第18話 When The Sun Goes Down
北浦と阿須那が事務所から退出した後、出雲は自身のPCのキーボードを叩くと、忙しなくマウスを操作する。暫く無言でカチャカチャと操作する音が事務所内に響いていたが、断続的鳴っていた音は突然止まるのだった。
「…布志名。薫ちゃんの事だけど…」
自身のPCモニターを見ながら呟いた出雲の声に、布志名は手を止めると自分の横に座る出雲にゆっくり顔を合わせた。
「…ああ。阿須那に頼んであるよ」
布志名からの返答に出雲も自身のモニターからようやく視線を離す。少し考える様に間をつくった後、横目で布志名を見るのだった。
「…そっか。――あいつなんて言ってた?」
少しだけ尖ってきたように見える出雲の視線にいち早く気が付いた布志名は返答にしばらく間をつくる。何故だか周囲を確認するように視線を反らした後、観念したように出雲に顔を合わせるのだった。
「……ああ。…死亡認定が出てるって――」
「――ッ!!」
布志名が全てを伝える前に出雲は、自身の瞳を更に尖らせると攻撃的意思を表す様に牙を剥いた獣のように口を歪める。布志名は出雲の態度を直ぐに察知すると慌てたように自身の身体を出雲に向けた。
「待て出雲! 阿須那から言われてるんだ! 『今度こそ必ず掴んで見せるから、時間をください。待っていてください』って」
席から立ち上がるような素振りを見せた出雲だったが、布志名の声に制止されるように荒々しい挙動を止めると布志名を見つめる。
「………」
「今度はさ、俺も行くから…いや、7班みんなで行くから、単独は控えてくれよ」
「…布志名」
「だから今は、北浦さんと阿須那を待とう。本当はさ、死亡認定の話もお前には言うなって口止めされてたけど…、言ってしまったからさ。…うん」
布志名は少し微笑む。
出雲は微笑む布志名に少し目を伏せると自身の前髪を掻き上げた。
出雲の表情は少し悩んでいる様にも、葛藤塗れのようにも見えたが、不意に息を吐き出すようにして笑ったのだった。
「…ははっ、りょーかい。俺が勝手に動くと、また、みんなに迷惑掛けちゃうもんな。自粛するよ」
出雲は少しだけ気落ちしたように肩を下げる。少しだけ悲しそうにも見える出雲の表情に布志名は再び優しく微笑む。
「うん。お前だけじゃなくて、みんな思ってるからさ。…おかしいって」
「…ああ。そうだな。7班だったら、…みんな思ってるよな。ははっ…」
出雲の言葉、笑顔は、諦めから出たのではなく、皆の事を思って、信頼して笑ったのだと布志名は確信していた。出雲の事を知っているからこそ、7班を知っているからこそ、布志名は出雲に微笑み返すのだった。
〇
●
橙色に輝く夕日が沈み、街を照らす色が人工的な白色に変わる。暗闇に浮かぶ街灯は行き交う人々の中から二人の人物を浮かび上げ、二人の少しだけ重そうな足取りを照らし続ける。白色に照らされ2色の陰影をつくった表情を見せつけながら、北浦は自身の横を歩く阿須那に少しばかりしわを寄せた顔を合わせるのだった。
「阿須那。俺だけに任せてくれてもいいんだぞ」
「いえ。私も同行させてください。自分でも確認したいので」
「…そうかー」
阿須那の返答に北浦は少しだけ
「出雲さん。…気づきますよね?」
不意に阿須那に尋ねられた北浦は困ったように自身の薄くなった頭頂部を右手で搔く。少々返答に迷うような素振りで、長めの瞬きをした瞳を開くと大きな吐息を漏らした。
「…はぁー。布志名には口止めをしてあるが……。あいつに知られるとなー。はぁー……」
再び大きな溜息を漏らした北浦を、阿須那は街灯に反射し、光の影をつくった眼鏡で見つめた。
「ですね。…前科がありますからね」
阿須那は自身の掛けている眼鏡の位置を調整するように片手で上に持ち上げる。北浦は阿須那の返答に再び眉間にしわを寄せると、『まいった』と言わんばかりに自身の頭頂部を軽く叩くのだった。
