第3話 桃と優人
それから一週間がたった。私と桜井君は毎日、なんとなく一緒に帰るようになっていた。桃は渡辺君と別れたと噂になって、何人もの男子が桃に告白しにいったらしい。けれど桃は全員を冷たく振っているそうだった。
「須藤のことしか、相沢には見えてないんだよ」
そう桜井君がぽつりとこぼしたけれど、私は聞かなかったふりをした。
まただ。また私は目をそらしている。桃が誰のものにもならないことに笑い出しそうなほどの愉悦を感じている。けれどそれを押し隠してなんでもないふりをする。
情けない嘘つきだ。でも他に何ができる? 私と桃の間にこれ以上なにも生まれないのに。桃を得ても、それは一生続くことはないと知っているのに。大人になれば桃は私を置いていく。私以外の誰かを愛してしまう。
「優人君」
桜井君と並んで校舎から出ようとしていると、いつの間に寄って来ていたのか、桃が桜井君に話しかけた。
「ねえ、二人で一緒に帰らない?」
桜井君の顔が見る間に真っ赤に染まった。桃は私のことなど見えていないかのように桜井君の手を取った。
「優人君って呼んでもいいよね」
確信をもって桃が口にした言葉に、桜井君は考えるひまもなくうなずいた。
「行こ」
桃に手を引かれて桜井君は校舎を出て行った。その間際、ほんの一瞬だけ、桃は私の方へ振り返ろうとした。ほんの一瞬だけ。それは桃から私への合図。今戻って来たらゆるしてあげる、そうはっきりと私に伝えた。
駆け出したかった。二人の手を振りほどきたかった。だけど私は動けなくて、そっと眼鏡を押し上げた。私と桃の間を隔てる透明な硝子。それはもう二度と決して取り外すことはできない。してはならない。そうしないと私は、私はきっと桃と私が生きてきた世界を全部こわしてしまう。
桃と一緒にいる桜井君はいつも幸せそうで、なのにどこか心配げだった。きっと桃が渡辺君にしたように桜井君のことも拒絶するだろうと恐れているんだろう。
けれどきっと、そうはならない。桃が桜井君のことを『優人君』と呼ぶとき、彼を見上げるとき、その瞳はうるんだようにきらめく。その目は私がよく知っているものだから。桃は桜井君の中に私を見つけてしまったのだ。私と桜井君は同じだから。桃を想う重さが、桃を想って辛い夜を超えた思い出が、同じなのだ。
私はもう、いらないのだ。
二人の仲の良さはすぐに学校中に知れ渡った。私の耳にもいろいろな噂が飛び込んでくる。二人がどこへ出かけたのか、いつもどんな風に歩いているのか、あの路地にどれほど長い時間、寄り添って立っているのか。
そんな噂を聞かなくても、私には手に取るようにわかっていた。だってそれはすべて私のものだったのだから。桜井君はただ、私がいた場所に滑り込んだだけなのだから。
桃が『優人君』にわがままを言っているのを何度となく聞いた。今まではすべて私が聞いて、かなえてきたわがままだ。桜井君は困ったように笑いながら、でも嬉しそうに桃の言うとおりに動く。
見れば辛くなる。だけど目の端で追ってしまう。桃は私の視線に気づいていた。気付いたうえで、わざと私のいるところで桜井君の腕をとった。
走って行って、桜井君の腕から桃の手をはぎとりたい。
そして私は鏡で自分の姿を見る時のようにはっきりと、はっきりと自分の心を見て取った。私は桜井君を憎んでいる。私と同じように桃を失えばいいと呪っている。
私は、醜い。
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