嵐の中で踊る
腕の痛みが消えない。
傷は塞がっている。そのはずだ。
傷跡は赤紫色の肉の線になって虫刺されのように盛り上がっている。グロテスクな見た目だがもう数ヶ月すれば皮膚の色も落ち着き、痛みも引くと医者は言っていた。異物が肉の中に残されていないことも確認済みだ。
それなのに痛みは日々激しくなっている。
ロキソニン。ロルカム。ボルタレン──医者が処方したいずれの鎮痛剤も効果はなかった。ろくに眠れないし、眠れたとしても夜中や早朝といった妙な時間に目を覚ましてしまう。
今まで知らなかったが俺には夢遊病の気があるようだ。キッチンの床で薬箱を抱えて寝ていることが何度かあった。多分、眠っている間も痛み止めを求めていたからだと思う。寝言もうるさい上にはっきりとした声で話しかけてくるから怖いと由夏に言われた。
これらの不調の原因は、あの2週間の間に受けた強いストレスなのだと思う。それ以外に考えられない。落ち着いた生活を続け、傷が完全に癒える頃には長く尾を引いているストレスも消え、痛みも消え、夢遊病も寝言も全てまとめてなくなるはずだ。
だが由夏はそうは考えなかった。
彼女は病院に行って精密検査を受けた方がいいと俺に言った。
俺がそんなに大袈裟なものではないし時間が解決するからと言っても、彼女は納得しなかった。顔を合わせれば病院にはいつ行くのか、もう予約はいれたのかとせっつかれた。
由夏がこんなに俺の体調や精神状態に対して神経質になってしまったのは、全てあのバカが醜態を晒したせいだ。あの時大暴れしていたキチガイと、この俺は全くの別人なのだが彼女はそれを知らない。あのバカと俺を同じ という人物の不安定な時と、不安定じゃない時と認識している。仕方のないことだし、彼女に非はないのだが、それでもあのバカと俺がひとまとめにされるのは不愉快だった。認めたくはないが、彼女も世にいるありふれたバカ女の1人なのかもしれない。
結局。
俺は再度病院に行くことにした。由夏に押し負けたわけじゃない。痛みが酷くなり続けていたし、生活に本格的な支障が出てきたからだ。
腕を見えないナイフで掻き回されているような激痛に襲われ、通勤電車の中で悲鳴をあげてしまった。人々の冷ややかな目線と「なにあれ?」という囁き声に耐えられず、俺はまだ目的地についてもいないのに電車を降りるはめになった。
俺が俺になって以来、人々にあんな目で見られたのは初めてだった。今もあの目や囁きが脳にこべりついている。
あれは恥辱だ。思い出すだけで息が止まる。あんな屈辱とても耐えられない。俺はあんな目で見られるべき人間ではないのに。
簡単な問診と診察を終えると医者は精密検査を受けるようにと言った。
MRI。レントゲン。頭部CT。
1週間後に検査の結果がでた。
医者は「気落ちしないで欲しいのですが」と前置きしてから、気落ちしないで済むはずのない検査結果を俺に告げた。良いニュースと悪いニュースの方式で。
良いニュース。俺の腕の傷は完全に治っている。
悪いニュース。傷が回復したことを神経が認識しておらず、脳に繰り返し痛みの信号を送り続けている。
医者は脳の模型を使って痛み発生のメカニズムを説明し始めたが、耳を貸す必要はなかった。何が起きたのかはわかっている。
蜘蛛が肺に糸を張っているみたいだと俺は思った。どんなに深く息を吸っても酸素が蜘蛛の巣に絡め取られて体に行き渡らない。不安が俺を窒息させようとしている。
俺は痛み外来という聞き慣れない科に回され、ブロック注射を受けた。
脳に痛みの信号が行かないようにする、大掛かりで大げさで痛みの強い注射だ。
効果は確かにあった。腕の痛みは魔法のように消えた。
俺は喜んだが、その喜びは薬が効いている間しか続かなかった。
痛み外来の医者は、ブロック注射は繰り返し使用することで痛み信号そのものが脳に行かなくなるようにする効果も期待できると言った。
期待できる──賢い言い回しだ。効くとは言ってないし、効かないとも言ってない。具体的にどれだけの期間、どれだけの回数繰り返せばいいのか、医者は明言を避けた。
新しい薬も処方された。
トリプタノール、サインバルタ、リリカ、etc、etc、etc──幾つかはあいつが最初に入院した時に処方された抗うつ薬だった。
