耳と片腕なし芳一 -怒りのFURY法師-

吉岡梅

 盲目の琵琶法師びわほうしである芳一ほういちは、和尚の筆により全身に経文を書いて貰っている最中であった。


「芳一、この般若心経の書いてある部分は幽鬼どもには見えぬはずじゃ。今宵奴らが迎えに来たとしても、決して声を上げるでないぞ」

「ああ。和尚。恩に着る」

「なんのなんの。こちらは金さえ貰えれば、それで良いのじゃ」

「その金だが……」

「何!? 芳一お主まさか」


 和尚の筆がピタリと止まる。


「ああ、次のライブまで待ってくれないか。必ず払う。ふた月後だ。まぁご時世もあるんで延期するかもしれねぇが」

「何を世迷い事を。金が無いのなら儂の仕事はここまでじゃ。せいぜい気を付けるのだな」


 そう言うと、和尚はさっさと帰ってしまった。


「仕方ねえ。和尚もプロだ。これで行けるところまで行くしかねえか」


 芳一は琵琶を手に取ると、お堂の中央に胡座をかいて夜が更けるのを待った。

 そして深夜。すっ……と襖が開くと、みしり、みしりと床板を踏む音が聞こえてくる。


「芳一、おるか? 今宵も主の元へと迎えに参ったぞ」


 幽鬼だ。しゃがれ声で芳一を呼び、部屋の中を見回している。


「はて。おらぬではないか。部屋の内にあるのは、琵琶と、――あれはなんじゃ。耳か? 耳と、そして左腕か? 面妖な事もあるものじゃ。おい、おおい、芳一、おらぬのか! これは何事じゃ!!」


 芳一は口の中で小さく念仏を唱え、精神を集中していた。


「おらぬか。ならば仕方あるまい。手ぶらで帰ってはそれがしが主に斬られるばかり。やむを得ぬ。ある物を頂いていくしかあるまい」


 そう言うと、幽鬼は芳一の耳をむんずと掴み、そのまま引きちぎった。芳一は、激しい痛みに耐え無言を貫いている。さらに幽鬼は芳一の左腕に手をかけた。そしてそのまま、和尚の筆が入っていない肘から先をメキメキともぎ取る。芳一は脂汗を流し、消え飛びそうになる意識を必死で保ち、なんとか無言を貫く。

 耳と左腕を手にした幽鬼は、そのままどこかへと帰って行った。


「くッ……はぁッ! はっ! 痛ゥ。クソッ! 幽鬼め。俺の耳と左腕を……これじゃあもう琵琶は……許さねえ!!」


 芳一は痛みと血の海にのたうち回りながら、幽鬼への復讐を誓った。そして、そのまま起きあがることもできず、いつのまにか意識を失っていた。


***


「芳一! おい! 芳一!」

「ん……ああ、和尚か。痛ッ!」

「派手にやられたのう」

「ああ。奴らをやり過ごすことは無理なようだ。今宵も来るだろう」

「どうするのだ。逃げるのであれば、いい寺を紹介するぞ」

「すまねえ。和尚。だがここを離れるわけにはいかねえ。一つだけ頼みがある」

「なんじゃ。経文か? 乗りかかった船じゃ。タダで全身に書いてやろうぞ」

「ありがたい話だが、そうじゃねえ。書いて貰いたい物があるってのは同じだが、俺が欲しいのは1文字だけだ」

「1文字とな?」

「ああ、そうだ」


***


 その夜、芳一はやはりお堂の中央で胡座をかいていた。失った左腕には、むしろがグルグル巻きにされている。

 やがて夜も更けた頃、やはり襖がすっと開き、幽鬼が入ってきた。


「ほう、芳一、今宵はおったか。ささ、主の元へ案内しよう。またおぬしの琵琶と唄を聞かせてくれ」


 芳一は抵抗もせず、幽鬼に手を引かれてどこかへと連れて行かれる。やがて、辺りがざわざわと賑やかになり、食事の音や酒を酌み交わす音まで聞こえてきた。


「おお、来たぞ」

「芳一ではないか! 待っておったぞ!」

「今宵も極上の平家物語を聞かせてくれ」


 幽鬼の集団は、歓声を上げ、芳一に唄を催促する。その時だった。芳一はチャクラを練り、裂帛れっぱくの気合いを込め、短く叫んだ。


ケン!!」


 すると、芳一の額に書かれたひと文字、「目」の文字がみるみる盛り上がり、ひび割れたかと思うとカッと見開く。芳一の第三の目が開眼した!


「見える。見えるぞ。やはりテメエらは、成仏しきれねぇ平家の落人どもだったか」


 幽鬼達がざわめき、殺気立つ。


「お主、その目はなんだ。姿を見られたからには、生きて返すわけにゆかぬぞ」

「お主の琵琶を聞けるのも今宵限りか。惜しい事よ。さあ、我らに喰らわれる前に、最期の演奏をするがよい。せめて、1曲くらいは聞いてやろう」


 幽鬼どもは芳一に罵詈雑言を浴びせ続ける。芳一は手にした琵琶を、幽鬼たちに見せつけるように、ごとりと落とす。


「生憎、てめえらに落とされた左腕のおかげで琵琶は弾けねェ。だが、安心しろ。別の物を用意してきた。今宵俺が聞かせるのは、このサウンドだ」


 芳一は、左手に巻いていた筵をはぎ取る。その下から現れたのは、鈍色にびいろに怪しく光る刃を持つチェーンソーだった。芳一は左手に埋め込まれたそれを構えると、右手でリコイルスターターを掴んで勢いよく引っ張る。

 

