第15話 嫉妬
「わーい、今回もダビドのおっちゃんの負けぇ~」
少女が大笑いしながら、ダビドの背中をぽんと叩いた。
「……まいった」
ダビドは苦笑いを浮かべて降参しながらも、その心のうちは「またか」と不甲斐ない自分自身に舌打ちした。
ダビドが『アガルトの夜明け』のアジトにやってきて二週間が経っていた。
その間、何度もエステバル本国とは伝書鳩でやり取りをし、ベアダ侵攻に向けての準備を着々と進めている。
おそらくは明日の朝にでも準備が整ったという知らせが届くだろう。
となれば作戦は予定通り、三日後の夜に決行される。
『アガルタの夜明け』が砦を無事落としたら、沖にて漁船に扮したエステバルの同志へ合図を送る。その合図を確認したら、さらに砦からは見えない位置に待機させたエステバルが誇る高速軍船が砦近くの入り江へと舵を取る手はずとなっていた。
軍船に乗っているのは、言うまでもなくエステバル軍の精鋭たち。上陸した彼らは二手に分かれ、ひとつは予めダビドが下見しておいて決めた場所に前線基地を築き、ひとつは落とした砦の防衛にあたる。
夜が明ける頃には砦が落とされたどころか、エステバルの侵略を許したことを知ったベアダの連中が慌てふためくことだろう。
この作戦においてダビドは現地に残り、いざ始まれば青年たちが見張りを倒して開門した砦へ、アガルトの夜明けの団員たちと共に襲い掛かる任を受け持った。
砦を無事占拠し、防衛隊が着任したら前線基地へと移動して指揮を執ることにもなっている。
が、正直なところ、作戦が始まるまでは本国とのやり取りはあるものの、基本的にやる事は少ない。
だからダビドはちょっとしたリベンジを図ろうと青年たちに申し出たのだった。
☆ ☆ ☆
それはダビドが「青年の実力を見たい」と申し出た時のことである。
青年は黙って頷くと、ダビドをアジトの中央広場へと連れ出した。
「こ、ここに立って。お、俺が、き、気付かれずに、お、襲いかかる」
酷いどもり声で聞こえにくかったが、どうやらダビドに気付かれずに襲い掛かってみせる事で、砦の見張りたちも無力化出来ると証明してみせるつもりらしい。
ダビドは「ほう」と一言だけ吐き出すと、少し笑みを浮かべて快諾した。
ダビドは今でこそ『エステバルの大鷲』と呼ばれているが、元は地方の平民出身である。
三男坊だった彼はその歳になると迷わず軍に入隊し、恵まれた体と実直な性格でもって、めきめきと実績を挙げていった。
そして今の青年と同じ年齢の頃、実力が認められてエステバルの主力部隊へ栄転。そこで当時まだ皇子として部隊の指揮を執っていたグスタホと知り合い、様々な戦場で重用された。
時には敵の集団に真っ先に飛び込む先駆けとして。
時には敵の陣営深くに潜り込んで情報収集を行うスパイとして。
進軍中に敵の罠に陥り、あわや次期国王グスタホの命ももはやこれまでといったピンチには自ら率いる部隊とともに
それゆえグスタホの戴冠の際には騎士へと昇進し、大部隊を率いる指揮官となった。
が、それでも実戦での叩き上げであるダビドは今でも自らが先頭に立って、兵士たちを鼓舞する戦い方を好む。
また、戦場での陣中においても護衛を付ける事はなく、自ら陣の見回りや警護に立つことすらあった。
だから敵の気配を察知するにはそこそこ自信がある。
少なくともいつの間にか自分の背後に立たれ、喉もとにナイフを突きつけられるなんて無様は生まれてこの方一度たりともない。この時も正直、近づいてくる青年を逆にふん縛る自信があった。
「……見事だ」
しかし、ダビドは青年の気配にまったく気付くことが出来なかった。
周囲は深い木々や草むらに覆われ、いくつかの天幕や、樽などが存在しているが、それらからダビドまでは最短でも二十メートルほどあった。警戒して周囲を見渡すダビドに見つけられることなく近付くのは、かなり困難だ。
にもかかわらず、いつの間にか青年はダビドの後ろに立っていて、ナイフを模した木の枝をその喉もとに押し当てていた。
ダビドからすればまるで突然現れたような、あるいは最初からそこにいたような、到底信じられない結末に相手を褒め称えつつも、背中に冷たい汗がつつーと流れ落ちるのを止めることが出来ない。
「あ、ありがとう」
青年がどもりながら礼を言うと、木の枝を喉もとから離した。
「差し支えなければ教えてくれないか? 今のはどうやってやった?」
