第13話 港にて

 ベアダ領モッセ。


 ベアダの南西に位置するこの街は、世界でも有数の港町だ。

 旧アガルト領のある北部と違ってモッセ付近の海は年中穏やかで、荒れることは滅多にない。常に心地よい潮風と陽射し、そして大勢のウミネコたちが世界中から訪れた船を温かく迎え入れてくれる。

 

 訪れる船の多くは商船で、昼夜を問わずひっきりなしに世界中の特産物がここで陸揚げされ、ベアダの各地へと運ばれていく。

 故にモッセには荷物の運搬を仕事にする者や、商品を積み込んだ荷馬車に同行して、道中に襲い掛かってくる盗賊や獣たちを追い払う用心棒といった力自慢が多い。

 加えて海の男たちも荒くれ者たちだから、良い言い方をすれば活気に満ち溢れる、悪い言い方をすればちょっとしたことでの小競り合いが日常茶飯事な街であった。


 だからだろう。港には彼らと同じくらい、ベアダ兵の姿も多く見られた。

 彼らの仕事はもちろん、モッセの治安維持である。

 血気盛んな連中の喧嘩は、そう簡単に止められない。一般人が下手に割って入ればかえって大事に発展することもある。

 その点、治安を乱す者を逮捕・拘留する権限を持っている彼らならば、仲介人に相応しい。つまらないことで喧嘩を始めた連中にも仕事があり、逮捕されるという事は仕事に支障が出るということである。


 どんな遺恨があったとしても、ベアダ兵が出張ってきたらそこで終了。

 それがこの街における無言のルールのひとつだった。


 そしてもうひとつ、この街の知られざる、しかし知っておかねばならないルールと言えば……。


「ん、おいそこの体格のいいヤツ。そう、お前だ、ちょっと渡航証を見せろ」


 今、兵士がひとりの男を呼びとめた。

 男は『世界の台所』と呼ばれているパーラという農業国家からやってきた船の船員で、今も海を越えて運んできた農産物をせっせと陸揚げしている最中だった。


「へぇ。オラのことでしょうか、兵士様」


「そうだ。渡航証をさっさと出せ」


 男は運んでいた荷物をその場に降ろすと、ごそごそと胸元をまさぐってパーラが発行した渡航証を取り出して兵士に差し出した。


「ふむ。名はオリバ・サルトリ。年齢は35歳。渡航証に押されたパーラの紋章もホンモノのようだが」


「へぇ」


「しかし、その鍛えられた体つきは船乗りのそれではないな。貴様、本当にただの船乗りか?」


 兵士が疑わしそうな目つきで男を睨みつける。

 この言葉と、この態度。すなわち兵士は、男に船乗りを装った他国のスパイではないかと疑いをかけているのだ。

 もしこの疑いを晴らすことが出来ず逮捕されることにもなれば、もはや仕事どころではない。ベアダではスパイは重罪だ。酷い拷問をされて知っていることを全て吐かされ、最後には無慈悲に殺される。

 だからこの猜疑をかけられた者は、身の証をたてねばならないのだが……。


「ふあああ、さすがはベアダの兵士様だぁ。オラが船乗りじゃないって一目見ただけで分かるだか?」


 あろうことか、男は自分が船乗りではないと認めてしまった。


「貴様……」


 思わぬ反応に兵士は一瞬呆気に取られるも、すかさず腰の剣に手をかける。


「へぇ、オラ、普段は畑仕事をしとります。今回は人手が足りねぇからと領主様に言われて、船乗りのお手伝いをさせてもらってますだ」


 が、男はそんな兵士の様子なんか気にも止めず、パーラで商売人もやっている領主が自分のためにわざわざ渡航証を取ってくれたこと、初めての船旅で興奮したこと、モッセの街の活気に最初は祭りかなにかと勘違いしたことなどを一気に捲し立てた。


「荷物を降ろしたら、ベアダの帝都に自分も一緒に……あ、いね、兵士様に呼び止められたらこうしろと領主様に言われていたことを忘れてましただ」


 そして男は運び終えた荷物のひとつの荷を解くと、中から一瓶のワインを取り出した。


「これ、うちの畑で取れた葡萄で作ったワインですだ。領主様も今年のは一段と出来がいいと褒めてくださいました。どうぞ兵士様、お仕事を終えた後にでもお飲みくださいまし」


「いや、そのようなものを貰うわけにはいかぬ!」


 兵士は言いながら、顔に困惑の表情が浮かばせる。

 ただし、それは賄賂での懐柔を咎めるようなものではない。

 むしろ目の前の男の思わぬ行動に、本当に困惑しているようだった。


「いやいや、こうしてオラたちが平和に畑仕事が出来るのも、ベアダ帝国の皆様が周囲の物騒な国々に睨みを利かしてくれているからだと聞いております。これはそんな皆様へのささやかながらお礼ですだ。それから勿論、こちらも」


