scraping memories

根暗 稲愛

――序章


 ただの毎日。


 思い出とするかは自分次第。


 春、入学して喜ぶ思い出。

 夏、浴衣を着て「たまや~!」と叫ぶ思い出。

 秋、修学旅行の夜にひそひそ話をする思い出。

 冬、クリスマスに「雪が降ったね」と電話しあう思い出。


 人は全ての出来事を記憶することなんてできない。しかし不思議と自分が「思い出」と称するものだけ。鮮明に思い出すことができる。その時間が頭の中で再上映される。

 ただ、思い出を見えるもので表すなら。文章にするか。写真として記録するか。

 例えば思い出が、





 『長さ』だとしたら。




 早咲きの桜が卒業を祝福する。桜のはなびらはひらひらと宙を舞い、掌に乗る。別れを惜しむ俺を励まし、より卒業を喜ばせる。春を感じさせる桜は比較的好きだ。


 もう着ることのない制服を身に着け空を見た。中学校を卒業したという実感がない。

 慣れ親しんだ制服は綻びていたが、なぜか新品のように大切に着ていた。


 握りしめている卒業証書が卒業した証。

「卒業したのか……」


 記念写真を撮ったクラスメイトも、一人、また一人と別れを告げ学校を後にする。愉快だった中学校生活が終わってしまう。今は強がっているだけで、気を緩めればすぐに泣いてしまいそうだ。

 今にも空に吸い込まれていきそう。


もうずっとこのままで……


「拓馬っ!」

「あっ」

 俺は名前を呼ばれ、さらに肩を強く押された。バランスを崩し転びそうになる。我に返って、後ろを振り返った。


「ちょっと、楓」

「何?そっちこそぼーっとしてどうしたのって!意識ある?」

 楓だった。

 俺の幼馴染。幼稚園の頃から仲良く、現在までずっと関わり合ってきた。十二年の付き合いだ。

「意識ぐらいありますけど?」

 俺は答えた。

「うん、知ってる」楓の口角が上がる。


 嫌な奴だ。明るく人と接する楓。俺とは違っていつも人と気楽に話せる。それは場をわきまえることが出来ないという意味もあるのだが。

 だから、俺が物思いにふけているときにも構わず冗談を言ってくる。どんなときでも。

 流れかけの涙も乾いてしまった。無神経か。


「別に自由じゃねえか。記念日をどう過ごそうと。ただこの生活が終わるのが、信じられないだけ」

 俺はそう言い返した。楓のにんまりと笑う顔は、いつも変わらない。

「確かに、私だって信じられないよ?高校生なんて」

「うん」幼馴染で身長も互いに低かったのに、もう高校生なんて。信じられない。


「学校が変わることもだよ?」楓が言った。

「……うん」

「……」

 互いに儚くなり、俯いた。


 高校は楓と別。俺が受験した学校と、楓の受験した学校は違かった。社会に出る日も近い俺達。互いに進む道だって違う。楓は人助けが好きなお節介で、看護の道へ進むらしい。俺と違って、

 俺は、文学の道に進むつもりだ。夢は小説家。正直叶わないと思っている。せめて、自分の書いた物語を一度でも世の中に出したい。

 互いに違う学校に通うことになり、寂しかったのかもしれない。


 楓はハイレベルな東京の学校。

 春から都会で一人暮らしをする。


 もしかしたら、楓の方がよっぽど立派な人間なのかもしれない。永遠親に縋ることなく、大人の自覚を持ち自立すると決めた。家でコンピューターと睨めっこして物語制作をする俺とはまるで違う。「大丈夫、家賃は払ってもらってるし」なんて呑気に言っている楓を、心の奥底では偉大と感じているのかもしれない。


「忙しくなるから、暫く会えないね」

「おう。電話はできるけど」

「でもさ、目を見て話せなくなるじゃん」

 十二年の付き合いが、終わるようなものだ。


「ねえ」

「何」そう、答えた。楓のことだ。ろくでもないことを言うだろう。

「プレゼントがあるんだよね」

「は?」

 今までとは違う。今日に限っては期待できる響きだ。内容は期待できないけれど。


 待っててねと楓はスカートのポケットに手を伸ばし始めた。どうせいいものではないだろうし、卒業の余韻に浸っていたい俺は、早くするよう促した。

「あ、あったあった」

 楓は安堵の表情を少し浮かべた。

「ねえ、何だと思う?」露程も俺の心境なんて知らない楓は、俺をじらす。

「そういうのいいから」

「え~、折角だし」

「思い出の欠片にもならない」

「……分かったよ」

 すぐ根負けした。


「これ!卒業記念にあげる」

 俺の掌に、そっとプレゼントとやらを重ねた。それはそれは満面の笑みで。覚悟して見なければならないものは飛蝗ばったぐらいだろうと思い、躊躇なく自分の掌を覗いた。


「鉛筆!」楓が嬉しそうに笑う。


 これっぽっち……

「いらね」

「え!受け取って!自費だよ?」楓は熱願していた。


 掌にあったのは、紛れもない『鉛筆』。使用した痕跡はない。蘇芳色すおういろの塗装に、金色の線と文字。濃さはH。

 何より他のメーカーよりも少し短く、使い勝手が悪そうだ。ラメのようなものが入った女の子っぽいキャップつき。色もピンク。

 俺には消えるボールペンも、便利なシャーペンもある。


「学生にまでなって、鉛筆なんて授業で使わねえよ」いらない、と言った。

「違うよ~、授業には使わないで!」

「じゃあ何」

 多少苛ついてはいたが、声に心情が出ないようにしていた。


 そう訊いた後、楓は突如もじもじし始めた。俺はその異変に気付く。

 耳が火照っているようで、耳を自分の手で握り、冷やしていた。

 フウ、と一呼吸。

 意を決したかのように楓は口を開いた。


「……小説に使って欲しいだけ」

「小説?」

 自然と訊き返した。

「だって、拓馬将来の夢小説家でしょ?」

「おう、でも――」

「その鉛筆で小説を書いて欲しいの!」

 楓はやっと言えたと清々しい表情を見せた。

 ああ。

 贈り物の意味を知った後、もう一度下を向き少し感動を覚える。しかしまだ腑に落ちない部分もあった。


「俺パソコン派だぜ?」

「知ってる。でもさ」

 楓は真剣な表情だ。次の言葉を風に吹かれながら待つ。

「会えなくなるんだよ?夢、応援したいんだよ」

 応援。

 そう復唱した。

 楓が頷く。

「絶対!小説家になってほしいの!私だって看護の仕事に絶対就くから!」


 楓の言葉に俺は微笑む。楓らしい単純で意味深長な理由だ。歯切れの悪い楓の「そこまでお金もかけられなかったし」という呟きも聞こえた。

 風がそよそよと吹く。幸せな間が流れた。


「貰えるものだから貰う」懸命な思いを俺は受け止めた。

「あ、ありがと!」

「お前も頑張れよ」声を掛けた。


 俺は唯一の、携帯のメモリー内の二ショットになる写真を楓と撮った。時は止まらないため、言いたくもない別れの言葉を時間に催促される。

 二人互いに「電話で話せる」と励まし合って、すれ違わない家路を歩き始めた。


 嬉しいけれど、必ずどこかは儚いもの。それが卒業式なのだから、仕方がない。

 掌には、不必要なはずのプレゼントを握っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る