第20話 過去Ⅱ
頭領の言葉が一瞬自分たちの知らない言葉のように思えて、少年たちは理解できなかった。
この人は何を言っているのだろう?
クミアワセハドウデモイイカラコロシアエ、ってなんだ?
脳が頭領の言葉を理解するのを拒んだ。
「おい、おまえら、聞こえなかったのか!? 俺は殺しあえって言ったんだぞ、今、ここで! 出来ねぇっつーんなら、俺様がてめぇら全員殺してやろうかッ、ああッ!?」
だが、二回も繰り返されれば、少年たちの中に過酷な現実を受け止め始める者が現れる。
「ぐほっ!」
突然、イヌの隣に立っていた少年が口から血を吐き出した。
サルという名を貰った少年。その胸元にナイフが突き刺さっている。
「な、なんで……ネコ……俺たち、あんなに仲が……」
「ごめん……みんなが登ってくる間に頭領から『一番近いヤツを殺せ』って命令されたんだ……」
胸を刺されたサル。その彼以上に苦しげに話すネコの言葉に、イヌは背筋が凍るような恐怖を覚えた。
崖を登って集合した当初、ネコの隣には自分が立っていたからだ。
そこへネコと仲の良いサルが「すげー! あの崖を登りきるなんてネコ、すげぇよ!」と割って入ってきた。
もしあの時、サルが割り込んで来なかったら今頃地面に這いつくばり、友人だと思っていた人間に裏切られた絶望のまま死んでいこうとするのは、自分だったかもしれない。
「う、うわあああああああ!!」
ネコのこの行動が引き金となった。
ネコを除く少年たちが一斉に、生き残る為に動き始めた。
ある者はナイフを構え。
ある者は脱兎の如く逃げ出そうとし。
ある者はその腕を掴んで逃亡を阻止した。
「よし、じゃあ俺の相手はお前だ、イヌ!」
そして突然キツネという細長い目をした少年が、その目をさらに細く歪めて、ナイフを片手にイヌへ襲い掛かってきた。
いまだ心の準備が出来ていないイヌは、ナイフを抜いてはいたものの、応戦して切りつけるなんてことはとても出来なかった。
だから上体を反らして相手のナイフをなんとか避けると、崩れた体勢のままキツネの腹を蹴り飛ばした。
反動でキツネとの距離を取るイヌ。
対してキツネはカウンターぎみに腹を蹴られ、苦しそうに地面へと蹲る。
その隙を他の少年たちは見逃さなかった。
「げほっっっっっ! ……ううっ、ち、ちくしょう。イヌのヤツ、トロそうに見えてなかなかやり……な、なんだよ、お前ら」
キツネが恐怖に引き攣った声をあげて自分を取り囲む少年たちを見上げる。
「キツネ、ごめんね」
「お前を殺せば俺たちの誰かが生き残れるんだ……」
「みんなあの男が悪いんだ!」
取り囲んだ連中がまるで自分のこれからやる行為を正当化するかのように、キツネへ話しかける。
「ま、待ってくれ。さっき頭領が言ったのを聞いてなかったのか? 誰でもいいから二人一組で殺しあえって言ってただろ。だから俺はイヌと戦うことにして……あっ!?」
キツネの言葉を少年のひとりが遮って、その右手に握られたナイフを蹴り飛ばした。
「や、やめろ。やめてくれ。殺さないでくれ」
「ごめん。ごめんね……」
「頼む、許して――」
呆然とイヌが見つめる中、懇願するキツネに少年たちは一斉に襲い掛かった。
ザクザクとナイフが突き刺さる音と、痛みと死への恐怖の絶叫がたんぽぽたちの花弁をゆらゆらと揺らす。
「くっくっく、いい感じになってきたじゃねぇか、おめえら。しかし、さすがにそれはルール違反だな」
頭領がゆっくり近寄ると、今まさにキツネの命を奪おうとしていた少年たちは慌ててその場から後ずさった。
「おー、こりゃまた酷い。とてもさっきまで寝食を共にしてきた奴らのやることとは思えねぇ」
全身にナイフによる切り傷を受け、血だるまになって地面に倒れ込むキツネをしばし見つめた頭領は、顔を上げるとジロリと彼をこんなめに遭わせた少年たちを睨みつける。