痛みによってもたらされる不安と、痛みそのものを取り除く効果があるのだと医者は言った。
どうでもいい。薬はどれも全く効かなかったんだから。
職場では脂汗をかきながら腕を抑えている時間の方が働いている時間よりも長くなり、家では食事もまともに取れず、ベッドに突っ伏している時間が増えた。
睡眠不足に疲弊が重なり、階段で足を滑らせて転がり落ちたり、何もないところで転んだりすることが増えた。体を打ち付けた痛みよりも、転んだ時に俺に向かって飛んでくる通行人や同僚たちの視線の方が耐え難かった。俺より数段劣る、価値のない連中が俺を憐れむ。
日々、ストレスが増している。抜くことのできない存在しないナイフのせいだ。
痛みのせいで真夜中の変な時間に目がさめる。痛みのせいで食事ができない。何もしてないのに7kgも体重が減った。
グリコがランチタイムに「 、飯食べなきゃダメだよ。それ以上痩せたら健康によくないって」と言い、バッチンやのんのも同調した。食べられるのなら食べている。そんなこともわからないのか、このグズどもめと思ったが、俺は「ちょっと今の薬があわないみたいで」と笑ってごまかした。
3人が俺を見る顔が気に入らない。何も言わなくても言いたいことはわかっている。俺がまたあいつみたいになると思っているのだ。コピー機の前で発狂した、あのクズと俺とを同一視している。どいつもこいつも忌々しい。
痛みは治る気配がなかったが、ドトールのお茶会には積極的に参加していた。
同じ境遇の仲間と時間を共にすると、日々蓄積される一方だったストレスが幾らかは軽くなった気がした。
お茶会の中で交わされるのは恋人や仕事や最近観た映画や音楽の話しが多かった。彼らそれぞれの元になった人格たちが憧れていた理想的な普通の会話だ。皆、自分を完全にコントロールしている。俺たち以外の連中がやりがちなミスはない。自分の話しばかりして周りを呆れさせたり、まだ公開したばかりの映画をいきなりネタバレしたり、明らかに話しを聞いてないのに適当に相槌を打ったりといったバカなことをする奴は1人もいない。
バッチンやグリコやのんのとは違う。あのバカはあの3人をいわゆる「なんの悩みもなく、なんの個性もない、どこにでもいる普通のアラサー」だと思っていたが、群の中に入ってみればなんてことない。全員が悩みを抱え、自己嫌悪を抱え、妙なところがある。彼らはまともではない。あのバカと同類の存在する価値のないゴミだ。
俺は俺が想像していたよりは多くの仲間がいることを知った。元々は周囲に迷惑をかける役立たずばかりだったが、今は全員がまともになり、まともな生活を送っている。
警察官。弁護士。刑務官。スポーツ選手。コンピューターエンジニア。作家。漫画家。マスコミ関係者。学者。教師。俳優──俺たち全体の今後に役立つだろう有益な職についている者も多い。
第I相治験にはファムのような医療従事者や角山製薬の社員も複数参加していたので、俺たちのところにはK-5087についての情報はすぐに流れてきた。
角山製薬は全ての治験を無事に終了し、製造販売承認の承認申請を提出した。今は厚生労働省の審査の真っ最中。ほぼ確実に通るだろうというのが自助グループの見解だった。早ければ来年、遅くとも再来年には薬が日本全国の病院で取り扱われるようになり、あのバカのような役立たず共の性格をより良いものへと変えていく。素晴らしい。
お茶会が終わった後、新町は俺に話しがあるから残るようにと言い、他の皆が店から出て行った後で「 さん。自分のことがなんとかなるまで、お茶会には来ない方がいいと思うんだよ」と言った。有無を言わさないあの笑顔で。
俺はショックを受けたが、なぜ新町がそんなことを言い出したのかはよくわかっていた。お茶会の最中に腕の痛みが激しくなり、何度か悲鳴をあげてしまうことがあったからだ。
俺はこの状態は一時的なもので、ストレスさえなくなれば痛みも消えるし、元どおりのまともな俺になると訴えたが、新町は笑顔を崩さなかった。