「……け、気配を殺した」
「それは分かる。だが、たとえ気配を殺したとしても姿までは消すことはできまい?」
「す、姿は消せない。で、でも、気配を感じなかったら、ひ、ひとはそれをなかなか認識出来ない」
どもりが激しい。どうやら青年は緊張しているようだ。話すだけでこんなに緊張しているのに、いざ仕事となればあそこまで気配を消し去ることが出来るとは、底知れぬ瞳同様、相当な手練である。
この瞬間、ダビドの中で作戦成功の可能性がぐんと高まった。
「あ、あの、騎士様……」
「ん、なんだ?」
「も、もうひとり、テ、テストして欲しい子がいる」
「テスト?」
申し出にダビドが訝しんでいると、青年が手招きして少女を呼んだ。
「なーにー、イヌ? ネコ、さっきのお話で頭が痛くなっちゃったからお昼寝したいんだけど」
「ネ、ネコ、さ、さっき俺がやってたのを見てたよね?」
「うん! さすがはイヌ、ネコにもイヌの姿がぼんやりとしか見えなかったよ」
「そ、それをね、今度はネコがやってほしいんだ」
「ネコが?」
言われて少女はしばし青年とダビドの顔を交互に見やる。
と、急にダビドへ向かってニマーと笑うと
「えー、このおっちゃんにネコは捕まえられないと思うなー」
なんて失礼なことを無邪気にも口にした。
「ネ、ネコ! ダ、ダメだよ、エステバルの騎士様にそんな失礼な口をきいちゃ」
「うーん、ネコ、その騎士様ってのがよく分かんないんだけど、もしかして偉い人なの?」
「そ、そうだよ! と、とっても偉い人なんだよ」
青年の必死さにもかかわらず、少女はどうもイマイチぴんと来ないようだ。
その後もダビドをそっちのけで「じゃあ、どれくらい偉いの? 頭領よりも偉い?」とかやり出して、青年を困らせる。
「ははっ、少女よ、私のことは『おっちゃん』で構わんよ」
そこへダビドが助け舟を出す。
「それよりも君たちはさきほどからイヌとネコって呼び合っているが、これは?」
もっともダビドは自分がどう呼ばれるかよりも、青年たちの呼び合う名前の方に興味があった。
「は、はい。な、名乗るのが遅くなって、も、申し訳ありません。お、俺はイヌと言います」
「ネコはネコだよー、おっちゃん」
深々と頭を下げる青年と、逆に両手を上げて胸を張り上げる少女。
「ふむ。だが、それはあだ名であろう。本名は何と言うのだ?」
「本名? 本名ってなぁに、おじちゃん?」
「本当の名前って意味だ。君たちが生まれてきた時、お父さんやお母さんが付けてくれた名前だよ」
ダビドとしては出来る限り優しく、そして分かりやすく話したつもりだった。
が、少女はなにやら難しい顔をして、よくわかんないやと青年へ助けを求めるように視線を向ける。
すると青年もまた困ったような顔をし、恐縮した様子で口を開いた。
「……も、申し訳ありません、騎士様。お、俺は奴隷で、子供の頃にこの盗賊団に拾われる前の記憶がありません。ネ、ネコも孤児だったので同様です」
「つまり本当の名前を知らないと?」
青年がこくりと頭を縦に振った。
「驚いたな。酷い話だ」
「も、申し訳ありません。ど、奴隷である俺たちが騎士様と話を――」
「そうではない。私が驚いているのは、奴隷であろうと人間には代わりない君たちに畜生の名前を付けているということに対してだ」
平民の出ではあるが、常識人なダビドには到底信じられない。
これはひとつ厳しく言ってしかるべきだろう。
ダビドは険しい表情を浮かべて、名付け親であろう盗賊団の頭領の姿を探す。
が、青年をテストしている時には確かにいたはずが、いつの間にやら姿を消していた。
小悪党らしく、こういったことには鼻が利くらしい。
「ふん、隠れたか。まぁ、いい。今度会った時には厳しく言っておこう」
「い、いえ、騎士様。お、お心遣いはありがたいのですが、ど、どうかおやめください」
「何故だ? 君はそんな獣の名前で呼ばれて悔しくないのか?」
「も、もう何年もこの名前で呼ばれています。な、何も感じません」
「ネコも! あ、ネコはね、街の人がネコは色んな人のところでお世話になっているから、まるで猫みたいだからってネコって呼ばれるようになったんだよー!」
憤るダビドに対して、当事者たちはあまり不満はないらしい。
これにはダビドも拍子抜けしてしまった。
ただ、それでも。
「そうか。だが、仲間内ならばともかく、外に出る時にその名前では笑われてしまうぞ。今のうちに何か人間として相応しい名前を考えておくといい」
