カーテンコール

 お前は病院で目を覚ました。


 俺はお前に俺の存在を伝えようとするが、それはもう無理なようだ。俺は完全にロックアップされ、そしてどうやら、ここでこのまま死ぬようだ。

 不思議と気持ちは穏やかだ。

 あんな風に生き恥を晒して生きるよりはこっちの方がずっといい。

 お前のように惨めに這い回る気にはなれない。

 もう勝手にすればいい。

 勝手に惨めに生きればいい。

 苦しんで苦しんで、そして勝手に死ねばいいんだ。もうどうでもいい。

 俺は生きるのなんか金輪際ごめんだ。生きるのは、ひどく気持ちが悪い。


 お前は周囲を見回し、ここが病院だということを把握する。

 お前は注意深く病室を観察し、サイドテーブルに可愛らしい封筒を見つける。あれはお前が寝ている間に由夏が置いていったものだ。もうピオニーの匂いはしない。

 彼女は戻ってはこないだろうとお前は思った。

 病室のドアが開いて「やぁ、スイカ!」とファムが顔を見せた時、お前はばね仕掛けの人形のように体をベッドから起こした。

「嫌だなぁ、そんなに警戒しないでよ。僕ら、もうスイカには何もしないからさ。君、思ってたよりもずっとしぶといみたいだし、相手するのしんどそうだしね。まともな方のスイカも、もうまともじゃないし、僕らにはもう関係ないしさ。それならわざわざ危険な橋を渡ることもないかなって。ほら、治験を途中でやめた人が2人も行方不明になるなんてさ、ちょっと余計な誤解を招いちゃうだろ?」

 ファムは人好きのする笑顔を浮かべた。

「そうそう。松馬さんのことは警察に言っても無駄だからね。警察の中にも僕らはいるし、これから僕らはもっと増えるんだから。スイカ、きっとこの社会はとても素敵な社会になるよ。素敵でまともで価値のある人々だけの世界になるんだ。どんどん君みたいな役立たずが減って、その内、君、きっとすごく寂しくなるんだ。そしたら君、絶対に自分から薬を飲むよ」

 お前は「出て行け!」とファムに怒鳴る。

 ファムは「はいはい。怒らないの。じゃぁまた午後に体温計りにくるからねー」と言って病室から出て行った。

 お前はベッドから立ち上がり、ベッドの下やサイドテーブルの周りを歩いて「きっとどこかにあるはずだ」と思っていた目当ての物を見つける。お前は知らないが、それは由夏が持ってきたものだ。

 お前はお前が気絶している間に病院側が着せた入院患者用の服を脱ぐと、由夏が持ってきた服に着替え、靴を履いた。

 お前は病室から廊下に出る。

 廊下には看護師や患者や見舞客がいたが幸い、誰もお前に注意を払ってはいなかった。

 お前は廊下を歩く。

 どこへ向かっているのかわからない。どこへ行くとも決めてはいないからだ。ただ病室にはいたくなかった。この病院にもいたくなかった。

 お前は早足で廊下を歩いていたが、テレビの取り付けられた待合ロビーで足を止める。オレンジ色のソファーに座った人々がテレビに顔を向けている。

 テレビの中には角山製薬の会議室で向かい合う若い女子アナと前園がいて、前園はいつかお前にK-5087の説明をした時と同じ話をややテレビ向けに誇張した身振りを添えて繰り返していた。

 『誰でも自分の性格に悩みを持っています。もっと明るくなりたい、もっと自信が欲しい、もっと人に好かれたい。なにより、もっといい人間になりたいと思っているはずなんです。この薬が認可されれば、きっと今、自分が好きではない人、悩みを抱えている人を楽にできるはずです』と前園は言う。

 画面が切り替わり、ニュース番組のスタジオが映し出される。

 先ほど前園に取材をしていた女子アナがもう1人の男性アナに向かってこう言う。

『夢のような薬ですね』

 男性アナが答える。

『おや? 田端さんも自分の性格に不安があるんですか?』

『自分に不安がない人なんていませんよ。私、こうみえて人見知りなんです。緒方さんはどうです? 性格を変えたいと思いますか?』

『私の場合はミスをすると落ち込みやすいので、そこをちょっと変えてみたいですね』

『スムーズに行けば来年の秋には全国の病院で取り扱われるそうです。現在、高齢者や女性、子供にも副作用なく使えるように研究が進められているそうですよ。それでは続いてはお天気です』

 

 お前は再び歩き始める。

 お前の中に恐怖がある。薬が広がってゆくことへの恐怖。

 そしてファムが言った通りになるのではないかという恐怖。

 お前は思う。

 いつか自分から俺を呼ぶのではないかと。

 お前自らアンコールを叫び、自ら下ろしたカーテンを上げさせようとするのではないかと。

 俺の再臨を熱望し、自分は間違っていたと叫ぶのではないかと。

 お前には希望がみえない。俺から体を取り戻したはいいが、これからどうすればいいのかまるでわからない。お前は自ら望んで人生という暗闇の中に戻ってきたんだ。


 お前は思う。

 暗闇の中でもあがき続けようと。

 目が見えなくとも足を動かし続けようと。

 一歩前に進むごとに、お前の中に広がった恐怖が遠のいてゆく。

 俺もお前から遠のいてゆく。いいや。取り込まれているのだ。分解され、俺はお前の一部になる。

 お前の恐怖を感じる。不安を感じる。お前が感じる全てを俺は感じる。

 最後に俺はお前の胸に宿るものを感じる。


 ああ。

 なんだ。こんなものをお前は持っているのか。



 なんと美しい輝きだ。

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