「だが、それでいい。これから生きていくには、これぐらい朝飯前でなきゃやってらんねぇからな」
その言葉に、頭領の怒りを買わずに済んだとホッと胸を撫で下ろす者がいた。
彼はこの後、仲間との死闘で命を落とした。
一方で、これからこんなことが当たり前になるのかと絶望する者がいた。
彼もまたあっさりと相手に殺された。
この殺し合いで生き残れたのは、頭領の言葉を聞いて安心も絶望もせず、ただ覚悟を決めた者たちである。
「う、ううっ……」
「お、こいつ、まだ生きてやがるか。丁度いい。おい、イヌ、こっちに来い!」
頭領に呼ばれて、イヌは震える足を必死に堪えながら近付いた。
キツネの変わり果てた姿に、うっと胃の中のものが逆流しそうになる。
「吐くなよ。吐いたらその場でお前を殺すぞ。それにこいつから目を反らしてもやはり殺す。分かったな?」
頭領のそれが決して冗談ではないことを知っているイヌは口を押さえながら、懸命に目を見開いて虫の息なキツネを見下ろして頷いた。
キツネとは特別仲が良かったわけではない。何か思い出があるわけでもない。なによりもさっきは本気で自分を殺そうと襲い掛かってきた相手だ。
それでもイヌは自然と涙がこみ上げてくるのを我慢できなかった。
「なに泣いてやがる。おい、イヌ、こいつはお前が殺せ。それでお前は生き延びられる」
ほら、それでやるんだ、と頭領はイヌのナイフを指差す。
「で、できない……」
「そうか。ならキツネの代わりに死ぬのはお前だ」
「そ、それもイヤだ……」
「おい、こら、調子こいて甘えたことを言ってんじゃねぇ!」
突然キレた頭領がイヌの顔面を殴りつけた。
ここでの生活が始まって頭領に殴られるのは珍しいことではない。日常茶飯事だ。時には頭領の怒りを買ってあっさり殺される仲間たちもイヌは見てきた。
それが今度は自分に向けられた。ただ、それだけのこと。
なのにイヌは体の奥底から震え上がってしまい、殴られて立ち上がることすら出来なくなってしまった。
怖い。
怖いっ。
怖い怖い怖い怖い怖いーっ!
自分に向けられる剥き出しの殺意がこんなにも怖いなんて思ってもいなかった。
さきほどキツネに襲われた時も怖かったが、まだ体は動いてくれた。
だけど、圧倒的な力の差のある頭領の前ではどんな抵抗も体が無意味と感じるのか、ただただ震えが止まらなかった。
死ぬ?
ここで自分は死んでしまう?
イヤだ。
そんなのは絶対にイヤだ!
「もう一度だけ言うぞ。イヌ、キツネを殺せ。それが出来ねぇって言うのなら、もうてめぇには用はねぇ。この意味は分かるな?」
頭上から頭領の最終命令が聞こえてくる。
生か死か。生殺与奪は頭領の手にあるものの、その選択をするのはイヌ自身。
正直、これまで共に生き抜いてきた仲間を殺したくはない。
……でも、それ以上に死にたくなかった。
震える体でなんとか起き上がり、キツネに向かってゆっくりと歩く。
二人の距離が近付くたびナイフを持つ右手が激しく震えた。
左手を添えて無理矢理固定しながら、倒れているキツネを見下ろした。
「……や……やめ……たすけて……」
キツネが涙を流しながら、歯が折れ、中も切れた口をもごもごと動かして懸命に命乞いをしてきた。
心が揺れる。視界がぼやけた。
それでもイヌはナイフを持った両手を高く振り上げ、
「ご、ごめん、ね」
一気にキツネの喉に突き刺した。
この時、少年たちが流した血がたんぽぽ畑の黄色い花を赤く染め上げた。
そして花が散り落ち、綿毛となって空へ舞い上がって新たな命を芽生えさせても、茎や葉に血が飛び散るような斑点があり、花弁、綿毛は真っ赤なたんぽぽが生まれることになった。
血染めのたんぽぽ――。
後に旧アガルト領全土で見られるようになったたんぽぽの新種は、文字通り少年たちの血で染め上げられたものであった。
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