④
翌日、晶子は入学してから初めて学校を休んだ。家にも帰らなかったが、不思議と罪悪感は無い。むしろ、ふわふわとした高揚感で満たされていた。
しかし、浮足立っている心の裏側で、妙に暗い気持ちを抱えている自分自身も居た。
「本日は、晶子さんを精査させて頂きます」
「精査って……検査、ですか?」
「はい。まあ、体力測定と簡単な心理テストみたいなものですから、ゲームだと思って気楽に受けてください。その方が良い結果が出ますので」
「あの、凪さん。結果が悪いと移植は出来ないんですか?」
「安心してください。余程重度の精神障害を患っていない限りは、移植は可能です。これは、晶子さんの魂に合うよう器を調整する為のデータ集めです」
不安を露にする晶子に、凪が事務的に説明する。小さな教室といった雰囲気の室内には、白いテーブルを挟んで二人が座っていた。
緋月は、朝から姿を見ていない。
「あの、成神さ……先生は?」
「本日は金曜日ですので、先生は外来に行っていますよ。昼過ぎにはこちらに戻ると言っておりましたので。」
「そ、うなんですか……」
無意識に、ため息をついてしまう。てっきり、ずっと一緒に居られると思ったのに。緋月には緋月の仕事がある、それは仕方のないことだ。
一体、何をこんなに期待していたのか。晶子は自分自身がわからなかった。
「どうしました、晶子さん? 体調が優れませんか?」
凪が心配そうに、晶子の顔色を窺う。何でもないです、と慌てて首を横に振った。
「い、いえ! 何でもないです、大丈夫です!」
「そうですか。でも、あなたは大切なクライアントですので……何かあれば、遠慮なく言ってくださいね?」
そう言って、凪がパソコンに何かを打ち込む。近年、大きな病院ではカルテも電子化しているらしく、普段は近所の小さな個人医院にしかかからない晶子にとって、夢宮大学付属病院という場所は異世界のように目新しいものばかりである。
「では、早速始めましょうか。まずは、簡単なペーパーテストから。正解、不正解があるものではありませんので、第一印象で答えていってください」
最初に渡されたのは、マークシート形式のペーパーテストだ。凪が言うように、確かに設問は答えが明確に決まっていないようなものばかりだった。どちらかと言うと病院で初診の際に書く問診票や、アンケートに近いかもしれない。
『いつも頭が重かったり痛んだりするために、気分が塞ぐ』
『夢を良く見る方で、あまりぐっすりと眠れない』
『今の自分の境遇(学校・職場・家庭環境など)に不満がある』
『可能ならば、人を殺してみたいと思う』
テストは凪が待つストップウォッチが鳴るまでに終わらせなければならず、深く考えている時間が無かった。何とか時間内に終わらせられたものの、これだけでやけに疲労感を感じてしまう。
「では、次の検査に参りますね」
「えっ、あ……はい」
それでも、凪は休憩を挟む間もなく次の検査を開始した。立て続けに行われる検査は、どれもこれもが晶子が想像する検査とはかけ離れているものばかりだった。
カラフルな絵や、写真。学校の試験で行うような計算問題に、写真を見て絵を書いたり。その後は場所を変えて、スポーツジム並みに設備が整った部屋で体力測定などをした。
慣れないことばかりだが、少しでも良い結果が出せるように晶子は努力した。
「……はい、以上で今日の検査は終了です。お疲れ様でした、晶子さん」
いつの間にか、時計の針は午後二時を過ぎていた。検査が一段落すると、晶子と凪は遅めの昼食を済ませる為に、研究所の一階にある食堂へとやってきた。
「疲れたでしょう? すみません、先程行った検査は精神的に追い込まれた場合の反応や思考傾向、疲労時おける集中力の持続時間なども測っていたもので……敢えて休憩時間を取らなかったんです」
「いえ、大丈夫です」
確かに、慣れないこと続きでくたびれたけれども。我儘を聞いて貰っているのは晶子の方なのだから、耐えるのみなのだ。
そもそも、凪が心配する程疲れてはいない。学校や家の方が辛いのだから。
「そうですか、それなら良かったです。でも、少しでも具合が悪くなったらすぐに言ってくださいね。さて、今日のメニューは……げっ、キノコだ……」
ほっ、と安堵した様子で凪。しかし、その表情もすぐに曇ってしまう。
研究所の食堂は、それ程広くはないものの明るくて綺麗な空間だ。昼時を過ぎたからか、晶子達以外には数人の研究者や学生しか居ない。
メニューは五種類、日替わりで毎日変わるらしい。出来立てを撮影したのか、彩り豊かで美味しそうな料理の写真。その下には材料や調味料、塩分やアレルギーの情報などが非常に細かく印字されている。
「へー、凄いですね。こんなに細かく書いてあるなんて」
「夢宮大学の飲食施設は全てこんな感じですよ? パン一つ買うだけでも、レシートの他に食品の情報が羅列されたプリントがレジで手渡されるくらいですし。大学の敷地内にある研究所には必ずこのような食堂が併設されており、職員や学生の栄養状態を管理する体制が整っているんです」
凪が説明をしながらも、入り口に貼られたメニューを恨みがましく睨み付ける。今日のメニューでは五品全てにキノコが使われているようだ。
「アレルギーを持つ人には特別食を用意してくれますし、カロリー計算もしてくれるのでダイエットに最適。旬の食材も気軽に美味しく食べられるし、我々は出来るだけ就業時間は学内で食事を済ませるようにと言われているのですが……」
「……もしかして凪さん、キノコ……嫌いなんですか?」
「……こうやって、嫌いなものを否応無く食べさせられるのは……やはり、苦痛ですよね」
凪はたっぷりと時間をかけて悩んだ後、一番天敵が少なそうなキノコと豚肉のパスタを選んで食券を買った。
「晶子さんは、どれが良いですか? どれでも値段は同じなので、お好きなものをどうぞ。アレルギーなどは無いんですよね?」
「あ、はい。私も、凪さんと同じメニューが良いです」
アレルギーもそうだが、晶子には特に好き嫌いが無い。凪は晶子に言われた通りに食券を買うと、そのまま券を手前に居た女性に手渡した。
「B定食を二人前お願いします」
「はーい……あら、凪さん。そちらの女の子は?」
「木之下晶子さんです。今、研究に協力して頂いている方で」
「ということは、しばらくこの研究所に居るのね?」
「はい、その予定です。晶子さん、こちらは鈴木さん。この研究所で働く調理員のリーダーさんですよ」
「うふふ、晶子ちゃんね。おかわりは自由なので、たくさん食べてくださいね?」
「あ、ありがとうございます」
義理の母親と同年代くらいだろうか。にっこりと笑う女性に、妙な安心感を感じる。
「凪さん、成神先生は? もう外来も終わっている時間じゃない?」
「え、えっと……どうでしょう。何の連絡も来ていないので」
「あらー、そうなの。今日も逃げられちゃったか……残念、先生とお話することがオバちゃん達の楽しみなのに……」
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