初コメで、稚拙な文書お許しください。
小説と言うものを書き始めてみたのですが、アクセス数が伸びないなと悩み、創作論を読み漁っていたらたどり着きました。
「結局自分が書きたいように書いたものを面白くするのが一番」という部分が、心に刺さったのでコメントさせて頂きました。
コンテストではレーベルカラーを考えたりと、その辺りを念頭に置いた上で、結局は、自分の書きたいものを書く。
その考え方が、とてもかっこいいと思いました。
芸人の例えしか思いつかなかったですが、
M-1グランプリは所謂王道のしゃべくり漫才が優勝してきてような歴史(レーベルカラー)がある中で、
ほとんど喋らないマジカルラブリーのつり革ネタが優勝したなというのに思い当たりました。
当時、心の底から笑いましたし、感動したのを思い出しました。
挫けそうになったら、「結局自分が書きたいように書いたものを面白くする」という言葉を思い出したいと思います。この言葉で救われた気がします。
作者からの返信
米太郎さま
コメントありがとうございます。
結局、書きたいものを書いた上で『如何にすれば自分の感じている面白さを読者に伝えられるか』に行きつくんですよね。
編集済
タイトルの『書きたいものを書くしかない』も、それぞれの立場、思惑などからその結論に至るのも理解したつもりです。
ここで本編から外れるので、書くのに適当な場所ではないかもしれませんが個人的に考えてしまします。
小説販売において消費者を広げるということは、今まで小説を読んでいなかった人にも読んでもらうこと(パイを増やす)と、すでに小説を読む習慣がある人を呼び込むこと(限られたパイを取る)があると思います。
これは、どの産業でも一緒に思えますが日本語(文字)という制約はハードルが高いものだと思います。
小説単独という形での商業としての天上があるならば、近くなり圧が上がると努力の成果が出ず、思惑を超えて止ってしまうと考えます。
悲観し過ぎでしょうか?
返信ありがとうございます。
自分で書いていても、ちょっとまとまっていなと思っていたのですがさすが、あさかんさんです。
もっと簡単にあしらわれると思っていたのですが、相手にされたのでもうちよっと喋っちゃいます。
そうです。
1、日本の人口そのものと、多趣味などによる小説を読む人の総数減少のことです。
交える前のつもりでした。
2、新しい話ではありませんが、映像化や翻訳化が結局必要になるのではないかということです。
なんでここに書くの? ってなりますよね。
私はカクヨムにKADOKAWAとの関係で効果を発揮してほしいと思っています。
小説家を未来に引っ張ってほしいと。
(私を引っ張ってもらってもいいですよ!)
『書きたいものを書く』に賛成というか、それしかないと思っています。
でも、プロになればその先にあるのは組織戦で、良くも悪くも一人では戦えないと思います。それぞれの思惑を置いておかなければ進めないときもあるのではと、ちょっと語ってみたくなったのです。
(私ならごねるけどねー)
長文失礼しました。
作者からの返信
深川 七草様
コメントありがとうございます。
私はこのようなエッセイを書かせて頂いておりながら、実はあまり深く考えていない人間なんです……
深川様から頂いたコメントも何回も読み直させていただきましたが、正直なのところよくわかっておりません。
今回のテーマは『自分の書きたいもの』を曲げてまで『読者や編集が読みたいもの』追及したとしても、十人十色、人それぞれ求めるものが違うので、いっそのこと『自分のかきたいもの』を書くのが一番良い、というものでした。
深川さんが悲観しておられるのは、日本語で書かれている小説市場の上限は日本の人口上でどんなに頑張っても百万部に届くか届かないか程度なので、ハードルが高いという部分なのでしょうか?
そして、『小説単独としての商業的な天井』と言いますと、映画化やアニメ化などのメディアミックスを交えた小説本体の売れ行きを含んだものなのでしょうか?
深川様のネックになっている部分が”小説全般”にあるのか、”日本語で書かれた小説”にあるのか、わからなかったのですが、ハリ●ポッターのような大成功例もありますし、日本語小説の翻訳作品が世界へ広まるのが難しくても、小説原作作品のアニメなどが世界へ展開するのは十分ありえますので、それほど悲観しなくてもいいのかとも思えます。
間違っていたらゴメンナサイ💦
物の流れは後になるほど偉い
なるほどそういうことかと、ため息が漏れるとともに、腑に落ちる……とは違いますけど理解できるところはあります。全然納得はしませんけど✨
あたしも、末端の製造に携わる者ですので、この原理は身に染みて分かります。
自分で作れもしない、作り方のさわりも理解していない人間がなぜ作り手にここまで偉そうに指図してくるのか、そして、下流にいくほど儲けが大きいのはなぜだろう、といつも思っておりました。
やがて、「客の意見だ」と聞かされて泣く泣く聞き入れていた意見が、実は売り手側の我が儘だと気づいて、既存の流通から外れる決意をした過去もあります。
双方に言い分があり、確かにわたしは売り手の苦悩は分かりませんが……、既存の流れに沿っていただけということでもあると思います。
作りたいものを作る。
全てはここに帰結するということが、最終的な自然の流れなのかも、と思っております。
とある方の長編創作論でご紹介いただきまして、こちらにお邪魔させていただきました。
続きもじっくり読ませていただきたいと思っております✨