第21話 過去Ⅲ

 生き残った少年たちが皆『人殺し』と言う童貞を捨ててから、訓練は戦闘中心なものとなった。

 ナイフを使った実戦形式で、まだまだ非力な少年たちでもどうすれば大人を打ち倒すことが出来るかに焦点を絞った内容だ。


 訓練は厳しかったが、ナイフの取り扱いに気をつけていれば、人死にが出るようなものではなかった。

 それでも新たなふたりの脱落者が出たのは、ひとえに皆、人を殺すという経験をしたことで何かのたがが外れやすくなったからだろう。


 夕食であいつの方の具が多かったから。

 いびきがうるさいから。

 態度が気に入らないから。

 ちょっとしたことでいがみ合う連中が出てきて、そのストレスは訓練中に発散されるようになった。


「おっと、すまねぇ。つい本気になって刺しちまったわ」


 大柄なクマという少年の胸にナイフを突き立て、あっさりとその命を奪ったオオカミと呼ばれる細身の少年が悪びれることなく言った。

 ナイフは肋骨の隙間を掻い潜って、クマの心臓を貫いている。

 ついムキになってやったにしては、あまりに狙いが正確だ。

 オオカミが最初からクマを殺そうとしたのは誰の目から見ても明らかだった。


「おい、オオカミ。そのデカブツはてめぇが責任持って処分しろよ。そこらへんに放置されては死臭がたまらん」


 にもかかわらず、頭領はクマの死体の処理を言いつけるだけで、オオカミの行動には注意も何もない。

 加えてオオカミは「お前らもああなりたくなければ、俺様の言う事に従え」と脅しを利かして、大人しいイヌとネコにクマの死体処理を押し付けてしまった。


 そんな我が物顔のオオカミに噛み付いたのが、これまたオオカミ同様、先の殺し合い以降性格が荒々しくなってしまったイノシシという少年だ。


「オオカミ、お前、クマを殺ったからってリーダーを気取ってんじゃねーぞ」


「なんだよ、やろうって言うのか?」


「ああ。やってやるよ。ただし、騙し討ちでしか殺せないお前とは違う。俺は正々堂々と戦って、お前を殺してやる」


 このふたりの反目を、しかしやはり頭領は止めなかった。

 目をぎらつかせ、ナイフを交えあうふたりを、頭領はただニヤニヤとまるで見世物を見るかのような態度で、しかも時折「オオカミ、もっと踏みこめよ、このチキンが!」とか「イノシシも口だけかぁ。そんなんじゃいつまで経ってもオオカミを殺せねぇぞ」とふたりを煽る。

 

 そしてお互いになかなか決定打を出せずにいる中、イノシシが一か八かで体を低くしてオオカミの下半身目掛けて鋭く突っ込んだ。

 ナイフでの攻防に気を取られていたオオカミはこのイノシシの奇襲に対応できず、まともに押し倒されてしまう。

 仰向けになって倒れ込むオオカミ。そのオオカミに馬乗りになって自由を奪ったイノシシは、首元にナイフを突きつけ

「どうだ! まいったか!?」

 と吠えた。


「くっ……ま、まいった……」


 さすがのオオカミもこうなってはお手上げだ。悔しそうに自分の負けを認めた。

 

 イノシシがにぃと笑う。

 生意気だったオオカミをついに実力で打ち負かした。これでもう大きな顔はさせない。これからは自分がリーダーだ。

 勝利の余韻に浸るイノシシが突きつけたナイフをオオカミの喉から離し、ふっと力を抜いた。


 その時だった。

 オオカミがするするとイノシシの足に押さえつけられていた右手を抜くと、ナイフを握ったまま、頭上のがら空きとなった相手の喉元へと一気に突き上げる。


「ぶっ!? ぶはっ!」


 イノシシの喉から頭に向けてナイフが突き刺さり、吐き出された血がオオカミの顔を赤く染め上げた。


「はっ! 俺たちは殺し合いをしてるんだぜ。今更ガキの喧嘩みたく相手に参ったと言わせて終わりだなんて、とんだ甘ちゃんだな、てめぇは!」


 怒りと屈辱に目を見開きつつも、次第に力を失っていくイノシシの体をオオカミは押しのけて立ち上がると、その体に唾を吐き捨てる。


「ははははっ! ザマねぇなぁ、イノシシ。正々堂々と倒すとかぬかしてやがったが、結局死ぬのはてめぇの方だ。あーはっはっは!」


 結局イノシシは目から悔し涙を流しながら絶命した。

 その遺体をイヌとネコはクマやその仲間たちと同じように丘の大きな木の下に埋めると、ふたりして静かに手を合わせるのだった。




 狂気に飲まれたオオカミと、大人しく従うイヌとネコ。

 その関係は、しかし長くは続かなかった。


 ある日の夜間戦闘訓練のこと。

 

