第16話 別離

「…は?」

 突然の別れ話に、ケンタはびっくりして振り返った。おっかぁはゆっくり起き上がると、クローゼットを開けた。そして、ケンタの大きなスポーツバッグを取り出すと、てきぱきとした動作で中に荷物を詰めだした。

「ちょ、ちょっと待ってや。何してるんや?」

「荷造り手伝ってやるから。パソコンも今のうちに解体して、段ボールに入れて今日中に実家に送って。コンビニで宅配受付してるから。そして明日の便で四国に帰って」

「なんや突然!熱で頭おかしくなったんか?」

「アンタみたいなのを、いつまでも家に置いていた私は、確かに頭がおかしかったわ!」

 ケンタは、椅子に座ったまま呆然とおっかぁの作業を見つめていた。

「なんで、なんでや」

「アンタが私のことを、周囲の人になんて言ってるか知ってるよ。メール見たから」

 おっかぁはゆっくりケンタのほうを向くと、憎悪の塊みたいな目で睨んだ。

「それにね、アンタの父親が、前途有望な自分の息子とやらを返せって、言ってきたよ」

「お、おやじが」

「前途有望ね、笑わせるわ」

 おっかぁが、くっくと笑った。

「早くパソコン片づけて。明日中に出て行かないと、アンタの父親に、アンタがこれまでしてきたことを全部しゃべってやるよ」

「なな、ななこ、すまん。俺、心を入れ替えて頑張るけん、出て行けなんて言うなや」

「今度はどこの毛を刈るつもり?シモの毛でもツルツルにしたら許してもらえると思ってるの?」

 30分ほどで、バッグにケンタの荷物を入れ終えたおっかぁは、それを玄関先に放り投げた。

 ケンタは、すがるような目つきでおっかぁを見ていた。目には涙が浮かんでいた。よく見てみると、ゲーム内でのケンタのキャラクターはとっくに死んでいた。

 なかなか動かないケンタを見て、おっかぁはローボードの中から、金づちを出した。前のパパが忘れて行ったものだ。

「片づける気がないなら、今ここで壊すから」

 おっかぁが、本気でパソコンを壊そうとしているのを知ったケンタは、慌てて金づちを取り上げようとした。

「わかった!わかったから、出ていくけん、パソコン壊すのだけはやめてくれや」

 ケンタは、鼻をぐすぐす鳴らしながら、ろくに掃除もしていなかった埃だらけのパソコンを解体し始めた。自分の衣類をクッション材代わりにして、段ボールにパソコン一式を詰め込んだ。そしてアパートの斜め向かいにあるコンビニエンスストアに持って行った。

 戻ってきたケンタは、椅子に座ってたばこをふかしているおっかぁに、小さな声で言った。

「荷物は着払いで送ったけど、飛行機のチケット代が…」

「ママに頼んだら。いつもそうしていたように」

「空港までも、送ってくれんのか?」

 その言葉で、おっかぁはいよいよキレたようだ。ご近所に響き渡るほどの大きな声で怒鳴った。

「お前、ふざけてんじゃねえ!自分を何様だと思ってんだ!」

 ケンタは床に座ったままうなだれていた。

 おっかぁは、ただでさえ熱が出ているのに、急に動いたり怒鳴ったりしたから、体をぐらつかせてベッドに倒れこんだ。僕もベッドに飛び乗った。

 ケンタが、いつも通りベッドに入ってこようとした。するとおっかぁは、また怒鳴った。

「私とゴマ次郎のベッドに、気安く入ってこないで!!」

 僕も、ケンタに向かって吠えた。よく考えれば、ケンタに吠えたことは今まで一度もなかった。「おっかぁに触るな!」僕は歯をむき出しにして、唸った。

 ケンタはため息をついて、再び床に座った。やがて、そのまま横になった。時折、「なぁ、ななこ」とおっかぁを呼んでいたけど、おっかぁは返事をしなかった。


 次の日の朝、ケンタは起き上がって、おっかぁの耳元に顔を近づけて言った。

「俺、もう行くけん。なぁ、俺、行くで」

 おっかぁは、熱がだいぶ引いたようで、すやすやと深い眠りについていた。僕は、ケンタがおっかぁに触ろうものなら、その手を噛みちぎってやると思って、身構えていた。

 おっかぁが起きないのを悟って、ケンタは目を僕に向けた。

「ゴマジロ、元気でな」

 ケンタが玄関から出て行くのを、僕は見送ろうとしなかった。おっかぁの枕に顎を乗せて、後姿を見ていただけだった。もう二度とケンタが戻ってこないように、おっかぁの心が安らぐように、祈るばかりだった。

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