第14話 頭領の作戦

「これはどういう事だ?」


 アガルトの残党勢力のひとつ『アガルトの夜明け』のアジトに、ダビドの怒りを押し殺した声が静かに響いた。


 エステバルから隣国パーラへと渡り、船でベアダの港町モッセへ。

 そこから荷馬車に揺られてベアダの帝都に着くと、『アガルトの夜明け』で副団長を務めるマクスという優男に案内されて彼らのアジトに赴いた。


 時間にして十日ほどを移動だけで費やしたことになる。


 十日もあれば、エステバル軍の訓練工程でひとつの作戦を完遂することが出来る。新兵を真のエステバル軍人へと鍛え上げ、中堅にまたひとつ生き残る術を伝授し、ベテランたちと新たな戦略を試すことが出来よう。


 さらに言えば、エステバル国王グスタフのケツを叩きつつ彼が溜め込んだ書類の処理を手伝うことも出来たし、街の視察も可能だ。

 最近あまりかまってやれなかった一人息子と近くの山へと登り、久々に親子の時間を取ることも出来たかもしれない。


 しかし、ダビドはそれらの可能性を全て捨て、はるばるエステバルから旧アガルト領へと足を運んだ。

 すべては彼らが言ってきた砦攻略作戦の詳細を確かめるためである。


 それなのに今、『アガルトの夜明け』を纏め上げる男から聞かされた内容と来たら、とてもではないが正気とは思えなかった。


「はぁ。どういう事とは一体どういう意味ですかい?」


「説明が必要か?」


「へぇ。お願ぇします」


 かしらである男がいけ好かない下卑た笑みを顔に貼り付けながら、いけしゃあしゃあとそんなことを言ってくる。

 その表情、態度はまさしく盗賊や傭兵など、それらの類に属する連中のものだ。

 どうやら『アガルトの夜明け』の団長の出自は元アガルト王国騎士といった立派なものではなく、せいぜいどこかの街を取り仕切っていた荒くれ者らしい。


(これは完全にアテが外れたな)


 ダビドは心のうちで舌打ちしつつも、「よかろう」と頷いて彼らの作戦とやらに言及し始めた。


「まず、砦の裏の崖から潜入して奇襲するという点だが、これは問題ない。過去の例を見ても正面からの力押しでは、君たちの戦力では到底敵わないだろう」


「ですな。あっしらもアガルト復興の為なら喜んで命を投げ出す覚悟は出来ちゃいるが、かと言って無駄死には御免だ。正面からまともにやりあっちゃ幾ら命があっても足りねぇ」


「ふむ。だが、その肝心の奇襲を仕掛ける人物に問題がある。先ほどの話ではそこの青年と少女のふたりに任せると言ったが、どうしてこのふたりなのだ?」


 ダビドはチラリとアジトの天幕の片隅に佇むふたりを見やる。

 

 青年はおそらく二十と半ばあたりを超えた年齢だろうか。

 他の団員たちとは違って線は細いが、なかなか鍛え上げられた体つきをしている。

 おそらくは暗殺を専門としているのだろう。黙ってダビドや団長を見つめる瞳は、年齢に不相応な得体の知れない深い色をしている。

 はっきり言って不気味だった。


 対してその青年の傍らに佇む少女はどうか。

 年齢は……多分、まだ子供を産める体にもなっていない年頃だろう。青年とは違い、いかにも子どもらしい無邪気さ全開な瞳と、こうしている間にもどこかに遊びに行きたいのか、先ほどからムズムズと体を揺らし、その度に青年から黙って頭を締め上げられて不服そうに見上げる態度からも見て取れる。


「このふたりには荷が重すぎるということで?」


「重すぎるどころか、話にすらならない。相手は対エステバルの重要拠点である砦を守っているベアダ兵士なのだぞ。たったふたりで何が出来る? ましてやそのうちのひとりは未だ年端も行かぬ小娘ではないか」


 ダビドは熱い闘志と、それを剥き出しにして果敢に戦う勇敢な騎士ではあるが、同時に冷静沈着さも併せ持っている。

 怒ってはいても怒鳴りはしない。ただし、その怒りを押し殺した口調が却って相手には脅威であることをダビドは知っていた。


「なるほど。おっしゃりたいことはよく分かりやした」


 が、それでも頭領の男は決して怯むところを見せなかった。

 むしろニヤリと笑い、反論を始める。


「ですが、あの砦が建ってる崖を登れるのは、このふたりしかいせん。いや、正確には素手で登ることが出来るのは小娘のみ。そっちの男は小娘が降ろしたロープを伝って潜入しやす」