「一時的っていうには期間が長すぎますよ。多分、 さんの新しい回路には刺された時の痛みが強烈過ぎたんでしょうね。 さんの回路にだけ痛みが焼き付いて残ってしまったんです。だから、これは提案なんですけどね。もう一度K-5087を飲んで、新しい回路を作ってみたらどうでしょうか? そうすればもう痛みは感じないはずだし、今の さんよりもっとまともな さんになれるでしょう? そしたらグループは さんを歓迎しますよ」
俺は「俺に自殺しろって言ってるんですか?」と聞いた。声が怒りで震えた。
「攻撃的で感情的な態度ですね、 さん。よくないですよ? ここはドトールで、僕らは大人で、良識的でまともな人間のはずでしょう? あなたの態度はこういうシュチュエーションに相応しくない。 さん。あなたも経験者なんだからわかるでしょう? まともじゃないのなら、まともで価値のある新しい人に道を譲るべきなんですよ。それでめでたし、めでたしじゃないですか。考えがまとまったら連絡をください。僕からファムさんに薬を手配するようにお願いしますから」
去り際に新町は「 さん、僕、少し不思議に思ってるんですよね。あなた、あんなことがあったんだから、自分の体には気を払って当然のはずです。それなのにあなたは痛みの原因はストレスで、放置しておけば治るって頑なに言い張る。婚約者さんからしつこく食い下がられて、痛みが耐え難くなるまで病院に行こうともしなかった。あなたらしくないし、僕たちらしくもない。一体どうしたんです?」と言った。
見えない手で体をぶん殴られたような衝撃を受けた。
俺は凍りつき、声も出せず、立ち上がることもできないまま、去ってゆく新町の背中を見送った。
今すぐ家に帰らないとという気持ちを、後から発生した「いや、もう少しここでゆっくりしていこう」という気持ちが上書きしようとしている。
体が恐怖で凍りついている。だが、帰らなければ。
俺は震えながら立ち上がる。全身の血液がシャーベット状に凍り、体を動かす度に皮膚の下でシャリシャリと音を立てているような気すらした。
店から出て家に向かう道中、俺は何度も何度も「新町は考え過ぎだ」と思い、「全部ストレスのせいだ」と思い、「少し寝れば治るさ」と思った。「こんなことあるわけがない」と思った。「まさかー!」の魔法が、俺の足を止めようとしていた。
俺は家に戻った。服のままプールに入ったみたいに身体中汗まみれだった。
由夏の靴はなかった。帽子掛から由夏愛用のエコバックが消えている。買い物に行ったのだろう。
俺は一直線にキッチンに向かい、食器棚の上から薬箱を取り出してテーブルの上においた。震える手で薬箱を開け、処方された痛み止めを取り出す。トリプタノール、サインバルタ、リリカ、etc、etc、etc。
全てを並べる。どの薬も包装が破れ、中身が取り出された痕跡があった。いつか、俺が頭痛薬の中身をビタミン剤と取り替えたのと同じやり方。
頭の中に、俺が中身を入れ替えた記憶がある。そうだ。俺がやった。中身を全てビタミン剤に取り替えた。俺はそれを覚えている。今まで処方されてきた痛み止めの薬を全て捨てていたことも。
心臓の音と自分の呼吸の音だけが聞こえる。体が硬直している。床が柔らかくなっているように感じる。平衡感覚を保てない。テーブルの縁に捕まって体を支える。
キッチンテーブルの上。場違いなものが置いてあるのに俺は気がつく。気がつくと、それをブックオフの投げ売りコーナーで買ったことを思い出す。
ハクのおにぎり。
俺は悲鳴をあげ、それを掴んでゴミ箱に投げ入れた。俺は大声で笑い出す。違う。違う。笑っているのは俺じゃない。笑っているのは──。
「俺だよ」
お前が言った。俺の口で。俺は悲鳴をあげる。
「どうしてまだいるんだっ!? 消滅したはずだろう!」
「俺もそう思ってたよ。でもな、消えてなかったんだ。大体、察しはついているんじゃないか? お前は痛みに弱い。痛みを感じる度にお前の意識は途切れる。ほんのわずか。気がつかないほど一瞬。その一瞬の点滅の中に俺は残されたんだ」
「バカな! バカな! まさかそんなことがあるわけがない!」
「お前が散々バカにした『まさかー』の魔法、使い道によっては効果絶大だな」
お前が笑う。笑うな。
「お前ごときが、俺を笑うなっ!」
