2章 11月は花束と死体
11.そして翌月
「すっかり寒くなってきたね」
空を見上げていた。もうすぐそこまで冬の足音が迫っている。この季節には不釣り合いなほどに咲き誇り学園を彩る色とりどりの花たちを
ごきげんようの挨拶と同時にかけられた言葉に振り返ると、ジュニア3年生の麻希が、ソバカスだらけの顔を緩めてニコニコと笑っていた。ごきげんようと優子も挨拶を返す。教材の山を抱えながら隣に並んで歩き出した麻希に「これから授業?」と尋ねる。
「ええ、基礎数学のね。優子も授業?」
「わたしは次、空きコマなの。だから図書館に行こうかと思って」
「でた! 優子の図書館通い! 1日何時間図書館にいるつもりなの?」
「そんなにかな?」
「そんなによ。もう図書館に住んだ方が早そうな気がするもの」
「それは……住めたら最高だね」
「もう! 本の虫なんだから!」
呆れたわと麻希が笑う。
「じゃあ優子、わたし授業ここだから。また寮でね」
「うん、そうだ麻希。今度一緒に食堂でお茶しよう」
「是非!」
麻希と別れた優子は真っ直ぐに図書館への道を歩いてゆく。花の間に伸びる渡り廊下をくねくね、くねくねと進む。
ここ最近優子の図書館通いは頻度を増していた。読みたい本が沢山あるから、そう言えば麻希やルームメイトの紀美子は納得していたが、優子が図書館に通いつめる理由はそれだけではなかった。
「お待たせ」
3階、隅の休憩スペース。本棚の影から顔を出す優子の表情はとても明るいものだった。
「待ってないよ」
「本当?」
「そもそもきちんとした待ち合わせの約束なんてしてないじゃん。ここに来た時に相手がいたらラッキー、それが、わたしらには関の山でしょ?」
そうだね、と。
優子は空いている方の席に腰を下ろした。
彼女の前ではエリカがニコニコと微笑んでいる。彼女の呼吸に合わせるように耳に並んだ複数のピアスが照明に当てられキラキラと輝いていた。
「エリカ髪色変えたんだね」
先月転校したての頃は真っ赤に染め上げられていた長いストレートヘアは現在、人工的なオレンジ色をしていた。
「うん。色入れても直ぐに抜けちゃうからね。マメに塗り直さなきゃならないから、けっこう面倒くさい」
「ねぇ……染色剤はどこで手に入れてるの? この学園の中じゃ、そんなもの手に入らないでしょ?」
「卒業までの在籍期間もたかが知れてるから、ここに来る時に大量に持ち込んだんだ。3月までの半年分ならそんな量にもならないし、薬局で売ってるようなカラーリング剤は結構安く買えるしね」
「そういう事だったの」
優子は鞄から本と一緒に紅茶の入れられた水筒と紙コップを取り出した。
「ごめんね優子、借りてもらった本まだ読み終わらなくて」
【拝啓地平線の彼方】を取り出しながらエリカがまゆを下げる。
「気にしないで。この図書館は返却期限も遅いし、それでも読み終わらなかったら続けてもう一度借りておくから」
学生証を取り上げられたエリカに代わって優子が借りてきた本の手渡しと、少しのおしゃべりのため。2人は週に1度こうしてこの図書館の休憩スペースで会うようになっていた。
優子もエリカは、友だちになった。
この学園においてエリカは今、独りぼっちで孤立している。おそらく彼女にとって友人と呼べる存在は、現状優子ただ1人だけであろう。優子もまた、エリカのたった1人の友人になることを望んだ。
「本当はもっと本を読む時間を取りたいんだけど、なかなか難しくて。どっかの誰かさんがこき使ってくるもんだから」
エリカの笑顔に、優子の心が少しだけ曇る。
エリカの言う“どっかの誰かさん”は間違いなく、隷属民であるエリカの所有者の、薔薇子のことだろう。こき使ってくると嫌味を吐きながらも、エリカはちっとも嫌がっているようには見えなかった。まるで軽いジョークのような物言いには違和感を感じざるを得ない。
所有者である聖女と、所有物である隷属民。
言葉にしてしまえば薔薇子とエリカの関係はそれだけのこと。しかし優子には分からない何かがそこにはあって、2人の関係はそれしきの言葉で片付けられるようなものではないのだろう。
詳しいことを尋ねてみたいという好奇心は確かにあったが、立ち入り禁止のテープが貼られた向こう側に足を踏み入れる勇気もなかった。
「本、何処まで読んだの?」
「海の国に属が攻めてくるところ。居候させて貰ってる礼にって空の少年が戦うんだけど、その残忍な戦い方に海の住人達から批難が集まるじゃない? あんな危険な人物を国においておけないって」
「うん。空の少年は空の国での殺伐とした生活しか知らないから、戦いの場でやり過ぎちゃって、そのせいでまた海の国で孤立しちゃうんだよね」
「内容、けっこう忘れちゃってるもんだね。細かいところも覚えてるつもりだったのに、読んでみるとこんな所あったっけってシーンが幾つも出てくる」
「そんなもんだよね、昔読んだ本を読む時って」
「……記憶の中と実物は、随分違って見えるものだね」
優子にとってエリカは憧れだった。
この学園への不満を周囲の目を気にすることなく真正面からぶつけていき、例え隷属民に落とされようと真っ直ぐに立っていられる、かっこいい女の子。
平凡な優子は自分はけしてあんなふうにはなれないと諦めていながら、もしもあんなふうになれたらとエリカに憧れの視線を向けていた。
その光のそばにいられる権限を得られただけでひとまず自分は幸せなんだと言い聞かせる。そうやって心の中のモヤを取り払う以外の術を彼女は知らずにいる。
糖蜜の箱庭にはダイナマイトが埋まっている ニッキト @mint_cinnamon65
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