「ロープが使えるのなら別にこの者だけでなく、もっと大勢を送り込むべきだと思うが? それともなにか、君たちは彼以外、まともにロープも登れないとでも?」


「いやいや、そんなことはありませんがね。ですが、今回はロープをただ登られればいいというわけじゃありやせん。スピードが必要なんでさぁ」


「スピード?」


「へぇ。見張りの巡回が戻ってくるまでに登りきって、ロープを処理し、身を隠すのに必要な時間はズバリ」


 頭領が指で示した時間に、ダビドは軽く目を見開いた。


 砦のある岸壁の高さは、頭の中にデータとして収納されている。それと頭領が指で告げた数値を照らし合わせ、はじき出されたスピードはエステバルの平均的な兵士のそれを遥かに上回った。


 これほどの速さはおそらく身軽さが信条の特殊部隊と言えども、上位数人しか達成できないだろう。

 それをしがない盗賊団の青年がクリア出来るとは俄かに信じがたいが、少なくとも彼以外はロープを使った強襲に参加しない理由は納得できた。


「加えてエステバルの騎士様が持っておられる情報はやや古いみたいですぜ」


「……どういうことだ?」


「まぁ、国交断絶してるエステバルとベアダですから、最新情報なんて期待するのがどだい無理ってもんでしょうがね。いいですかい、騎士様。かつてあっしらの仲間が果敢にも攻め立てた頃と違って、あの砦にはもう何年も誰一人としてちょっかいを出しちゃおらんのです。そうなれば連中も自然と気が緩むってもんでしょう」


 もっともエステバルあんたらが挑発してきたら話は別ですがね、と一言付け加える頭領にダビドは軽く目を細めると、話を続けるように促した。


「そんなもんですから、ここ三ヶ月ほどは砦の外回廊正面の監視がひとり、周囲を巡回している衛兵がふたり、そして砦中央にある塔のてっぺんから海を見張る者がひとりの、計四人しか夜の警備にはついてないんですわ」


「なんだと!?」


 対エステバルの重要拠点であるというのに、夜の警備がまさかそこまで薄いとはダビドは思ってもいなかった。

 

「こちらも久しぶりに砦の観察を再開しやしたが、その緩さに驚きやした」


 ダビドの反応に頭領は満足そうに頷きながら同意する。


「もっともそれだけあの砦は難攻不落だって自信があるんでしょうな。当然、侵入はおろか、近づくのが見つかっただけでも警報が鳴り、ほどなくして大勢の兵士が出てきやります。が、寝静まる頃に奇襲をかけ、先の警備四人をなんとかしちまえば」


「後は大勢で乗り込み、寝込みを襲うというわけか……」


 ダビドは腕を組んで、改めて提示された作戦が上手くいくかどうか考え始めた。

 当初作戦の概要を聞かされた時はあまりの無謀さに審議の余地などなかったが、その後に明かされた砦の警備実態から一考の価値が生まれた。

 

 もちろん頭領の話を全部鵜呑みにするわけにもいかない。

 ひとつひとつ自分の目で確かめてみる必要がある。

 その上で作戦を実行するかしないかを判断するが、仮に実行と決めてしまえば、エステバル側もベアダ侵攻に向けての準備を大急ぎでしなければならない。

 それで砦攻略は失敗に終わりましたなんてことになれば、自分の立場が危うくなるのは言うまでもなく、国そのものも無駄な経費・時間を使ってしまった事になる。


 自分の立場などどうでもいい。

 が、自分の失策で国に被害を与え、自分を信頼して一任した国王グスタホの顔に泥を塗るような真似は絶対にあってはならなかった。

 

 とは言え、敵の気が緩んでいる今が大チャンスであるのも確かだ。

 砦を奪取することが出来れば、長年膠着状態が続いていたベアダ侵攻への大きな足がかりとなる。


 もっとももし失敗すれば、敵は今回の敵襲を教訓に再度砦の警備を強化するだろう。そうなればベアダへの侵攻はさらに十年、下手すればもっと長い年月の遅れが出るかもしれない。


「……分かった。だが、この作戦、実行にはもう少し待っていただきたい」


「と、申しますと一体どれほど?」


「そうだな。長くて半年。おそらくは三ヶ月もあれば」


「それは無理ですな」


 大丈夫だと言おうとしたのを、頭領が遮った。


「なぜだ?」


「砦がある辺りはあと一ヶ月もすれば海流の流れが変わっちまうんでさぁ。そうなると海から近寄ることすら出来なくなりやす。海流が今の状態に戻るまで、また一年ほど待たねばなりやせん」


