第17話 ふたりきり
目覚めたおっかぁは、すぐそばで横たわって寝ていた僕に気づいて、体を撫でてくれた。僕が「うーん」と体を伸ばすと、「可愛いあんよだねぇ」と笑いながら、肉球をつまんできた。
ベッドから起き上がって、勢いよくカーテンを開けたおっかぁの顔は、晴々していた。外は雲一つない快晴で、窓を開けると心地よい風が入ってきた。
おっかぁは布団カバーやシーツ、タオルケットなどを一気に洗濯した。洗濯機が動いている間、掃除機もかけていた。おっかぁは、ケンタの髪の毛一本すら落ちているのが嫌なようで、狂ったように掃除・洗濯をした。
「なんだろう、すごく気分がいい」
床の拭き掃除も終えて、部屋をぴかぴかに磨いたあとで、おっかぁは窓から身を乗り出して言った。
「鬱病なんか、一気に治ったような気がするよ」
僕もそう思えるほど、おっかぁの笑顔は清々しかった。僕が大好きな、おっかぁの笑顔だ。
「ゴマ次郎、お散歩行こうか」
しっぽをサッサッサと振って、僕は応えた。
美香保公園をゆっくり歩くのは、久しぶりのような気がした。僕はおっかぁと一緒に追いかけっこしたり、芝生に座って休んだり、体をブラッシングしてもらったりして、お散歩を満喫した。おっかぁが元気になってくれたのが嬉しくて、公園でジョギングしている人や、ベンチで新聞を読んでいる人、ベビーカーを押している人、すれ違う人みんなに、得意の笑顔を振りまいた。「可愛いワンちゃんですね」と何度も声をかけられた。頭を撫でてくれる人もいた。
おっかぁは木陰にあるベンチに僕と座った。
「ねえゴマ次郎。美香保公園は、楽しい?」
おっかぁが何を言いたいのかわからなくて、僕は小首をかしげた。
「引っ越ししようと思うんだ。そしたら美香保公園からは離れちゃうけど、それでもいい?」
「いいよ、どこに行ってもおっかぁと一緒なら、僕は楽しいよ」と、おっかぁにぴったり寄り添ってしっぽを振った。
それから間もなくして、僕とおっかぁは引っ越した。今度はワンルームではなく、居間と寝室があって、白い収納棚が備え付けられていた。「白いお部屋って、明るくていいね」と、おっかぁはカーテンや食器棚を白いものに買い替えた。絨毯も毛足の長い白いものを買った。
おっかぁは、クリーニング屋のパートを辞めた。家でパソコンを使って、在宅ワークとやらを始めた。夜のアルバイトは週に2回だけに減らした。おっかぁと一緒にいられる時間がうんと増えて、僕は嬉しかった。この平和な日々を、もう誰にも邪魔されたくなかった。
お散歩コースは、近所の小さな公園まで歩き、そこで休んでから、帰りは遠回りして帰った。公園は粗末な遊具が何個があるだけで、他には何もないさびれた場所だった。住宅街で、車の通りも多かったのでボール遊びはできなかったけど、ベンチはあったので、そこに二人で腰かけて日光浴をした。おっかぁは編み物をしたり、本を読んだりしていた。
夏が近づく季節、僕は毎年、動物病院でフィラリアの予防薬をもらって、ついでに健康診断をするのが恒例だった。
病気など無縁だった僕は、今年も体の中をエコーで検査されていた。体をおさえてくれるおっかぁが、その間ずっと頭を撫でてくれていた。
「心臓の弁の働きが弱くなってきていますね。心臓は血液を送り出すポンプの役割をしていますが、心臓の中で血流が乱れてきています。薬を飲んで様子を見たほうがいいですね」
獣医さんにそう説明されていたおっかぁは、ショックを受けていた。僕は、最近少し体が疲れやすいのを感じてはいたけど、おっかぁに心配させたくなかった。
「ゴマ次郎、ゆっくり年をとってね」その日の夜、ベッドの中で、おっかぁは僕の体を撫でながら呟いた。
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