第7話 換毛期

 僕等は年に二回、換毛期前にブラッシング講座を開く。


 獣人にもいろんなタイプがあるけれど、ダブルコートタイプで体毛の多い方は換毛期はとても大変だ。

 ダブルコートタイプの方は、皮膚を守る長い毛を残したまま、体温調節用の短い毛が換毛期に抜ける。 


 換毛期は抜け毛の量もとても多くて掃除が大変。

 ブラッシングするとハゲるんじゃないかというほど抜け毛がブラシに引っかかる。


 大変な作業だけど、抜け毛を残したままで居ると皮膚の新陳代謝や通気性が落ち皮膚病の原因になるから、こまめに丁寧にブラッシングする必要がある。

 

 僕等がブラッシングするのが良いのだけれど、僕等がやると無料というわけにはいかない。肌のケアだけじゃなく、除菌や毛の艶や匂いの対策もするしね。

 だからブラッシングを丁寧に行う必要性と重要性を伝え、可能な範囲はご自分でと講座を開いている。


 この講座が最近独身獣人の出会いの場になっている。

 同じ悩みを抱える者同士なら生活上でのトラブルが少ないだろうということらしい。


 目の前の受講者同士は、換毛期のせいでパートナーに嫌な顔をされて別れたとか……抜け毛が肺に入って病気になったとか……そういった経験談をきっかけにした後、その辺の苦労をネタにデートの約束を取り付ける方向に進んでいる。


 お客さんの中には、この講座で知り合って結婚した夫婦が換毛期になると二人でトリミングに来る方達もいる。災い転じてパートナーを手に入れている様子に、この講座を開いて良かったなと僕は思っている。


 ただ、中にはきちんと講座の内容を聞かずに、パートナー探しにだけ夢中な方もいてちょっと頭が痛いこともある。

 話をきちんと聞くようにと注意しても、この手の方は従ってくれない。


 何度か注意しても大人しく話しを聞いてくれない場合は、別室に連れて行き、そこで個別に講義することにしている。

 受講料を貰っているのだから、講義を受けさせないという手段は僕はとらない。

 それに、その方だけでなく周囲の迷惑にならないためにも正しいブラッシングをしっかりと覚えてもらいたいしね。


 だが、この手の人は「じゃあ、いいや」と言って帰ってしまうことが多い。


 無理強いできることじゃないから帰すけれど、ある日そんな困った人の一人がちょっとしたトラブルを起こしたんだ。

 

◇◇


 「アレックスさんはいらっしゃる? 」


 明らかに怒ってる表情のポメラニアン系犬人の女性が仕事中に来た。

 

 「はい。私がアレックスですが、どのようなご用件でしょうか? 」


 彼女は後ろにいるボーダー・コリー系犬人の男性を見て、


 「彼にブラッシングを教えたのはあなたですか? 」


 その男性を僕の前に引っ張って「確認してちょうだい」と険のある声で言う。

 見覚えがあるような無いような……でもブラッシングを教える機会は講座くらいしか思い当たらない。

  

 「講座受講者ですか? 」

 「この人はそう言ってるわ」

 「えーと、受講者は大勢いらっしゃいます。申し訳ありませんが全ての方を覚えてはいません。ですが、受講完了の証明として櫛とブラシをお渡ししておりますので、受講者ならそれをお持ちだと思います」


 講義の最後に、実際にブラッシングしてもらう。

 正しくできるまで何度でもやってもらう。

 その際に抜け毛を梳く櫛と肌に刺激の少ないブラシを渡していて、正しくブラッシングできた方には櫛とブラシをそのまま持って帰って貰っている。

 受講完了した証明にもなるからね。


 「どうなの? 」


 女性は男性にきつく問う。


 「……なくした……」


 俯いたままぼそっと男性がつぶやく。


 「えーと、どういう事情か詳しくお教え願いませんか? 」


 このままではらちがあかないと僕は女性から話を聞くことにした。

 二人は最近知り合ったという。

 換毛期に入った彼女は、チョココ医院のアレックスが開いているブラッシング講座を受けたと言っていたから、ブラッシングしてもらうことになった。

 ところが実際にブラッシングして貰うと、肌は荒れるし体毛も乱れた。

 こんな酷いブラッシングを教えて、受講料を貰ってるのかと文句を言いに来たということらしい。


 最初に見た時から、ポメラニアン系特徴の柔らかくふわふわした毛が乱れていることには気づいていた。だけど最近は、わざと乱したワイルドな雰囲気を好む方も居るから、この女性もそうなのかもしれないと考えていたがどうやら違うらしい。


 「ジェシカ、この方の肌をケアしてあげてくれる? 」


 肌のケアをする際に状態を確認するから、どういうことになっているのかジェシカに見てもらうことにした。

 頭皮を確認したジェシカが


 「体毛の根元に残らないよう無理矢理櫛を使ったんでしょうね」


 どうやら肌をひっかくように櫛を使ったらしい。

 僕の講座受講者ならそれは避けるはずだ。

 その為に肌に触れる箇所はブラシを使うようしっかりと教えている。

 肌が弱い人ならかゆみだけでなく傷がついちゃうからね。


 僕等の会話を聞いている男性は俯いたまま無言だ。


 「じゃあ、魔法で治癒したあとクリームを塗っておいてあげて」


 ジェシカに指示したあと、


 「私の講座で、絶対にやってはいけないと教えていることです。何故こんなことを? 」


 男性はやっと重い口を開いた。

 講座は受けに行ったけれど途中で帰った。

 でも彼女にいいところを見せたくて、講座を受講したと言い、彼女からブラッシングを頼まれた時には引くに引けなかった。

 そういうことらしい。


 だいたい想像通りだ。


 「……彼女さんが大事なら……もう一度講座を受けてみますか? 」

 「今年は講座はもうないだろう? 」

 「ええ、ですから、今からここでです」

 「宜しいんですの? 」


 僕と男性の会話を聞いていた女性が、ジェシカにケアされながら驚いたように言う。


 「もちろん受講料はいただきます。他の受講者に怒られますからね」

 「でも? 」

 「いいんです。彼はあなたに格好の良いところを見せたかった。やったことは軽率でしたが、そういう気持ちは同じ男性として判るんです」 


 僕は男性を女性のそばまで来るよう言い、彼女をブラッシングするところを見てもらった。毛の流れに逆らわないように櫛を通し、ふんわりと仕上がるよう、そして肌を傷つけないようブラシを使う。


 「彼女さんはとても肌が繊細なのです。ですから慎重に丁寧にブラッシングしてあげてください」


 それでも肌が荒れたりかゆみがでることはある。

 その場合はチョココ医院でお薬を貰って下さいと伝えた。


 帰り際、受講料を払う彼に櫛とブラシを渡した。

 

 「素敵な彼女さんのため頑張ってくださいね」


 何度も頭を下げる彼と、笑顔で礼をする彼女。

 二人が腕を組んで帰る様子を見守り、そして僕も頭を下げる。


 「またのご利用を心からお待ち申し上げております」

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