「…だな。前回、大立ち回りした前科があるからなー、あいつ。…はあぁー」
北浦の溜息は止まることが無く、今日一番の溜息を漏らす。彼の
「――違います!」
「…?」
阿須那にしては珍しい大きな声が響く。北浦は暫くキョトンとした表情で阿須那を見つめていたが、不意に尖りだした阿須那の視線に気づいてしまうのだった。
「前科があるのは、あいつらの方です!」
「…阿須那」
「私はあんな奴らを出雲さんの敵とは思ってほしくないです! あんな奴ら…」
最後には声を押し殺すようにして阿須那は俯く。相手を酷く憎悪するような表情を見せる阿須那の視線の先には、北浦にとっても酷く歪な世界が垣間見えてしまう。深く震えるように吐く息、握りこんだ拳、吐き出した想い。阿須那の小さな体で耐えるには、酷く不格好に見えてしまう情景に北浦は阿須那から目を反らし前を向いた。
「阿須那。それは俺の役目だ。…お前らの上司の、俺の役目なんだ」
「………」
「木田と出雲の管理もろくに出来ないダメな上司だが、…俺にも役目はある。全部任せろとは言わん。ただ――」
阿須那は少しだけ顔を上げると、前を向く北浦の顔を見つめる。
「――大人の。俺で最後にしたい役目もある」
「………」
「心配するな。暗闇の仕事だからこそ、禿げあがった俺にぴったりの仕事なんだよ。はは――」
北浦は阿須那に視線を合わせると自身の頭頂部を触りながら口をわずかにへの字に折り曲げ微笑む。
北浦の表情を見つめる阿須那は自身の外に出てしまった感情に改めて気づくと、浮き上がってしまった
「…すみません、北浦課長」
阿須那は北浦にボソリと謝罪すると俯く。眼前にいない敵ではなく、眼の前の北浦に悪意を晒した事への申し訳なさからか、俯いてしまった顔には影が宿る。だが、暫くして自身の伏せた顔に目線を落として顔を合わせる北浦に気づくのだった。
「気にするな。お前にはお前の想いがある。当たり前の事だ。だが…――」
俯いた視線を戻した阿須那に、北浦は静かに頷いた。
「――今は閉まって置け。俺がやる」
「……はい」
「じゃ、…行くか?」
「はい」
頷き返した阿須那は、ゆっくりと歩み始めた北浦の後ろを歩きだす。
前を歩く北浦は後ろについて来る阿須那を一瞬振り返って確認した後、前を向いた。
ただ、前を向いた北浦からは、今まで優しく部下を見つめていた温和な表情は消え失せると、蓄積された感情を乗せたような鋭い眼光が宿っていたのだった。
♢
-when the sun goes down・・・
♦♦♦
二人が再び歩き始めて、数分が立つ。
日は完全に沈んだ頃、二人の足音は、とある家の玄関の前で止まる。
北浦が玄関先のインターホンを鳴らした数秒後、施錠が開く乾いた音がすると玄関の扉が開く。そして、顔を覗かせた女性に北浦は会釈をすると口を開くのだった。
「突然お邪魔させていただき申し訳ありません。先ほどお電話させていただきましたハイブリッド対策の民間会社、『エレクトリック電信システムカンパニー』第7支所所属。課長の北浦と申します」
北浦は自己紹介をしながら、首から掲げた社員証を相手に見せる。阿須那も同じように社員証を見せると、軽く頭を下げる。
「同じく同部署所属。阿須那と申します」
二人は挨拶が終わり、相手の女性に名刺を渡すと北浦は改めて重い口を開くのだった。
「…佐田 薫さんのご自宅でよろしかったでしょうか?」
「…はい。薫は私の娘です!――それで、薫は!!」
北浦の問いかけに少し取り乱す様に北浦に詰め寄った女性だったが、直ぐに北浦に伸ばした手を力なく下し俯く。
北浦も女性が顔を近づけた時に見えた目の下の隈。乾いた唇。乾燥して荒れた肌。そして、塞込んでいたであろう沈痛な面持ち。詰め寄られた突然の出来事に少しだけ言葉を失うのだった。
「静香さん」
言葉が詰まってしまった北浦の代わりに阿須那は一歩前に出ると、女性の名前を呼ぶ。名前を呼ばれた女性は振り返ると阿須那は続けざまに口を開く。
