第四章 王子様とガラスの靴は存在しない

 あれから、あっという間に一週間が過ぎた。毎日同じような検査ばかりだが、晶子は幸せだった。

 凪はまるで本当の姉のように優しくて。そして何よりも、緋月と毎日のように会えることが晶子の胸を満たした。

 ずっとこんな時間が続けば良い。そんな淡い思いを抱くも、時間は止まってなどくれない。


「これが、魂を移植する為の装着……ですか」

「ああ、卵みたいで可愛いだろう?」


 晶子の前に現れたのは、緋月が言うように巨大な卵だった。つるりとした、銀色の楕円形の物体。小柄な晶子なら、中に入って足を伸ばして寝転がるどころか、寝返りも自由に出来そうだ。

 もっとも、卵の中には歯医者で使うようなユニットに、よくわからないが複雑そうな機械が敷き詰められており、身動きすることは難しそうだ。


「これ、緋月先生が作ったんですか?」

「設計は俺が行ったが、実際に組み立てるのはナギや他のエンジニアに手伝って貰ったんだ」

「まるで地獄のような日々でした。今でもたまに夢に見ます」


 壁際に設置されたモニターを睨みながら、凪が恨めし気に言った。前々から思っていたことだが、凪は一体何者なのだろうか。


「実は、まだこの装置に付ける名前がまだ決まっていなくてな。見た目通りの可愛らしい名前が良いとは思うんだが」

「そのまま、魂移植装置とかで良いと思いますけどね」

「ナギはネーミングセンスが皆無だな」

「先生がそうやって変なところでこだわっているから、この装置の開発にかかった費用が未だに請求出来ていないんですよ。我が研究所は夢宮大の中でも一番の金食い虫って揶揄されているんですよ!」

「言わせておけ。その内、金の卵を生む牝鶏に化けるかもしれないぞ。卵だけに」

「うわあ、殴りたい……」


 この二人のやり取りにも、大分慣れてきた。しかし、緊張感の無い彼等とは裏腹に、晶子の心臓は痛いくらいに鼓動していた。

 卵は晶子の前で蓋を開けている空のものと、奥にもう一台設置されていた。そちらは既に蓋はしまっている。どうやら、二台で一組の装置の開発ようだ。


「では、晶子さん」


 緋月が促す。説明は事前に何度も受けている。晶子は意を決して、恐る恐る卵の中へと入る。中は見た目以上に狭く、新車のような無機質な匂いがする。

 晶子がユニットに収まると、緋月が歩み寄り手首や胸元に電極を取り付けた。ひやりとした感触は、心電図検査と似ている。


「気持ちは悪くないか?」

「は、はい」

「宜しい」


 身体中に電極を付けられ、最後にヘルメットのような機械を頭に被せられる。それは目元まで覆い、真っ暗で何も見えなくなってしまう。


「異常は無いようだな。ナギ、そちらどうだ?」

「検体のバイタルに異常は見られません。システムも問題なく稼働しています」

「では、始めようか」


 緋月が、蓋を閉める音が聞こえる。暫しの無音状態。胸に押し寄せる孤独感に落ち着こうと、深く息を吸う。すると、耳元のスピーカーから緋月の声が聞こえた。


『晶子さん、大丈夫か?』

「はい」

『宜しい。それでは、これより実験を開始する』


 その言葉を最後に、晶子の意識が遠のき――そして、すぐに目が覚めた。



 酷い風邪を引いた時のような怠さに、身体を動かすことが億劫で。目蓋を上げている筈なのに、視界がぼやけている。否、ぼやけているのは脳の方かもしれない。見えているものが何なのか、頭が処理出来ていないのか。

 不意に、卵の蓋が開いた。部屋の照明が眩しく感じて、思わず目蓋を閉じてしまう。


「きみの名前を教えてくれないか?」


 声が、名前を訊ねる。もう、すっかり聞き慣れた声。落ち着きのある男の人の、しかし耳にする度に胸を高鳴らせてくれる声。


「きの、した……あ、き……こ」


 答えようとして、口を開く。喉が異常な程に渇いているのか、上手く声が出せない。空気が喉を通る度に、焼けるように痛い。


「きみの誕生日と、年齢は?」


 それでも、彼は問い掛けを止めない。口内に染みでる唾を飲み込みながら、何とか答える。現在居る場所や、通っている高校。家族構成など。徐々に思考も冴えてきて、視界も鮮明になってきた。

 ただ、耳だけが何だか妙だ。彼の声はいつも通りなのに、自分の声がいつもと全然違う風に聞こえる。


「それでは、最後に。俺が誰か、わかるか?」


 彼が、自分の胸に手を置く。聞かれるまでも無い。


「緋月先生、です」

「素晴らしい」

「検体のバイタルは正常値をキープしています。システムオールグリーン、何も異常は見られません」

「ふむ、無事に成功したようだな」


 そう言って、緋月が一度晶子から離れる。そして、何かを手にしてすぐに戻ってきてくれた。大学ノートくらいの大きさで、顔色は悪いが、可愛らしい少女がきょとんと不思議そうに晶子を見ている。

 それが鏡であるということを、緋月の言葉を聞いても信じることが出来なかった。


「おめでとう、晶子さん。これが、きみの新しい身体だ」

 


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