 男は無理矢理兵士にワイン瓶を握らせながら、素早くその懐へなにやら丸めた紙を忍ばせる。

 

「あー、ごほん。そうか、そこまで言われては受け取らぬのも失礼というもの。お前が作ったと言うワイン、後で飲ませていただく」


「ありがとうごぜえます」


「これから帝都へ向かうと言っていたな。モッセで驚いていては、帝都ではとても身が持たぬぞ」


「へぇへぇ。やはり帝都はもっと凄いですか?」


「ああ。まさに世界の中心に相応しい街であるからな。腰を抜かさぬよう、今から気を引き締めておくがよい」


 言いつつ、兵士は懐に感じる厚みに自然と顔がにやける。

 世間知らずの田舎者相手に苦労はしたが、男が言う領主様とやらは随分と羽振りがよいらしい。男が作ったワインなんてどうでもいいが、懐のものには存分に満足すると、兵士はしばらく立ち話をした後にそそくさと立ち去っていった。


 男も兵士を見送った後、残りの荷を運ぶべく、自分が乗ってきたパーラの船へと戻る。


「あー、旦那。勝手なこと言って、うちの商品を渡さないでくださいよ」


 そこへ先のやりとりの一部始終を見ていた船乗りが呆れたとばかりに男へ声をかけてきた。


「うちの商品? おかしいな、アレは連中への土産ものとして既に私たちが買い取ったものだったと思っていたが」


 男の口調が俄かに変わった。

 パーラの農民訛りが消えたその声には威厳すら漂っている。


「いや、そうじゃなくて。旦那はさっき『今年のワインは一段と出来がいいと領主に褒められた』とか言ってたじゃねぇですか? やめてくださいよ、今年はむしろその逆。あまり出来が良くねぇんですから」


 あとであの兵士もきっと頭を捻りますぜ、と船員がくっくっくと笑いを堪えながら言うものの、男はいたって真面目な顔で「ふん。賄賂がまかり通っている腐ったベアダの連中に、ワインの良し悪しなど分からんよ」と言い切った。


「それより運び出すのはあとこれだけか?」


「へい。しかし、申し訳ないッスな、エステバルの大鷲と呼ばれるダビド様に船員の真似事なんてしてもらって」


「構わんよ。それに今の私はパーラの農民オリバですだ」


 そう言ってパーラの農民に扮したダビドは、よいしょと一際大きな荷物を持ち上げた。


 エステバルとベアダ。

 世界の二大大国と呼ばれる両国に国交はなく、お互いの渡航は禁じられている。

 だからダビドはまずエステバルの隣国・パーラへと向かった。

 パーラはエステバルと領土を接しながらも昔から争いごとひとつない友好な関係にあり、それでいて領土で取れる豊富な農産物を世界各地へ輸出していることから、今回のような場合、隠れ蓑として大いに利用できる。

 ダビドもまた過去に何度か同じ経験をしたことがあり、今ではパーラの農民訛りもお手のものだった。


(しかし、果たして本当に期待できるのだろうか?)


 強い陽射しと荷物の陸揚げで肌にうっすらと汗をかきながら、ダビドは今一度『アガルトの夜明け』から送られてきた内容を思い出す。


『例の約束を果たす準備が出来た。そちらも約束を守られんことを切に願う』


 彼らとエステバルの間に交わされた約束と言えば、それはひとつしかない。

 十数年前、ベアダの侵攻によって滅んだアガルト王国。

 その復興を、彼らがある砦の奪還を実現する事でエステバルが後押しするというものだ。

 

 かつてはその約束を果たそうと、多くのアガルトの残党が砦を落とそうと躍起になった。

 しかし悉く失敗し、その度に秘密裏に待機していたエステバル海軍は肩透かしを食らい続ける羽目になった。

 そして長い年月が流れ、ここ五年ほどは話題にすら上がることがなくなってしまっていたところへ、今回の話が舞い込んできたのである。


(陛下は随分とやる気だが、ここは慎重に見極めなければ)


 過去にはダビドも軍船の中で砦陥落の知らせを待った経験がある。

 強国との戦いに体の奥からふつふつと沸きあがってくる高揚感……それが砦攻略失敗によって霧散させねばならない時の虚しさは何とも言えないものがある。

 今度こそ実行するからには必ず成功させねばならない。

 その為にも自分の仕事は極めて重要であるとダビドは認識していた。

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