「夜分にすみませんが宜しければ詳しくお話をお聞きしてよろしいでしょうか? こちらからもお伝えしたいことがあります」
暫く阿須那を無言で見つめる静香はグッと言葉を飲み込むように唾を飲み込んだ後、阿須那にゆっくりと口を開いた。
「…すみません。…こちらではなんですので、…奥へどうぞ」
「「失礼します」」
共に頭を下げた二人は静香に一室に通されると、案内されるままに部屋に入る。
二人が通されたリビングに綺麗に並べられていた薫の写真と伏せられた対照的な写真立てに阿須那は自身を落ち着かせるように大きく息を吸い込むと北浦と共に机の前に座った。
「まずは我々から単刀直入に申し上げますと、薫さんは生きています。私の部下が閉鎖地区で発見し保護しました。そして、今現在ハイブリッド化の治療施設『ハイメディカル』で治療中です」
「治療機関のハイメディカルにも問い合わせましたが、薫さんの命に別状はなく、治療についても問題ないとの回答を受け取っています」
北浦は端的に説明を行うと、阿須那はその言葉に薫の安否について付け足した。
「…そう、……そうですか。ぅう―――」
「信じられないかもしれませんが、これがこの街の実態です」
北浦から薫の母親を見て安堵の気持ちも見受けられたのだろう。
北浦は泣き声をあげ始めた薫の母親に対して、何故か謝るように頭を下げると場を仕切り直すかのように母親に向けて大きく一度頷く。
「娘様のハイブリッド化しないと言う我々の居住街での発症。治療不可と言う名目で、この街の対策室は真実をでっちあげたのだと思います」
「な…なんでそんなことに…?」
北浦は母親からの質問に小さく頷き返す。
「街中での発症は稀です。私たちの居住区では皆無と言ってもいいくらいにハイブリッド化は起こらないと言うのが定説です」
北浦の説明に阿須那は首を縦に振った後に言葉を付け足す。
「要は汚染区域外での発症を隠すために、薫さんは死亡認定され隔離地区に放り出されたというのが私の中での見解です」
呆然とした表情を見せる母親に対し、北浦は我が事のように再度頭を下げた。
「要は対策室の隠蔽工作です。情報操作と言っても過言は無いでしょう」
「………」
北浦の説明を聞き、無言になった母親は怒りの感情を表す様に唇を噛みしめる。
その表情を察したのか阿須那は顔を合わせると右手で眼鏡を持ち上げた。
「歯痒い気持ちは分かりますが、今回の件は私たちにお任せください。決して悪いようにはしません」
阿須那は顔を合わせながら説明すると、母親は言葉を飲み込むように多少前のめりになった身体を元に戻した。
「薫さんも体調が戻れば我々が責任を持って自宅までお送りしますので、対策室についてはご自身のみでの抗議はお控えください」
「で、ですが!」
「声を上げてもはぐらかせられるのが権力と言う物です」
北浦は声を荒げた母親に右の掌を待ってくれと合図するように掲げた。
「必ず対策室には情報を開示させます。私たちに任せてください」
「今回の件、私達も憤りを通り越しています。必ず公表させます」
北浦と阿須那は言葉を言うと同時に頭を下げる。
母親もそんな二人の様子を伺うと少しだけ落ち着きを取り戻すのだった。
「薫は、薫は元通りの生活が送れるようになるんでしょうか? あの子の生活に支障は無いのでしょうか?」
「ええ、安心してください。治療が終われば必ず元通りの生活に戻れます。私たちが保証します」
「…そ、そうですか。……良かった。…薫、薫」
母親は北浦と会話しながらも薫の写真を見つめると涙を流す。今は憎しみよりも娘の無事を知らせる報告に安堵するよう大きく息を漏らす。
北浦と阿須那はその様子を見て顔を合わせると両者が頷き返すのだった。
Electrica Re:write 虎太郎 @Haritomo30
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