感な女子達にとって夢宮にあるスイーツ店は正に憧れの存在なのだ。
「新鮮な季節のフルーツを豊富に取り扱っていて、凄く人気なんですよ? クリームも脂質や糖質控え目で……実は、先生に甘いものは控えるよう口酸っぱく言い続けてしまっている手前、自分の方が甘いものを食べることに……何ていうか、罪悪感があって」
「あはは、それじゃあ今日はたくさん甘いもの食べましょう!」
どうやら緋月程では無いものの、凪も甘いスイーツが好きらしい。普段は凛として仕事に取り組む凪の意外な一面が可愛らしくて、思わず小さく吹き出してしまう。
「はい、それでは……おっと、失礼」
うどん屋から出て、次の目的地へと意気揚々と向かおうとした瞬間。凪の鞄から、微かな電子音が響いた。いつも持ち歩いている、仕事用のPHSだ。
表示された名前を見て、凪も表情が見る見る内に歪んでいく。
「……うわ、最悪」
「もしかして……緋月先生ですか?」
「あ、いいえ。精神科の病棟長です。嫌味っぽくて、苦手なんですよ」
すみません、と一旦晶子から離れる凪。患者に関わる話などは個人情報保護により、第三者に聞かれることは良くないらしい。それくらいは凪もわかっているし、聞いてもわからないので大人しく待つことにした。
「ねえ、見てあの女の子。すっごいかわいい!」
「本当……読者モデルかな? いいなー、脚とか超きれい」
前を通りかかった女性二人組が、晶子をちらちらと見ながら感嘆の念を零す。ふと、気が付けば周りの人間は皆晶子に見惚れているようだ。
照れ臭くも、誇らしい。今までこんなに注目されることはなかった。世界は晶子の存在を徹底的に無視しているとさえ思っていた。急に優しくなった世界に、晶子の心が躍りだす。
これも全て、緋月のおかげ。
「そういえば、さっきシナヴリアの前に居た男の人も超美形だったよね」
「ああ、映画館の前の。ヤバかったよな、同じ男とは思えなくて軽く絶望した」
「俺、目が合ったんだけど……マジで惚れるかと思った。口説かれたら一発で落ちる」
「ちょ、やめろそういうの」
「黒いコートの男の人だよね。カラコン入れてるのかな? 不思議な目だったよね」
大学生くらいの男女のグループが、晶子の前を通る。黒いコートに、カラーコンタクトを入れているような瞳。
「……緋月先生、かな?」
まさか、この近くに居るのだろうか。シナヴリアとは確か夢宮限定のコーヒーショップで、本格的なコーヒーとフード、そして毎週日曜日にジャズバンドやバイオリニストなどを呼んでコンサートを行う評判のお店だ。
すぐ近くの、映画館の前の通りにあった筈。ここからなら信号を渡る必要もなく、一分も歩く必要はない。
「はあ? その患者さんは一昨日も患者さんを暴行したってカルテにメモ貼ってありましたよね!? 経過記録にも書いてある筈ですし、報告もした筈です。なんでまた同じ部屋にしちゃうんですか。それは先生のミスでしょうが!」
凪を振り返るも、何やらムキになっていて声をかけ難い。それに、しばらく通話は終わりそうにない。
仕方ない。少しだけ、と自分に言い聞かせて晶子はその場を離れた。先ほどのグループが見かけた男が緋月かどうかを確認して、すぐに戻って来ればいい。晶子は一人、シナヴリアへと向かった。
彼は今日休みを取ったと言っていたが、どうしても彼の姿が見たい。この服のお礼が言いたい。そんな思いを抱いて、石畳の道を歩く。すぐに見つかった。
「あ、緋月先生!」
思った通りだ。彼の美貌は、こんな街中でも一際目立っている。晶子の近くに居た女の子三人組も、足を止めてきゃあきゃあと黄色い声を上げている。
もしも、彼と自分が知り合いだったとしたら、彼女たちはどういう反応をするのだろうか。
「緋月先生!」
名前を呼んでみるも、緋月は気が付かない。店の前にあるお洒落なベンチに腰掛け、ゆるりと脚を組んでいる。視線は手元の、スマートフォンに落ちている。
