第15話 メール

 おっかぁがスリッパのまま病院から帰ってきた日、ケンタは仕事から帰ってくるのが遅かった。僕は気にもしていなかった。このまま帰ってこなければいいのに、そう思っていた。

 まだ体にお薬が少し残っていたおっかぁは、動くとふらふらするらしく、その日のお散歩は行けなかった。おっかぁは僕に謝ったが、僕は平気だった。その代わり、おっかぁは僕のご飯にとっておきの馬肉を入れてくれた。僕がしっぽをワサワサと振りながら食べているのを、おっかぁは微笑みながら眺めていた。

 夜の7時頃、玄関から物音がした。ケンタが帰ってきたようだ。居間に入ってきたケンタを見て、おっかぁはぽかんと口を開けた。ケンタの頭が、丸坊主だったからだ。

「これで許してもらえるか、わからへんけど、これが俺の誠意や。許してくれへんか」

 恥ずかしそうに頭を撫でながらケンタは言った。すると、しばらく黙っていたおっかぁが、ぷーっと吹き出して、大笑いした。おっかぁが大きな声で笑うのを見たのは久しぶりだ。

 その日の夜、二人は仲直りして、前みたいに楽しそうに晩御飯を一緒に食べていた。僕は一抹の不安を感じながらも、少しほっとした。

 おっかぁは、またすぐに仕事に復帰した。ケンタが家にお金を入れてくれないのは相変わらずだったけど、働いているというだけで、おっかぁのストレスは少し減っているようだった。


 それから何日か経った日のことだ。おっかぁが熱を出して、クリーニング屋のパートを休んだ。

 辛そうにしながらも、ケンタの朝ごはんとお弁当を作って送り出すと、またベッドに横になった。

 その時、ベッドにケンタの携帯電話があることにおっかぁが気づいた。どうやら持っていくのを忘れて出勤したようだ。「困らないといいけど…」とおっかぁは心配していた。

 お昼になって、ケンタの携帯にメールが送信されてきた。僕と一緒にベッドでうとうとしていたおっかぁが、何気なくケンタの携帯電話を見た。

 

 『あれからどうなった?自殺未遂の馬鹿女と、まだ別れてないんか?』


 おっかぁは、目を丸くして、しばらくそのメールを見つめていた。それはケンタの話題によく出てくる、四国の友達からのメールだった。

 ベッドから体を起こしたおっかぁが僕は心配で、背中に寄り添った。

 おっかぁは、ケンタの携帯電話のメールの履歴を確認し始めた。そこには、以前から男の名前で登録している浮気相手の女の人、四国の友達、ケンタの母親などと頻繁にやりとりしている形跡があった。その内容は、すべておっかぁを否定する内容だった。


『早くそんな年増と別れろって。こっちに戻ったら若くて可愛い女の子紹介するで』

『そうやなぁ~。最近、若い女の子がミニスカートで歩いてるの見たら、なんで俺もっと若いのと付き合わなかったんやろって思うわ~』


『お金、口座に振り込みました。坊主頭にしてまで、その女の人と付き合う価値があるの?もっと自分を大事にしなさい。お母さんはケンタが心配ですよ』

『すまんなオカン。実際、俺もそろそろきついなと思ってるねん。価値、ないんやろうか?』


『ケンタ、最近会えないけど元気なの?今の彼女、自殺未遂したって本当?ウザイね。早く捨てちゃいなよ』

『会えなくてすまんなぁミホ。ぶっちゃけウザイわぁ。マジで捨てたろかな(笑)』


 おっかぁは、ケンタの携帯を握りしめて、ベッドの上でうずくまった。また泣いているのかな、と僕はおっかぁの顔に近づいた。でもおっかぁは涙は流さずに、荒い呼吸をしながらケンタの携帯電話を握りしめていた。その手は、震えていた。


 その夜のことだった。ケンタはおっかぁがメールを見たことも知らずに、呑気にパソコンでゲームをしていた。

 何もしゃべらず、ベッドで横になっていたおっかぁのそばで、僕はササミ巻きガムを食べていた。そのときふと、おっかぁの携帯電話にメールが送られてきた。

 おっかぁが、力なくメールを見た。それは、ケンタの父親からのメールだった。今までケンタの親からメールなど来たことがなかったので、おっかぁは少しびっくりしてフォルダを開いた。


『ケンタの父親です。夜分遅くに失礼します。ケンタが何も相談せず北海道に渡ったのは、ただの若気の至りであり、あなたのことを本当に愛しているかといえばそれは違うと私は判断しています。ケンタはまだ若く、将来もあります。どうか、ケンタを返してくれませんか。はっきり言って、ケンタはあなたに騙されたようなものだと感じています』


 おっかぁは、パタンと携帯電話を閉じた。そして、鼻歌混じりでパソコンに向かっているケンタの背中に向かって、ぽつりと言った。

「ケンタ、明日までに、この家を出て行って。二度と帰ってこないで」

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