「そうか。ならば一年後に――」


「いえ、それも無理でさぁ」


「どうしてだ?」


 さすがに二度も言葉を遮られて、ダビドの語尾がやや厳しくなった。


「騎士様は子供がおありで?」


「あ、ああ。育ち盛りの男の子がひとりいる。それがどうかしたか?」


「一年もありゃあ子供は大きく育ちやす。それは世間一般的には喜ばしいことでやすが、こと今回に関してはそうとも言い切れないんでやすよ」


 頭領の言葉に、それまでこれと言った反応を見せてなかった青年がかすかにピクンと体を震わせたのをダビドは見逃さなかった。

 とは言え、今はそれに言及するような場面ではない。

 

「そうか。そこの小娘のことがあったか」


「へぇ。あの崖をロープなしで登れるのはこの、今現在の娘っ子だけ。成長し、バランスが崩れることで、登れなくなる可能性は十分にありやす」


 しかも見るからにまだ女の体つきに変わる兆しを迎えていない。悠長に一年間待っている間にも小娘が兆しを迎え、今とはまるで違う体つきになっていてもおかしくはない。


「騎士様、あっしはね、あんたらがあの約束を持って来た時から、あの崖を登れるのは身軽なガキだけだと思って、多くの奴等を試したことがあるんですわ。そして昔にひとりだけ、これはってヤツがいやした。しかし、他の連中が相次いで砦に襲い掛かり、警備が強まる中でチャンスがなかなか訪れないうちに、そいつも成長して体のバランスを失い、訓練中に落下して命を落としやした」


 頭領がどこか芝居染みた口調で話し始め、青年は静かにそっと瞼を閉じた。

 青年の仕草はまるで祈りを捧げるようで――しかし同時に何かにじっと耐えているようにもダビドには見えた。


「そいつを失って一度はあっしもこの作戦を諦めやした。しかし、それから十年近く経った後に、まさかそいつを超える娘っ子に会えるとは、これぞ神が今こそあの砦を陥し、エステバルと共にベアダを倒してアガルトを再興せよというお導きだと思うんでやす」


 感極まったかのように瞳を潤ませてまでしてみせる頭領。

 その姿にダビドは別に心を動かされたりはしない。

 この時にダビドが考えていたのはただひとつ。


 青年が四人のベアダ兵を本当に倒すことが出来るかどうか、という一点のみだった。


 ダビドが作戦延期を求めたのは、まさにこれが不安だったからである。

 いくら青年がエステバルの特殊部隊にも負けない身体能力を持ち、歳不相応な死の淵を覗き込む瞳を持っているとしても、四人を暗殺するのは至難の業だ。


 ならば今からでもエステバル本国から特殊部隊の中でもとりわけ優秀な数名を選出し、作戦に従事させるべきだろう。

 そうすれば成功確率は格段に跳ね上がる。


 とは言え、敵対国に自分ひとりならばいざ知らず、彼らのような腕利きを立て続けに潜入させてはさすがのベアダも勘付くかもしれない。

 仮にこちらの意図を察しあぐねたとしても、国全体の警戒レベルが上がって砦の警備が強化されてしまっては水の泡だ。

 だから半年、少なくとも三ヶ月に分けて、ひとりずつそれぞれ違った方法で侵入させるつもりでいたのだが……。


「エステバルの騎士様、どうかあっしらに力を貸してくだせぇ。あっしらが砦を落とした後、即座に駆けつけたエステバル軍があの砦をベアダ侵攻の拠点として占拠してもらえれば、ベアダ各地に潜むあっしらの仲間たちも皆立ち上がりやす。協力してあの憎きベアダを打ち滅ぼそうじゃありやせんか」


 頭領はますます饒舌となって、砦の前にまずはダビドを落とそうと試みる。

 それはダビドにも分かっている。簡単に口車に乗ったりはしない。

 そもそも頭領が話す作戦には不確定要素が多すぎた。話を聞いた現状ではとてもじゃないがゴーサインを出すことは出来ない。

 だから。


「分かった。だが、今はまだ答えは出せん。この作戦にエステバルに乗るかどうかは、そこの彼」


 ダビドは青年の瞳をじっと覗き込んで言った。


「彼の実力を見せてもらってからにしよう」

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