まず、視界が高くなった。それから声も高くなった。

 家事で荒れ気味だった手が、しっとりと綺麗になって、指も長くなった。脚は細いだけではなく、しなやかな筋肉が付いてバランスが良い。胸元の主張はあくまで品性を保ち、締まった腰は蠱惑的。

 ただ痩せているだけの脆弱さはなく、どこまでも女性らしい身体。ニキビ跡が一つもない瑞々しい肌に、大きな瞳はキラキラと輝いて。紅く色付いた唇に、桜色の頬。


「本当に、これ……私、なんですね」


 晶子が感嘆の声を漏らす。今までのぼやけた少女とは違う、まるで宝石のような美少女がそこに居た。


「晶子さん。その台詞、もう二十三回目ですよ」

「あ、すみません!」


 慌てて謝ると、凪がくすくすとおかしそうに笑う。


「いえ。でも、良かったです。その服、晶子さんに凄く似合っていますよ」

「ありがとうございます! こんなに可愛い洋服、初めて着ました……」


 はにかみながら、晶子はワンピースの裾を軽く摘まむ。晶子が動く度に、ひらひらと揺れるスカートにピンク色のカーディガン。こんなに可愛らしい服が着られるなんて。

 そして、こんな服が似合う女の子になれるだなんて考えたこともなかった。櫛を通す度に艶が増す髪も、桜貝のような爪も、世界がこんなに楽しいことも全部知らなかった。


「この服、緋月先生が買ってくれたんですよね? すごい、先生ってファッションのセンスも良いんですね」


 今、晶子が着ている洋服は昨日、緋月が与えてくれたものだ。十代の女の子に人気のブランドで、晶子も店名だけは知っていた。でもお金も無くて、どうせ似合わないだろうからと諦めていた。

 まさか、緋月が自分の為にこんな素敵な服を用意してくれるだなんて。


「あ、いや……その、先生が選んだというか、何というか」

「え?」

「ただ……あー、いえ。何でもありません」


 すみません、忘れてください。しどろもどろに、凪が取り繕う。珍しい様子の彼女を不思議に思うも、晶子の興味は今や別のところにあった。


「あの、今日……緋月先生は? 今日は、外来の日でしたっけ」


 この研究所に来て、既に二週間以上が経過しているが。毎日のように顔を合わせていた緋月が、今日はまだ一度も姿を見ていない。

 どんなに忙しくても、電話くらいはしてくれていたのに。


「えっと、先生は……お休みです」

「え、休み? まさか、体調を崩されたんですか!?」

「いえ、有休です。前々から取っていたんですよ。毎年、この日は用事があるそうで」

「そう、なんですか」


 考えてみれば、凪と緋月は晶子の為に毎日この研究所へやってきているのだ。休みも返上して。そう考えると、何だか急に申し訳なくなってきた。


「すみません、私の為に……凪さんも、全然お休みとってないですよね?」

「ああ、良いんですよ。晶子さんの身体と心がもう少し落ち着いたら取らせて頂きますので、お気になさらず」


 そう言って、凪が笑う。しかし、思えば彼女の表情も何だか疲れているように見えてしまう。

 魂の移植を行ってから、凪はほとんどの時間を晶子に費やしてくれている。最初は歩くこともままならなかったが、今では日常生活くらいなら難無くこなせるようになってきた。

 つまり、この身体に慣れてきたということだ。


「……あの、凪さん。今日、外出しても良いですか?」

「外出、ですか?」

「はい。先生が居ないなら、今日は検査や訓練はしませんよね? それなら、少しでも外の空気が吸いたいかなって」

「そうですね……うーん、でも――」

「それに、実は何日か前にテレビで見たうどん屋さんが気になってて……凪さん、良ければ一緒に行きませんか?」


 晶子の誘いに、凪の目の色が変わった。それなりの時間を共に過ごしているし、食事もよく一緒に取っている。だから、彼女の好物が麺類、それも特に好きなのがうどんだということは言われなくてもわかっている。

 彼女のような真面目な人の誘い方は、緋月を見ていて自然に学んでいた。


「夢宮駅前に、今月新しくオープンしたお店みたいで。本格的なうどんと、美味しい野菜のかき揚げが人気みたいですよ? 今日は平日ですし、今から行けばお昼の混む時間帯よりも前に行けるかもですし」

「い、良いですね……! どうせ先生はお休みですし、自分達も遊びに行きましょう!」


 早速支度して来ます! 生き生きとした笑顔で、餌を前にはしゃぐ子犬のような凪を微笑ましく見送って。一人になって、晶子は改めて鏡に映る自分の姿を見つめる。


「……本当に、夢みたい」


  一日が過ぎていく毎に、自分がどんどん変わっていくのがわかる。楽しくて、嬉しくて仕方がない。これまでにない充実感に、晶子はすっかり酔いしれてしまっていた。


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