第5話 おっかぁの病気

 僕がおっかぁの子になって一年近く経った頃、おっかぁの体調が悪くなり始めた。くしゃみと咳がひどく、発熱もしているようだった。

 ベッドに横になって咳き込んでいるおっかぁに寄り添ってみると、「大丈夫、ただの風邪だからね」と、頭を優しく撫でてくれた。

 数日たったある日、おっかぁは朝からひどく咳き込んでいて、何度もティッシュに血痰を吐いていた。

 パパは、その日は会社の誰かさんと飲み会に行くと言って、夜に家を出て行った。

 おっかぁの症状は、どんどんひどくなっていった。肩で呼吸をするようになり、その呼吸も、ほとんど息を吸えていないようで、苦しそうにしていた。近づいてみると、喉からひゅー、ひゅー、と音が聞こえてきた。

 おっかぁは携帯電話で、パパに「息がまともに吸えない。苦しくて死にそうだから、すぐ帰ってきて」とメールを打った。しかし返事はなかった。しばらくして、おっかぁはまたメールを送っていたようだが、パパからの返事はなかった。

 「ゴマ次郎、パパはおっかぁのことが、どうでもいいみたい」と、おっかぁは言った。そして荒い呼吸のまま、押入れを開け、段ボールにパパの荷物を放り込み始めた。僕はそんなに動いたらおっかぁの息がとまってしまうのではないかと心配になったが、おっかぁの決意は固かったようだ。

 段ボール2箱に、パパの荷物を全部詰め、アパートの廊下に出すとおっかぁはドアにカギとチェーンをかけた。おっかぁの息が苦しそうなのは、病気なのか、パパへの怒りなのかは僕にはわからなかった。

 深夜3時。パパは帰ってきたようだ。そして、鍵を開けると、中から頑丈なチェーンをかけられていることを知ったようだ。

 パパは外からこちらに向かって何か喚いていたが、すぐにその場を去った。そして数分後、戻ってきたと思ったら、玄関のドアを大きなスパナで壊し始めた。しかし、さすがにスパナで、しかも酔っぱらっている状態でドアを壊すのは無理と諦めたパパは、またその場を去った。そして、数分後、今度は脚立を持ち出し、それに登ると、2階の我が家の窓ガラスをスパナで叩き出した。

 おっかぁはすぐに僕を抱きかかえると、奥の寝室へ避難した。その間も、おっかぁの呼吸は今にも止まりそうだった。ごふ、ごふ、と咳をしては、ティッシュに血痰を吐いた。

 たたき割られた窓から、酔っぱらったパパが入ってきた。そして、酒臭い匂いをぷんぷんさせながら、「てめぇ、俺のこと、ナメてるのかおい!」と叫んだ。おっかぁは息も絶え絶えで、「私のことより、飲み会のほうが、楽しいんだろ。そんな男なんかと、暮らせない。出て行け」と吐き捨てた。土足のパパの靴の底で、パリっとガラスが割れた。

 パパは玄関のドアを中から開けると、外に放り出されていた段ボールを部屋の中に運んだ。そして、ぷいっとどこかへ行ってしまった。

 おっかぁは、近所に住む兄に連絡をしていた。そして間もなくおっかぁの兄夫婦がきた。奥さんが僕を一時的に預かってくれて、おっかぁはお兄さんに連れられて病院へ行った。

 おっかぁの体調不良は、風邪なんかじゃなかった。アレルギー性のぜんそくだった。もともとアレルギーもぜんそくも縁がなかったおっかぁは、まさか自分がぜんそくの発作を起こしていると思わなかったのだ。そして、あと1時間遅かったら死んでいたらしかった。

 おっかぁはいろんな検査をして、アレルギーの原因が動物であることが判明した。医者はおっかぁに、僕を手放すことを強く言ったそうだ。しかし、おっかぁは頑として首を縦に振らなかった。「ぜんそくと共存しながら、ゴマ次郎は私が育てます」そう言ったそうだ。

 後日、窓ガラスとドアの修理費で20万円請求がきたらしい。

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