「イヌ、すごいよ。僕、全然気付かなかった」


 背後からナイフを喉もとに突きつけられたネコが降参と両手を上げて、イヌに賞賛の言葉を贈った。


「た、たまたまだよ」


「偶然で僕どころか、オオカミにまで気付かれず後ろを取れるわけないよ。夜の戦闘ではイヌが一番だね」


 ネコは褒め称えながら、イヌににっこりと笑いかける。

 イヌはなんだか気恥ずかしかった。


「ふん、イヌは夜目が利くだけじゃねーか。なんせイヌなんだからな」


 そこへオオカミが不機嫌そうな物言いで割り込んできた。

 どうやら夜間訓練でイヌに後れを取ったのが面白くないらしい。


「お前、ちょっと珍しく活躍したからっていい気になってんじゃねーぞ。お前なんかなぁ、やろうと思えばいつだって殺せるんだぜ、俺は」


 言うまでもなく純粋な戦闘能力ならイヌがオオカミに勝てるはずがない。

 性格的にも、肉体的にも、イヌがオオカミに戦闘で勝るところはどこにもなかった。


「う、うん……ご、ごめん」


 それが分かっているからイヌは伏し目がちにコクリと頷いて謝った。

 オオカミのあまりな言い方にネコは何か反論したそうな表情を浮かべたが、結局何も言わなかった。

 ふたりとも下手に何か言ってオオカミの機嫌をこれ以上損ねたら、今以上に困ったことになると思ったのだろう。

 が。


「ほぉ、オオカミがいつでもイヌを殺せる、ねぇ。だが、てめぇはさっき、イヌの気配に気付かず背後を取られたじゃねぇか。イヌがその気なら、死んでたのはてめぇの方だぞ、オオカミ」


 話を穏便に済まそうとしていたのに、頭領が何故か蒸し返してくる。


「さっきのはまぐれに決まってるだろ、頭領! 俺がイヌなんかに殺されるわけねぇじゃねーか!」


「そうかねぇ。俺にはそうは思えねぇが?」


「ンだとぅ!? いくら頭領でもそれは聞き捨て――」


「よし。だったらお前ら」


 頭領がいきり立つオオカミと、ふたりのやりとりにオロオロするばかりのイヌの背中をバンと叩いた。


「もう一回やってみろ。ただし、今度は本気で殺りあえ」


 びくりっと体を震わせるイヌ。

 一方オオカミは一瞬驚いたような表情を見せたものの、

「ようし。やってやろうじゃねぇか」

 と狂気に顔を歪ませた。


「あ、あの……お、俺は……そんなの……」


 やりたくはない、とイヌは続けるつもりだったのだろう。

 でも、頭領の前でそんな口をきいたらまたどんな目に遭わせられるか……それを思うと怖くて続きを言えなかった。


「イヌ、オオカミを殺せ。さもないと」


 そんなイヌに頭領は厳命を下して拳を振り上げてみせる。


「……はい」


 それだけでイヌの目はすぅーと深い深い闇の色へと変色していった。





 夜とは言え、星の光が降り注ぐたんぽぽ畑は目さえ馴れればさほど暗くはない。

 しかし、地面に伏し、気配を潜めた相手を見つけるのは困難だ。

 

「さぁ、どこからでもかかってきやがれ、イヌ。返り討ちにしてやるからよっ!」


 オオカミがナイフを構えて、闇に目を凝らす。


 本来ならオオカミもまた身を隠しつつ、イヌを探し出して隙を突くのが夜間訓練の趣旨であろう。

 だが、血の気の多いオオカミは気配を殺すのが下手だ。それを自覚しているのか、オオカミは自らその姿を晒し、イヌが襲い掛かってくるところを逆に狙いうちする事に決めた。


 そよとたんぽぽが風で揺れる。

 ささっと野兎がたんぽぽを踏みしめる音がする。

 その度にオオカミは敏感に反応し、ナイフの刃が星の光にきらめく。

 イヌの姿はまだ見つけられないが、オオカミは自分の五感がいつも以上に研ぎ澄まされているのを感じていた。

 さっきイヌに後れを取ったのは、きっと気配を殺すなんて不向きなことに意識を割いてしまっていたからだ。

 暗殺なんてのは力のないヤツがすること。自分みたいに力があるヤツはこそこそ敵の隙を窺って殺すなんて面倒なことはせず、堂々と打ちのめしてやればいい。


 それをイヌには死をもって教えてやる。

 そして自分がイヌを殺すところを見れば、頭領も二度とあんなことを言わなくなるだろう。


 そう思っていた時のことだった。

 オオカミはふと首もとがなにやら濡れていることに気が付いた。

 集中するあまり、いつも以上に汗をかいているのだろうか。

 

 オオカミは汗を拭おうと首もとに左手を持っていこうとする。

 が、何故か、左手が動かない。

 なんだと不思議に思っているところへ、今度は右手からナイフがするりと滑り落ちた。

 驚いて右手を見ると、どういうことか自分の意志に反して力なく指が開いてしまっている。


 なんだ? 一体これはなんなんだ?

 戦闘中に自分の身を守り、相手の命を刈り取る大切な得物を落とすなんて有り得ない!

 

 オオカミはパニックになりながらも、ナイフを拾うべく屈もうとして――


 ごろり。


 これまたどうしてか膝の踏ん張りが利かなくて、その場に顔面から倒れこんでしまった。

 

 分からない。

 自分に一体何が起きているのか、さっぱり分からない。

 ただ、先ほどまで自分の中に満ち溢れていたものが、今次々と失われていくことだけが漠然と分かった。

 それは力。

 それは自信。

 それは意識。

 それは感覚。

 それは――命。


 恐怖に駆られたオオカミは地面に這いつくばりながら叫ぼうとした。

 しかし、すでに叫ぶ力すらも失われている。

 声なき声をあげようとしてもがき、のた打ち回るオオカミの耳に誰かの声が聞こえてきた。


「所詮はこいつもガラクタだったな」


 ガラクタ? なんのことだ?

 いや、もしかしてそれは自分のことを言っているのでは――。


「やはりホンモノの宝石はお前だ、イヌ」


 聞こえてきた言葉にオオカミは最後の力を振り絞って顔を上げる。

 今の自分よりも遥か頭上から、イヌが血塗られたナイフを手にして呆然と見下ろしていた。


 ど、どうして……近付く気配はまるで……なかったのに……。


 それを最後にオオカミの意識は海から吹く風に乗って空へと舞い上がり霧散した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る