第3話 君は人で、俺は誰?
あの事件から数年が過ぎた。私はもう高校一年になっています。相変わらず熊は大好きで、ストラップや衣類、コップ、お皿に至る小物でも、熊の絵がが入った物は集めるようになっていた。事件後しばらくは近所のちょっとした有名人でしたが、今は普通の女子校生です。動物園にも度々足を運びます。けど、あの時出会ったクマさんが頭から離れず、もう一度会いたいと思うこともありました。
『奈央、ホント熊が好きだよね~』
「うん、だって大好きだもん。」
こんな会話はもう日常的な事です。高校には山岳部があり、それが高校に入るきっかけでもありました。
(もう一度、もう一度だけあの山に登りたい)
本当ならトラウマになっていてもおかしくない状態だったけど、大好きな熊に助けられて生還したことで、トラウマを克服できたのです。
高校最初の夏休み、入部した山岳部では各学年から2名ずつ選抜してチームを組んで、それぞれ自分達が行きたい山へ登山する登山合宿があり、私はその選抜に志願し見事選ばれました。チームの行き先を会議で決めるのですが、3年生の先輩が私の過去の事を知っていて、事件現場の山を合宿先に提案してくれました。
そして、待ちに待った夏休み。私達高校山岳部は顧問の先生と共に、現地に赴くのでした。
(あれからどのくらい経過しただろうか…。)
初年の冬は最悪だった。熊は冬眠するものとは聞いていたが、その詳しい方法なんて知らなかった俺は、秋にあまり食料を食べなかった影響もあり、空腹と睡魔との戦いで、よく生き残れたもんだと我ながら感心した。あれから数年、俺はメキメキと野生の熊としての生活を拡充させることができた。
人間としての知恵もうまく利用し、熊なのに焚火してたりするあたり、もうそろそろサーカス団とかが捕獲に来ても良いレベルなんじゃないかと我ながら思っていた。時々やってくる登山者を襲うこともあるが、もちろん傷つけはしない。ちょっと吠えて脅かすだけで奴らは荷物置いてとっとと退散するからだ。
何度かハンターに狙われたりもしたが、狩猟期間は大体把握できているので、その時は山の奥深くに身を潜め、集めた食料で空腹を満たせばそれでよかった。今は夏場で禁漁期間。奴ら人間はケガさえさせなければ騒ぐ事なんてそうそうない。いつも通り、登山道近くまで移動し、得意の耳と鼻を使って人間が来るのを待ち構えた。
(遠くから声が聞こえる。人間に間違いない。人数は…6人…いや7人といったところか、男も女もいる集団か…少し厄介だな。)
『えぇ~私ならこんな山奥で熊に出会ったら死んだふりしちゃうかも~』
『いやいや、今の時代死んだふりはかえって危険な行為ですよ?相手が死んだと思って食べに来てしまうかもしれませんよ』
『なぁ先生、この先のキャンプ場付いたらキャンプファイヤー準備していいか?』
「先にテント張りと夕飯の下ごしらえが先です、先輩」
(学生か?こいつら。教員もいるようだが、まぁあんなひ弱そうな先生なら怖くないな)
すぐに襲うことも可能と言えば可能だったが、どうやら食事にもありつけそうなので、俺はまず匂いと声が離れない程度に距離を置き、後をつけることにした。
「多分この辺だと思う。私が落ちたところ」
『うげ…すげぇ斜面じゃねえか、良く生きてたな』
あの頃は恐怖でどこから落ちたのかもわからなかったけど、今なら思い出せる。10年も経っていないけど、辺りはあの当時よりも更に鬱蒼とした状態に変わっていた。ただ、山道の案内看板だけは当時と変わらずそこにあったから、場所を思い出すことができた。
『なぁもし奈央さんが出会ったと言う熊に会うことができたとして、それを見分ける方法はあるのですか?』
「もし、腕に当時私が付けてあげたネックレスがあるクマさんなら…多分本人かも…でも取れちゃってたらわかんないか、あははは」
(ネックレス?ああ、そういえば今でも俺の前足に付けたままだったな。)
学生の会話を盗み聞きしていた俺は、あの少女の事を思い出した。まさかあんな綺麗に成長しているなんて…。
(くっそ、俺が人間だったら付き合って良いくらい、いい女になったじゃねぇか)
まぁ俺にも熊ではあるが妻がいるのだが、やはり人間としての俺は独身だったからか、そんな事が頭をよぎった。
学生らは恐らく予定通りなのだろう中腹にあるキャンプ場に到着すると、テントを4つ設営して、そこから近くの洗い場で、持ってきた食材で不器用ながら料理をしているところも、食べるところもじっくり観察していた。ただ嗅覚が鋭いだけに、料理の匂いはさすがに本能を抑えるのに苦労したがね。
残飯はキャンプ場から少し離れたところに、ゴミ収集場所が決められているので、さすがに空腹だった俺は、そこに捨てられた食材の残飯をこっそりいただいた。その日の夜のことだった。
『奈央さん少し、時間取れるかな?』
私がテントで休んでいると、先輩が一人訪ねてきた。
「何でしょうか先輩」
『ちょっと…個人的にお話がしたいな~と思いまして』
(まぁ先輩は3年生の中でもイケメンだと思うし、でもなんで私?だって付き合ってる人がいるって聞いたこともあるし)
「少し…なら」
本当に少し期待していたのかもしれない。私も別に彼氏がいるわけでもないし、それに先輩が進言してくれたから、今日この場所に数年ぶりに来ることができたので、そのお礼もちゃんと言いたかった。
他のチームメンバーが気づかないように、キャンプ場から少し離れ、私達は飲み水を汲んできた湧き水場にやってきた。
「あの…先輩。今回の合宿でこの山を選んでくれてありがとうございます」
『あ…ああ。奈央さんの事件は僕も中学の頃衝撃的でしたから、よく覚えてたんです。場所まではさすがに分からなかったので、いろいろネットとかで調べて、ようやくここに辿り着いたんですよ』
「そうだったんですか~」
とても良い雰囲気で話せている自分がとても不思議でした。すると、先輩が突然私を木に押し付けてきたのです。
「きゃっ…せ…先輩!?」
先輩はとても怖い顔をしているように見えましたが、お互いに持つ懐中電灯の明かりでは、そこまではっきりとは見えませんでした。
『奈央さん、僕と付き合ってくれませんか?』
(えぇぇーーー!?)
先輩から突然のカミングアウト。もしかして、これも一種の『壁ドン』なのかしら。と思っていると、今度は強引にキスをしようとしてきたのです。
「ちょ…先輩……やめてください。」
思わず反射的に先輩を突き飛ばしてしまい、先輩は後ろに仰け反ってしまった。しかし、先輩は止まりません。私自身も地面に尻もちをついてしまい、そのまま覆いかぶさってきたのです。
『君を一目見た時から、こうしたいって思ってたんだ!!』
息が荒い先輩から、服越しに胸を触ってくるのを感じる。まさか先輩って噂通りの女たらしなの!?熊は平気だったのに、人の男性の、しかも先輩が豹変した姿に、私はすっかり動けなくなってしまいました。
(助けて…誰か……)
その時です。
どすん!!
『ぐはぁっ』
物凄い勢いで先輩が飛ばされたのです。暗がりで何が起こったのか分からなかった私は、急いで懐中電灯を拾い上げ、辺りを照らしました。
「はぁ…はぁ…あ!!」
目の前には、2mは超えていると思えるほど大きな熊が立っていました。
「ぐるぐるぐるぐる」
凄い剣幕で私を睨んでいるその熊は、4本足に体勢を戻すと、先輩の方向を向いて、駆け出したのです。
(てんめぇ~コイツになんて事しやがるんだ!!)
俺はキレていた。影からこっそり見ていたとはいえ、こんなクソ人間の所業で出くわすとは思わなかったからだ。
(殺してやる!!こんなヤツ食い殺してやる!!)
自慢の爪を振りかざしたその瞬間だ。
「クマさんだめ~~~!!!」
私は思いっきり叫んだ。あの熊がもし、私が知ってるクマさんなら、これで絶対止まってくれると信じていたから。
俺は彼女の声で我に返り、寸前のところで男を傷つけなかった。少し経つと男の方からアンモニア臭が漂ってくる。顔は白目を向き、泡を吹いて気絶していた。
(くっせ!こいつしょんべん漏らしやがったな?)
我に返った俺は、更にやばい状況になってきたことを感じた。さっきの叫びで他の連中も続々やってきたのだ。
『熊です!!それもでかい。君たちは安全なところで避難してください。』
恐らく教師であろう人間は、俺の目をしっかり見つめ、持ってきた松明の炎を俺にちらつかせる。
(ちっ…こいつ熊への対策が出来てやがる)
(だめ!!先生そのクマさんは…)
私は咄嗟にクマさんの前に立ち、先生を睨みつけた。
「先生!違うんです!!このクマさんは…私を助けてくれたクマさんです!!」
『奈央さん、どきなさい!あなたまでケガをすることになりますよ』
先生は、松明を構えたまま、しっかりとした眼力で熊と私、そして気絶した先輩との間合いを計っているいるように見えた。
「先生聞いてください。先輩が・・・私を…襲おうとしたから、クマさんが怒って…でも信じてください。このクマさんは…人を殺しません!!」
力強くそして、ちゃんと聞こえるように話していたと自分では思っているけど、目から溢れた涙とで、しっかり届いているのかさすがにわからなかった。
私はある賭けに出ることにしました。
「クマさん…大好き!!!」
彼女がそう叫ぶと、俺の頬にキスをしてきたのだ。視界から15cmくらいの先で、頬なのかも口なのかも、よくわからないだろうところに彼女が泣きながらキスをしている。
(馬鹿野郎…そんなことされたら、森に帰りづらいじゃないか)
森に少しだけ静寂が続く。すると私の頬にクマさんが舌がペロペロと当たるのが分かる。
(懐かしい。やっと…会えた)
『信じられない…野生の熊が人を襲わないどころか、愛情表現をするなんて…』
先生の声で、ようやく森が声を取り戻した。懐中電灯でクマさんの手を照らすと、そこには草が少し挟まったネックレスがしっかり付いていた。
「ほら…先生、これが私達の愛情の証です」
ぽっかり口を開けてみんな私を見ている。例え動物園でもこんな光景見た事無いでしょうから、仕方ありません。
先生は気絶した先輩の状態を確認する。息があり、大きなケガも無い様子で、私はちょっと複雑な気持ちになりました。
『先生は、勇気君をテントまで運びますので、手伝える方お願いできますか?』
先輩を先生と他の先輩達が抱え上げると、キャンプ場に向かっていきました。残った私の同級生の子は、恐怖から逃げるようにキャンプ場へ行ってしまいました。
(みんなに嫌われちゃった…かな)
彼女が落ち込んでいるように見えたので、俺はもう一度彼女の頬を舐めてみた。
「ありがとう…クマさん、私…えへっ嫌われちゃった…カナ?」
(そんなことは無い。)
言葉は通じなくても、俺たちは気持ちで通じ合っているはずだ。俺は彼女のそばで丸くなると、彼女もまたうずくまってしまった。すすり泣く声が・・・微かに聞こえた。
(彼女を…どうしたら救えるんだろう)
考えているうちに、俺自身も眠ってしまったようだ。
起きて…ねぇ…起きてよ!!
目が覚めると、俺は何故かベッドの上だった。
(夢…?)
いや…そうじゃない。これは思い出だ。あのあと、俺は何故か病院のベッドで目が覚めた。体はすっかり元の人間の姿になっていて、ただ違うのは、記憶にあるような顔ではなかった。発見者は今、目の前にいる俺の妻。奈央。
俺が熊であったことは、俺の手にしっかり握られていたペンダントで分かったと言う。
年齢も素性もすっかり分からなくなっていた俺を、彼女を夫として迎え入れてくれた。誕生日も彼女が俺にプレゼントしてくれたものだ。
日付は8月11日、山の日であり、俺と奈央が初めて山で出会った日でもある。
俺が熊で君が人で 神原 怜士 @yutaka0000
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