引きつった笑みを浮かべる凪に、調理員の女性達が残念そうに言った。食事を乗せられた、黄緑色のトレイを受け取ると、晶子を伴い凪がそそくさと窓際まで逃げた。


「うう……先生は医者の癖にもの凄く好き嫌いが多いので、滅多に大学で食事をしないんですよ。おかげで上からは睨まれるし……それだけなら良いんですけど。院内の社員食堂には此処よりも若い女の子達が居るので、変な嫌味とか言われるし」

「嫌味?」

「先生はいつもどこで食事をしているのかとか、住所はどこだとか……そんなの答えられないっていうと、先生を独り占めしてて感じ悪いとか何とか。あっちの方が種類も豊富だし、景色も良いから気に入ってたのに……」


 向かい合わせに座って、凪が備え付けの電気ポットからお茶を注ぐ。気が利く性分なのか、何も言わなくとも晶子の分までお茶をくれた。

 礼を言いながら、席に腰を下ろす。


「あの……成神先生って、何というか……人気なんですね?」

「腹立たしいことに、そうなんですよ。あの見た目で、大抵の人には優しいので。患者さんからも、先生に診て貰いたいっていう人は多いですし、先生宛のプレゼントも毎日のように届きますしね。全く、皆先生の本性を知らないから……」


 ぶつぶつと、文句を言いながらフォークにパスタをぐるぐると巻き付ける。あ、椎茸の欠片が巻き込まれた。鬱憤を吐き出すことに夢中で気がついていないらしい。


「えっと、成神先生は……独身、ですか?」


 昨日までの自分なら、絶対に口にしないような疑問であった。恋愛事には興味が無い、というよりも恐れがある晶子にとって、正に禁句のような台詞だった。

 同時に、別の恐怖が湧き上がって来る。


「あれが既婚者に見えます? 独身ですよ。っていうか、あの見た目のせいでお付き合い自体が長続きしないんです。医者ですし、最初は良いんですけど……女は自分よりも男の方が綺麗だとプライドはぶち壊されるし、精神は磨り減るし……そんなわけで、私が知る限りでは先生のお付き合い最長記録は四か月……ぶはっ!!」


 凪が口に入った椎茸に激しく噎せた。そんなに嫌いなのか。晶子は呆然と安堵のため息を吐いた。

 良かった、緋月が独身で。自分には関係のないことの筈なのに、何故だかそう思ってしまう。幸いにも、凪は天敵との攻防に集中している為に晶子の浅ましい気持ちを悟る余裕は無いよう。


「うえー、不意打ちだ……おっと、失礼。噂をしていれば……はい、凪です」


 一旦、お茶を口に含んでから。凪が白衣のポケットからPHSを取り出して、耳にあてた。そういえば、病院では専用のPHSが支給されていると聞いたことがある。

 相手は間違いなく、緋月のようだ。


「先生、今どちらに……はあ、そうですか。自分達は研究所でランチ中ですよ。あー、食堂の皆さんが先生に会えなくて寂しいって言ってますよー?」


 わざとらしく声を張って、僅かにPHSを耳から話す。いつから聞いていたのか、洗い物の手を止めて調理員の人達が次々と緋月を呼んだ。


「成神先生ー! ケーキばっかりじゃなくって、たまには食堂でご飯食べなきゃダメよー?」

「先生ー、グランストアの期間限定シュークリーム、食堂の冷蔵庫にあるから食べて良いわよー」

「その時はオバちゃん特性の野菜ジュースも一緒に飲んでねー!」


 最低でも四十は超えているであろうマダム達が、まるで恋する乙女のようにきゃっきゃとはしゃいでいる。気のせいだろうか、緋月が困ったように笑ったように感じた。


「それで、先生。今日は何時に研究所に戻られますか? ……はい、はい。わかりました。遅れないでくださいね」


 PHSを耳に当て直して、凪が緋月と何やら予定を相談し始める。そうしてそのまま通話を切ってしまったから、結局緋月が何処に居るのかは晶子にはわからなかった。


「あの、先生は……?」

「用事があるそうで、お昼は雨白で済ませるそうです。夕方には戻ると言っていたので、晶子さんはそれまで休んで貰っていていいですよ」


 苦々しい顔をしながら、凪がパスタを口に運ぶ。その表情は自分勝手な緋月に向けられるべきのものなのか、ただ単に天敵との攻防に苦戦しているだけなのか。


「はあ……身体に良いというのは大事ですが、たまにファストフードのハンバーガーとかポテトとか食べたくなりますよね」

「…………」


 椎茸から気を紛らわせる為なのか、やけに饒舌な凪。だが、胸中を渦巻く息苦しい感情に、晶子は彼女の話をまともに聞くことが出来なかった。


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