第6話 笑う犬

 パパの傷害事件があってから少しして、僕らは引っ越すことになった。

 おっかぁとパパは、とりあえず仲直りはしたようだが、パパがキレると何をするかわからない、ということだけはおっかぁはわかったようだ。

 新しいアパートは同じ市内だけど少し田舎っぽい場所にあり、アパートの周りは全部玉ねぎ畑だった。

 引っ越しでは、新しいセミダブルのベッドを買った。僕が一緒に寝ても狭くないように、だ。ただ、パパは少し太っていたので、ダブルベッドでも良かったかも知れない。

 前のアパートより広く、少し家賃は高めだったようだ。

 パパは、よくわからないが「ヨウイクヒ」というものを毎月どこかに払っていたらしく、おっかぁのパートの稼ぎはすべてその「ヨウイクヒ」に消えているようだった。

 おっかぁとパパは、結婚はしていなかったが、結婚前提で一緒に暮らしているようだった。僕は、できればおっかぁと二人で暮らしたかったけど、こればかりは仕方ない。できるだけパパのそばには近づかないようにした。

 玉ねぎ畑の周辺でのお散歩は、車も全然通らないし見晴らしが良くて、僕とおっかぁはのんびり歩いてお散歩した。前のように外でボール遊びはできなくなったけど、その分家の中で、ボールやおもちゃを投げてもらってそれを持ってくると、おっかぁは頭を撫でてくれた。

 おっかぁのぜんそくは、薬を切らすとすぐに呼吸困難の発作が起こるので、毎日、粉の吸入器を吸い、少し息がつらくなったら気管支拡張剤を使っていた。僕のせいで大変な病気になったのに、おっかぁは僕を手放さないどころか、文句ひとつこぼさず、ありったけの愛情を注いでくれた。

 ところで、パパが前のアパートで窓ガラスを壊したときに、なぜおっかぁの親じゃなく兄が来たかというと、おっかぁの両親は転勤族で、日本各地を飛び回っていて近くには住んでいなかったのだ。

 おっかぁの両親のもとには、僕より2歳年上の、シーズーの豆太郎おにいちゃんがいる。僕がなぜ(ゴマ『次郎』)かというと、最初におっかぁが実家で飼っていた犬が(豆『太郎』)だったので、僕は次男という扱いになった。

 おっかぁの両親が転勤するとき、引っ越し先で荷物が片付くまでおっかぁに豆太郎おにいちゃんを預けたらしく、そのときおっかぁはもうおなかに赤ちゃんがいて、溺愛していた豆太郎おにいちゃんを両親のもとに送るとき、空港で大泣きしたそうだ。そして、赤ちゃんも諦めることになって、ダブルパンチだったとおっかぁは僕に話してくれた。

 こんな感じで、おっかぁは犬の僕にもなんでも話してくれた。「またゴマ次郎に愚痴っちゃった」とおっかぁはよく言っていたけど、僕はおっかぁの話を全部理解していた。時折難しい言葉が出るとわからなくなるけど、だいたいのことはわかった。

 おっかぁは、なるべく僕の毛やフケを吸い込まないように、こまめにトリミングに出してくれたり、自宅で洗ってくれたりしていた。

 当時、サッカーでベッカムという人が人気だったらしく、おっかぁの友達が働くトリミングショップに出されたとき、頭をモヒカンにされ、その部分を黄色く染められたことがある。おっかぁは爆笑していたからいいけど、お散歩の最中によその人から指をさされて笑われるのはちょっと恥ずかしかったな。そのときの写真が、北海道新聞のペット紹介コーナーに出て、おっかぁはちょっと誇らしげだった。

 そのころから僕は、「いい笑顔の子だね」とよく言われるようになった。僕は嬉しいときいつも顔が緩んで、ニパッ、と笑顔になるようになっていた。そのせいで、おっかぁのパソコンに入っている僕の写真はほとんどが笑顔のものばかりだ。

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