ドルルルン……ドルルルルルン……


 エンジンが始動し、混合ガソリンが焼ける臭いと共にチェーンソーが音を立てて回転を始める。


「覚悟はできてるか。幽鬼どもよ。左腕の落とし前、きっちり付けさせて貰うぜ」


「おのれ芳一! なんじゃその絡繰からくりは! もはや猶予はやらぬぞ。皆の者、かかれ! 芳一を骨まで喰らってしまえ!」


 幽鬼たちが飛びかからんとしたその時だった。


「祇園精舎のォ鐘の声」


 朗々と法一が詠う。襲いかかろうとしていた幽鬼どもの動きが止まる。


「なんと」

「良き声じゃ」

「聞き惚れてしまい体が動かぬ」


 ドルルルン。エンジンの演奏と共に、芳一が左腕を振り上げゆっくり歩を進める。


「諸行無常の響きあり」


 ざん。

 芳一が左腕を振り下ろすと、1匹の幽鬼の脳天にチェーンソーが突き刺さる。


「ぐおおおおおお」

「貴様!」

「チェーンソーつええ!」


 刃は回転を続け、ゆっくりと幽鬼を両断する。


「おの……れ……」

「刀みたいに一気に両断しないのがいいよね」

「拙者それわかる。はじめちょっと引っかかり気味でいけるかいけるか? いったーってのがすき」


 芳一の歌が途切れた隙を突き、背後から別の幽鬼が刀を振りかぶって襲い掛かる。しかし芳一はもとより盲目。気配を読み取りチェーンソーで刀を受ける。ギャギャギャギャという甲高い音と共に火花が飛び散り、刀が折れる。


「沙羅双樹の花のォ色 盛者必衰の理をあらわす」


そのまま芳一は幽鬼を切り裂く。


「なんと……我が刀が通じぬか」

「うおおおお火花! やっぱ火花だよ!」

「上がるよねー。相手の武器切っちゃうのとかも」


ドルルルルン……ドルルルン……。芳一は振り返ると、再び奥へ奥へと歩を進める。


「驕れるものも久しからず ただ春の世の……夢の如し!」


 一閃、二閃。芳一は次々に幽鬼どもを斬り捨て前進する。


「グ……おのれ……ところで拙者混合ガソリンの匂いも好き」

「わか……るー」


 残る幽鬼は一人のみとなった。


「猛き者も遂には滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ」


 尼僧の身なりをしたその幽鬼は、般若の面を被っている。ゆらりと立ち上がると、胸に抱いていた剣を抜く。闇夜の中においても光輝くこの剣こそは、神剣、天叢雲剣あまのむらくものつるぎ


「その剣……アンタ時子殿か」


 般若は剣を構え、皺がれた声で返事をする。


「いかにも。芳一、よくも我が同胞を屠ってくれたな。冥途の土産に神剣の切れ味、その身にとくと味わうがよい!」


 芳一は般若の剣をチェーンソーで受ける。2人の異形の頭上で激しく火花が散る。


 むくり。

「ああああああ国宝! 国宝ですよ芳一さん!?」

「国宝にチェーンソーはまずいですよ! でもさすが国宝斬れねー。上がるー」

 ぱたり。


 芳一はそのまま般若を押し返し、2人の間に距離が開く。じりじりとした睨み合いが続き、闇夜にこだまするのはチェーンソーのエンジン音だけになっていた。すると、ふと、般若が構えを解いた。


「解った。芳一。わらわの負けじゃ。妖になり果てたとはいえ所詮は女の身。悲しいかな男の其方には勝てぬ。どうじゃ芳一、見逃してはくれまいか。さすれば、今後ぬしに手出しはせぬと誓おう。のう。哀れと思って、この通りじゃ。刀も捨てようぞ」


 般若は剣を地に置くと、両手を上げて芳一へと近寄って来た。芳一は無言でチェーンソーを下した。その時だった。般若の目が怪しく光り、面を突き破って牙が伸びてきた。


「馬鹿めが! 我が舌先に騙されおったな! その喉笛、食いちぎって……!」


 般若は腰のあたりに何かがぶつかるのを感じた。下を見ると、右の腰にチェーンソーが食い込んでいる。


「お……おのれ!! 芳一! これだけは言っておこうぞ! 未来永劫、そな……」


 般若が何事かを言い終わる前に、芳一の左手は横薙ぎに振り上げられていた。哀れ般若の胴体は左腕ごと両断された。


「……何か言ってたか? すまねえな。こちとら耳がねェんだよ。……テメエらのおかげでな」


 芳一は、停止ボタンを押してチェーンソーを止める。ふうっ、とため息をひとつつき、寺への道を歩き始めて、ふと、振り返った。その視線の先には、倒れる般若の姿があった。


 何を思ったのか、ゆっくりと近付くと、その場でメリメリと左手のチェーンソーを引き抜いた。血が噴き出すのも構わずに、今度は般若の切り落とされた左腕を取る。そして、自らの左手に埋め込むと、チャクラを集中して繋ぎ合わせた。


「平家物語が聞きたきゃ、俺がそっちに行った後で死ぬほど聞かせてやる。おとなしく待ってるんだな。それまでは、俺がこっちでお前らの事を歌っておいてやるから、ちょっと付き合え」


 盲目の法師は、天叢雲剣を拾うと、闇夜の中に消えて行った。


***


 その後、芳一は天叢雲剣を伊勢神宮に奉納し、耳の傷も無事に癒えた。この出来事が世間に広まり、彼は「耳なし芳一」と呼ばれるようになった。その琵琶の腕前はますます評判になり、特に、平家物語の壇ノ浦の段の演奏は真に迫り、「鬼神も涙を流す」と言われるほどの名手となった。

 かくて芳一は、人の話は全然聞かないがメッチャ琵琶が上手い法師として名を馳せ、何不自由なく暮らしたという。

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