そういえば、最近新しいソーシャルゲームをダウンロードしたと言っていたが。ちょっと集中しすぎではないだろうか。しかしそんな姿も絵になるのだから尊敬しか出来ない。
「緋月先生――」
「ご、ごめんなさい。お待たせしました」
もう一度、声をかけようとしたその時だった。店の中から女性が一人、ドアベルの音と共に慌ただしく出てきた。はっ、と息を飲む。
「わー、何あの娘……綺麗」
「髪の毛さらさら……シャンプーのコマーシャルみたい」
「すっごい、お人形さんじゃん」
三人組が、ひそひそと感想を言い合う。晶子も、頷くしかない。
腰まで届く黒髪は絹のように滑らかで、風を纏いさらりと揺れる。雪のように透き通る肌に、桜色の唇。品の良さが指先にまで伝わっていて、本当に人形のようだ。
「あ、見て。男の人、笑った。うわあ、やっぱり格好良い!」
三人組の一人がはしゃぐ。彼女が言った通りだ。緋月はスマートフォンをコートのポケットにしまい立ち上がると、黒髪の女性に優しく笑いかける。
あんな表情、晶子は知らない。
「お、お店の中で待っていてくれれば良かったのに……探しました」
「ふふっ、悪いな。お前の困る顔が見たかったんだ」
「もう、本当に意地悪です……あ、すみません」
むすっと憤慨する表情も、桃色に染まる頬も何もかもが可愛らしい。呆然としながら見守っていると、不意に女性の身体がふらついた。よくは見えなかったが、どうやら店から出てきた客とぶつかってしまったらしい。
バランスを失って、よろける女性を緋月が抱き留める。その動作が、あまりにも自然で。
「やれやれ、本当に危なっかしいな」
「……ありがとう、ございます」
慌てて緋月から離れる女性。もはや顔が真っ赤だ。見目麗しい男女に、既に小さな人集りが出来てしまっている。注目を浴びてしまっていることが恥ずかしいのだろう。
だが、緋月が気にしなかった。その手を女性に伸ばし、華奢な指に自分のそれを絡めて引き寄せる。
「あ、あの……恥ずかしいです」
「また転んでしまっては台無しだからな。今日くらい別に構わないだろう、お姫様?」
「……は、い」
消え入りそうな声で、俯いたまま小さく頷く女性。そのまま緋月に手を引かれて、人集まりから去って行ってしまった。結局、晶子は気が付かれないまま。
「はあー、あんなに美形な二人がこの世に存在するんだねぇ?」
「リア充爆発しろ、っていいたいけど……あの二人は幸せにならないと許せない」
「眼福です、本当にありがとうございました」
人集まりはすぐに散って、その場に晶子だけが残される。真っ白に塗り潰された思考の中に、文字がおぼろげに浮かび上がる。
あの女は、何?
「綺麗な……人だったな」
――あれが既婚者に見えます? 独身ですよ。っていうか、あの見た目のせいでお付き合い自体が長続きしないんです。
「……嘘だ」
凪は確かに言っていた。彼は独身で、誰かと付き合っても長続きしないって。でも、あの二人はどう見ても数か月付き合っただけの浅い仲なんかではない。
信頼しきった雰囲気が、目に見えるようだった。幸せそうだった。まるで二人で居るのが当たり前のようだった。
「嘘だ……」
凪が嘘を付いたのか? それとも、緋月は彼女にまで秘密にしているのか。あの女性の存在を。
そういえば、凪は言っていなかったか? 今日の休みは、前々から予定して取っていたもの。毎年、この日は用事があるらしいからって。それは、あの女性との記念日なのではないか。
つまり、緋月には既に大切な人が隣に居たのだ。
「嘘だ……嘘だうそだウソだああぁッ!!」
人通りの多い街の真ん中で。怪訝な目で見られるのも構わずに。晶子は血反吐を吐き出す思いで、ただ焼けるような感情に吼えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます