15cm

 卒業式の日の夜。休日のときのように部屋に籠る。窓のそばの机に向かっていた。楓のことを思い出す。

 邪魔ばかりする奴だと思っていたが、会えないとなると日々の何かが欠けたようで――


 プレゼントは、何かといちゃもんつけていたが、

 今手元にある。コロコロ転がしたり、親指と中指で摘む。

 一応自転車を走らせ、原稿用紙を買いにいった。三セット。卒業証書の下敷き。

 

 不本意だったが、鉛筆を受け取ってしまった。

 鉛筆で綴るべきなのか。


 書きたい物語ならある。

 よく作品に対しては不思議な話だと言われる。

 俺の作品を見た後の相手の顔はほっこりとしていて「読んでよかった」という感情が顔に出る。

 ずっと楓の他友達のいなかった俺にとって、『出会い』という希望をもたらしてくれた唯一のものだった。

「出会い……」


 本棚にあるアルバムを横目で見た。中学三年間、小学校六年間。幼稚園の三年間が別々で記録されている。俺は幼稚園の頃のアルバムを本達の中から引き抜いた。

 表紙に書いてある自分の『あるばむ』という拙く辛うじて読める字に笑った。


 ページを捲る。

「小さいな」

 幼い頃の自分が恥ずかしい。しかしその分思い出だって浮かび上がる。頭を掻きながらページを捲った。

「楓だ」

 俺と楓が二人並んでピースサインをする様子。楓は相変わらずの笑顔。

 これは記念公園の写真。二人で記念に撮ったものだ。


 水族館の写真。深海魚が怖くて泣いていた楓を慰めていたとき、撮られたものだったはず。

 節分の写真。鬼に扮した園長先生を容赦なく攻撃している楓が映っていた。意志のまま動くのに変わりはない。

 お泊り会の写真。布団に潜って、楓とにっこり笑っている写真。今じゃ並んで寝るのは無理。


 楓との時間がどれだけ貴重だったか。笑顔がどれだけ尊かったか。

 また楓と目を向き合って話せる日があるかもしれない。そのとき、笑えるのだろうか。

 どうせ見るなら笑顔が見たい。笑いを届けるためには小説しかない。それに夢を叶えて欲しい楓の気持ちに応えなければいけない。

 俺の使命。


 静かに机の隅っこにあったメモ帳を手に取った。小説を書くと決心した。また会えるそのときのため。何より楓のため。



 思いの外物語はすぐ決まった。紙の隅っこに書かれていた『猫の話』。理由は単純。


 裏路地でゴミを漁りながら過ごす雄の黒猫。集団行動を得意とする雌の白猫。旅をする決心をした白猫は、黒猫に別れを告げる――


 同じような状態だ。黒猫を俺、白猫を楓と捉えられる。合わせた訳でもないのに性格もそっくり。

 野良猫のような俺は、一人でずっと生きている。楓は仲間思いである、天真爛漫な猫。置かれた立場を見直したとき、どこかで聞いたことがあると思ったが、自分の練ったアイデアだった。

 構成も大概できているため、一文字目を綴ろうとした。


「削ってなかったな」

 女子っぽいキャップを外したとき、気付いた。

 鉛筆の芯は出ていなかった。俺のためのものだと再認識する。俺は鉛筆を削るために本棚のもとへ行った。


 本棚に置かれている電動鉛筆削りのコンセント。

 久しぶりに繋ぐ。もう中学生になってから、鉛筆を使う頻度は低くなった。

 かつて鉛筆で戦う遊びがあり、百戦錬磨の楓を撃破して王者まで上り詰めたこともあった。確か。

「懐かしいな」

 脳内で思い出が蘇った。懐かしみながら削り穴に鉛筆を差し込んだ。


 ガガガガガガ……


 遠い昔に聴いた音が、再び流れ出す。カッターで細かく削るよりも、『削る』という感覚を味わえるこの音。小学生の頃はこんな音も演奏会だと言っていた。俺の貴重な腕白時代。

 十分だと思ったとき取り出す。

「少し短くねえか?」鋭い鉛筆を見て俺は感じた。

 まだ削りたてだが、何回か使った後程の長さになっている。ほぼ空のペン立てから定規を取る。試しに長さを計ってみた。


――15cm


 楓の良心は分かったが、安上がりなもので済ませたかったのだと見透かせてしまう。若干肩を落とす。

 期待なんて最初からしていなかったし、いいが。


 再度鉛筆に目を向ける。手動よりよく尖っている。それが特徴の一つで、「手動だな」と言う。


 こんな鉛筆で確か、

 昔、楓と……


 ……


「……何言おうと」

 開いていた口を閉じた。

 口に出そうと思った言葉を、喉まで出かけていたのに、忘れてしまった。

「何だっけ」まあ、気にすることなんてないだろう。

 何かをしようとしたが、行動に移す前に忘れてしまう。よくあることだ。



 黒猫はいつも独り。

 いつもニャーニャーと泣いている。

 群れから逸れた訳でもなく、仲間はずれにされた訳でもなく。黒猫は自分から単独行動を選んだ。

 寂しいという感情も忘れ、一匹で暮らしてきた。ゴミ箱を漁り、町民に追い掛け回されたことだって五万とある。

 拾った町民の捨てたベビー用品で遊ぶことが多い。音の鳴る柔らかいボールで、前足でコロコロ転がす。猫じゃらしに釣られない黒猫でも、こればかりにはどうしても弱い。夢中になれる何かがあり不思議だった。

 誰からも黒猫は愛されなかった。愛を欲しても無理だった。薄暗い裏路地で、黒猫は夕日を見ながら明日が早く来るよう祈っていた――



 一度、鉛筆を置く。リラックスのために椅子の背凭せもたれに寄りかかりながら伸びをした。

「疲れる……」

 手首を揺らした。


 俺は授業ノートに等閑なおざりな字を書いてしまう。自分の書いた文章も読みづらい。

 手元の原稿用紙は汚したようになって、文字を消す度紙が折れる。果せる哉、俺は原稿用紙での執筆は向いていないのかもしれない。

 やはりパソコンに打ち込もうか……


「いや、ダメだ」

 俺は原稿用紙で書くと決めた。楓から応援を珍しくしてもらった。俺は初めて楓に従った。


 鉛筆を見ていると、楓を思い出す。そばに楓がいて、諦めかけていた俺に前向きな言葉をかけてきそうだ。そんな様子が浮かび、考えるだけでおかしくて笑ってしまう。


「頑張るぜ、楓?なあ?」

 霊が宿るものでもないのに、鉛筆に話しかけた。「がんばれ~」なんていつものように呑気に言うだろうか。

 もう夜が深くなる。夕食を取った後、先の丸くなった鉛筆を削って、ベッドに入った。






 ――14.4cm

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