ひとこと忠告せずにはいられなかった。
「イ、イヌでは笑われてしまいますか?」
「ああ。おおっぴらに笑うことはないかもしれんが、心のうちでは変な名前だと思われるのは間違いないだろう」
ダビドとしてはごく当たり前のことを言ったまでである。
だが、青年はなぜか酷くショックを受けたようで「な、名前……」とぶつぶつ呟き始めた。
「んー、イヌ、何か別の名前が欲しいの? だったらネコが付けてあげるよっ! そうだねぇ、イヌはネコの先生だから、センセーって名前はどうかな?」
「ははっ。少女よ、それは名前とは言わないぞ」
無邪気な少女の言葉に、思わず吹きだしてしまうダビド。
もっともこの無垢な少女もまた今回の砦攻略において暗殺の任を受けており、やはり青年同様、気配を殺す術を身につけていることに驚かされることになるのだった。
☆ ☆ ☆
「おっちゃんはねぇ、なんでも目や耳に頼ろうとするのがよくないんだよ」
今日も今日とて気配を悟られることなく近付いた少女がその背中をぽんぽんと叩きながら、親子ぐらい歳の差があるダビドにアドバイスする。
「しかし、目や耳以外のどこで気配を察知しろと言うのだ?」
「うーん、たとえば誰かに見られている時、『あ、なんか見られてるなー』って感じることがあるでしょ? アレって別に目で見たり、耳で物事が聞こえたりして勘付くわけじゃないよねぇ」
「ああ。なるほど、あの感覚か」
「うん。アレをもーっとすごく敏感にするの。そうしたらぼんやりだけど気配を感じる事が出来ると思うよ?」
アドバイスにしきりと頷くダビドに、いつものように天真爛漫な笑顔を見せる少女。
運命の日が近付くにつれ緊張感が高まる中、なんとも微笑ましい光景だった。
「…………」
ただ、そのふたりに険しい視線を送る者がひとりいる。
仲間からイヌと呼ばれる、盗賊団の青年だった。
ふたりから距離を置きながらも、悟られぬよう気配は消している。
ダビドはもちろんのこと、少女もその視線に気付くことはない。
「……イヌ? 僕の話、聞いてる?」
もっとも会話中だったマクスには、さすがに心ここにあらずな態度がバレてしまった。
「ご、ごめん。ぼ、ぼーとしてた」
「あはは、そんな怖い顔をしていて、その言い訳は通用しないよ、イヌ」
マクスは苦笑いを浮かべながら、先ほどまでイヌが見ていた少女とエステバルの騎士を見やる。
これには青年の視線と違ってダビドたちも気付き、少女は「おーい!」と手を振ってきた。
「ふふっ、あのふたり、最近仲がいいよね」
軽く手を振り返しつつ、マクスは青年の顔色を窺った。
「そ、そうだね」
「あまりに仲が良すぎて嫉妬してるのかな、イヌ?」
「し、嫉妬?」
青年がぽかんと口を開けて、言葉を繰り返した。
「そう。あの子はずっとイヌが面倒を見ていたじゃないか。それが最近はあの騎士様にその役目を取られてしまって面白くないんじゃないの?」
だからさっきはあんな怖い顔をしていたんだとマクスは思った。
「そ、そんなことないよ。そ、そうじゃなくて、お、俺はネコが……」
青年は懸命に否定しようとするも「じゃあ、もう一回やるよー」と少女がダビドに話しかける声に、かすかにまた眉間に皺を寄せた。
「ははっ、口ではそんなこと言っても気にしてるのは丸分かりだよ。しょうがないね、じゃあ最後にこれだけ渡して、僕は退散するよ」
マクスは懐から小さく折りたたまれた赤い包み紙をふたつ、取り出した。
その折り畳まれ方に青年には見覚えがあった。
かつて少女と初めて出会った頃、眠れなかった青年にマクスが手渡してくれたものと同じだ。
ただし、あの時は白い紙だったのに対して、今回はどこか危なさを感じる真っ赤な色をしている。
「頭領から用意するように言われてたんだ。これが何か分かるね?」
マクスの口調はいつもと同じながらも、その表情はどこか強張っていた。
それは青年も変わらない。少女たちを見つめるものとはまた異質の、緊張したような面持ちでマクスから赤い包み紙をふたつ受け取る。
「イヌと、あの子の分だ。その紙は水に強いから濡れても構わない。だけど、分かってはいると思うけど、くれぐれも取り扱いには注意して。もうどうしようもなくなった時に使うんだ」
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