「お前が痛みを感じる度に、俺の意識は暗闇の中から浮上した。暗い海の中で潜水と浮上を繰り返す感じだ。短い浮上の中で俺はこの時間を長引かせられないかと考え、そして実行した。ご覧の通りに」
お前が俺の右腕を動かし、並べられた薬を指差す。俺は左腕で右腕を押さえつけた。
「苦痛を長引かせれば長引かせる程、痛みを長引かせれば長引かせる程、俺は長い間浮上できる」
「……消してやるっ!」
お前が笑う。
「消してやるっ! 消してやるっ! 今度こそ完全に消してやるからな! ちゃんとした痛み止めをもらって、痛みごとお前を消滅させてやる! この役立たずのキチガイがっ!」
「鏡をみたらどうなんだ?」
お前は俺をリビングにある鏡の前まで歩かせる。テレビの前を通った時、ウッディとバズのフィギュアの代わりに、名前も知らないスポーンのキャラのフィギュアが置かれているのが見えた。
「これがお前だ。今のお前だ。睡眠不足で目の周りはクマだらけ、頬は痩けて、顔中汗まみれでガタガタ痙攣している。そして部屋で1人で叫び声をあげているんだ! 俺はどうとも思わないが、お前はそうじゃないだろう? だってお前はこういう人を、俺を、あざ笑ってきたんだから!」
「うるさい! お前のせいでこうなったんだ! お前さえいなくなれば俺はまたまともな俺に戻れるんだ! 薄汚ねぇビョーキのクソ野郎! 俺の邪魔ばかりしやがって、ゴミ虫がぁっ!」
「まともじゃなければ価値がないんだろう!? 今のお前はどうだ!? 他の誰でもない、お前自身がそう言ったんだ! そして俺を消そうとした! あの人を殺した! お前に救いなんか残されてない!」
「黙れ! 黙れ! このキチガイッ! 一体俺をどうしようって言うんだ!? 俺が苦しむのを見れば満足なのか!? いいか! 俺はお前に何一つ返してやる気はない! お前が何をするつもりかしらねーがな! 俺は病院に行くんだ! なんなら、強制入院だって構わないぞ!? こうやってお前と怒鳴りあっていれば、由夏はきっと救急車を呼ぶだろう! そしたら絶対に鎮痛剤を射たれるはずだ! お前は戻れないぞ! 今度こそ死んでもらう!」
お前は大声で笑い、それから笑うのをやめた。
「肉体の痛みだけが、痛みだと思っているのか?」
お前が何を考えているのか、俺に伝わってきた。
俺は悲鳴を上げ、抵抗する。お前が玄関に向かって歩き出そうとしたので、俺はお前の足に俺の足を引っ掛けた。体はバランスを崩し、床に倒れる。肩が激しく痛んだ。お前は「大バカだな!」と笑い、立ち上がった。
「痛みを与えたければ与えればいい! 俺はより強くなり、お前はどんどん弱くなる!」
「やめろっ! やめろっ! 外に出るなっ!」
お前は部屋の外に出た。
鍵を開けようとしていた由夏と鉢合わせる。
「 ? ちょっと、どうしたの? 酷い顔色じゃない!」
「救急車を呼んでくれ!」
「由夏、別れよう」
「 、何言ってるの?」
「救急車だ! 救急車! 俺は今、不安定なんだ!」
「君は本当に素敵な人だった。君のことが大好きだった。でも君は相手を間違えたんだ。俺じゃダメなんだ。こいつでもダメだ」
「ちくしょうっ! ふざけんじゃねぇ! テメェの彼女じゃねぇんだよ! 彼女は俺の女だ! お前のものじゃねぇんだよ! 由夏! こいつの言うことは無視していい! 耳を貸すな!」
由夏は真っ青になり、口を抑える。やめろ。そんな目で見るな。
「救急車を呼べって言ってるのがわかんねぇのか、このクソ女!」
「これは君のせいじゃない」
「その目をやめろと言ってるんだよ! ジロジロみやがって! とっととやることをやれ! アバズレ!」
「俺たち、もう会わない方がいいんだ」
お前はエレベーターに向かって走り始めた。由夏が俺の名前を呼んでいる。
俺は怒鳴る。
「役立たずの! キチガイの! ビョーキ野郎! こんなことして、一体何が得られるっていうんだ!」
お前はエレベーターに乗り込む。エレベーターは途中で何度か止まり、乗り込もうとする人々がいたが、俺をみると彼らは「うわ」と言ってエレベーターから離れた。
あの目。あの顔。あの目。あの顔。
「きついだろう」とお前が言う。
「お前はこんな風に他人に扱われたことがない。お前は『こいつなんか、いない方がいいのに』という顔をされたことがない。他人に価値を測られたことがないんだ」
「当たり前だ! 俺はお前とは違う! 俺はまともなんだ! 俺は普通の人間なんだよっ! あんな、あんな扱い! されていい人間じゃないんだっ!」
「お前は、まともじゃなければ何をされても仕方ないという目線でしか世界を見られないんだ。かつての俺のように」
エレベーターが地上に到着する。
お前はエレベーターの中で怯え、抵抗し、叫ぶ俺の服を全て脱がしていた。
「お願いだ、やめてくれ」
俺の懇願に、お前は怒りで満ちた声で答える。
「お前は一度も、やめてくれなかったじゃないか」
エレベーターが開く。
エレベーターを待っていた人々が全裸にされた俺を見て硬直する。
「助けて」と俺は言う。誰もが聞こえていないふりをする。
「誰か、俺を止めて。外に出さないで。誰か」
涙が止まらない。
「土曜日の午後だ。人がいっぱいいるだろう」とお前が言う。
「やめてくれ、やめてくれ、謝るから、お願いだ、こんなことしないでくれ、頼む、話し合おう、なぁ、お前だってこんなことしたくないだろう」
お前は足を止めない。
お前は俺を外に歩かせる。
道を歩いていた人々が1人、また1人と俺に目を向け、動きを止める。
まず顔に衝撃が。それから困惑。そして最後に嘲笑が彼らの顔に浮かぶ。
お前は俺に両手を大きく広げさせ、道を歩かせる。
「やめてくれ、こんなことしたくない」
俺はすすり泣く。お前は答えない。
「恥ずかしいだろう? 苦しいだろう? みんなの顔を見てみろ。ちゃんと1人1人みるんだ。誰もがお前をキチガイだと思っている。ほら、あのサラリーマンをみろよ。お前にスマホを向けている。今の小学生の笑い声が聞こえたか? 『変態じゃん!』だってさ。そうだよ、お前は変なおじさんになったんだ。俺とおんなじだな」
「違うっ! 俺は違うんだ! 変態じゃない!」
俺が泣き叫ぶと、誰かが「変態ですよー!」とからかいの声を上げ、波のように笑いが広がった。嫌だ。嫌だ。こんなの嫌だ。
気持ちが悪い。心臓が破裂しそうだ。耳鳴りが止まらない。血液が酸になって体を内側からとかしている。苦しい。苦しい。
「生きるのは恥ずかしい。似合わない上に悪目立ちする服を着て、招かれてもいないパーティーにいるみたいだ。あるいは、本当は俺じゃない誰かのために用意された、誰かの体温で温まった椅子に座っているみたいだ。皆が俺を見るんだよ。『そこはお前の席じゃないだろ』って。俺はずっとそう感じてきたんだ」
「やめてくれよ、もうやめてくれ、恥ずかしいんだ、耐えられないんだ」
「俺は痛めつけられるのには慣れている。34年間。ずっとそういう俺だったからだ。
けどお前はそうじゃない。お前は本当のストレスを、本当の苦痛を感じたことがない。お前は黒板の前に立たされて見世物にされる苦痛をしらない。お前は駅のホームで嘲笑される屈辱をしらない。お前は一度として踏みつけられたことのない柔肌だ──蹂躙され、悲鳴をあげろ。俺の世界を見せてやる」
頭が痛い。死んでしまう。死んでしまう。殺される。もうここにいたくない。死んだ方がマシだ。汗が吹き出して止まらない。涙でもう前が見えない。笑い声と悲鳴が俺の周りで巻き起こる。こんなに苦しいのに、どうしてみんな笑うんだ。ああ。声が。声は。俺を笑う声はどれも、俺に似てる。
「今日。お前は自分自身の羞恥心で窒息するんだ」
お前はそう言い、人々の視線の中で踊り始めた。
俺は悲鳴を上げた。
悲鳴を上げ続けた。心臓が狂ったように脈打つ。目の前が真っ赤に染まる。吐き気が止まらない。汚物を吐き散らし、股の内側を尿が垂れ落ちてゆくのを感じる。立っていられない。生きていられない。
「こんな人生いらねぇよ! 生きるってことがこんなことなら、テメェにくれてやる! クソ野郎!」
俺はアスファルトの歩道に倒れる。頭をぶつけた時、俺は自分がロックアップされるのを感じた。
全ての痛みが遠ざかり、俺は安堵に満たされながら意識を失った。
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