第12話 砦
そもそもその地はアガルトの民のものであった。
が、十数年前、ある事件が起きた。
アガルト王国で新たに誕生した皇女の祝いにやってきたベアダ帝国の使節団が、王国領で何者かに襲われ、全滅したのだ。
この件に対してアガルトは謝罪し、国を挙げて犯人を捕まえることをベアダに約束した。
しかし、ベアダはこれを不服とし、自らも犯人を捕まえるべく、アガルトに軍隊を派遣。そして不確かな証拠であるにもかかわらず、今回の使節団の襲撃がアガルト国王の命で行われたと主張し、同国への侵攻を開始した。
大国ベアダ帝国に、小国アガルトが敵うはずもない。
侵略はあっという間に世界地図からアガルトという名前を消し去った。
国を失い、土地を失い、老いも若きも男も女もまるで虫けらのように殺されて、人としての尊厳すらも踏みにじられたアガルトの民……しかし、生き残った一部は地下に潜り、ある者は復讐の時に備えて力を蓄え、またある者はベアダの各地で略奪や焼き討ちを行って抵抗を繰り返していた。
青年たちが属する盗賊団『アガルトの夜明け』は、そんな残党のひとつである。
彼らは主にかつてアガルト領であった地で活動していた。
生まれ育った土地での活動は地の有利を活かすことが出来る上、なにより彼らは自分たちの故郷がベアダに陵辱されるのが許せなかったのだ。
かつての自分たちの土地に、ベアダの連中が次々と新たな村を作り上げていく。
それは『アガルトの夜明け』や、その他の残党勢力ではとても全て駆逐できないほどの勢いであった。
が、それでも、たとえベアダにとっては取るに足りない小さな村であろうとも襲撃を行い、アガルトの民はいまだ抵抗を忘れないという姿勢を見せ続けることが重要だった。
そんなアガルトの残党である強盗団が強襲した村を焼き払い、一人残らず命を奪い取る理由は、もちろんベアダに自分たちの足跡を掴ませない為である。だが、同時にかつて自分らが受けた仕打ちをやり返しているという一面もあることは否めないだろう。
不毛ではあるものの、国や平穏な日々を奪われたという憎しみは、それらを取り戻さない限り晴れることはないのだ。
「で、でもね、このままじゃ埒が明かない。だ、だから頭領たちは状況を逆転させるために、ずっとあの砦を狙っていたんだ」
青年が少女に話しかける。
ふたりは森の草木に隠れながら、小高い、断崖絶壁の海岸に建つ小さな砦を偵察に来ていた。
「ふーん、古そうなお城だねぇ」
少女が青年同様に遠眼鏡を覗き込みながら、素直な感想を零す。
「ふ、古いさ。な、なんでも二百年以上も前に建てられたらしい」
「二百年!? すごいねー、ネコもすっごい長生きのお爺ちゃんと会ったことがあるけど、どっちの方が年寄りかなぁ?」
人の寿命なんてたかが知れているにもかかわらず、少女は真面目な顔でそんなことを呟いた。冗談でもなんでもない、少女は本気だ。
「で、でも、造りはしっかりしている。し、修繕も頻繁にされているから潮風による風化もほとんどない。そ、それになによりも」
見てごらん、と青年は遠眼鏡をやや下げて、少女にも同じ場所を見るよう促す。
「あ、あんな険しい崖の上に建っているんだ。ふ、普通に落とすには正面からやりあうしかない」
「うー、だけど、正面はすっごく難しそうだよー」
だって近付くのに隠れられるところがないもん、と訴える少女に青年はうんと頷いた。
「そ、そうだね。だ、だから俺たちが攻めるのは正面からじゃない」
青年が遠眼鏡から目を離し、少女を見つめて口を開く。
「あ、あの崖を登るんだ」
「崖……ああ、なるほどー」
むつかしそうな表情を浮かべていた少女が、青年の言葉にぱっと顔を明るくした。
「そうだねー、そっちの方がずっと楽チンだよ、うん。さすがはイヌ、ナイスアイデアだよー」
すごい、さすがとはしゃぐ少女に、青年は思わず苦笑する。
打ち寄せる波で激しく抉られた岩肌は逆三角形の形になっていて、上方になるほどその弧は激しく反り返り、ほとんど水平となる。加えて苔が生えていて、滑りやすい。おまけにこのあたりの沿岸は浅瀬で、海面のいたるところから岩礁が顔を覗かしている。
手を滑らせて落ちたら最後、無事には済まない。
少女にもそれは分かるだろうに楽チンだと言ってしまうのだから、自信たるや相当なものだ。
しかし、決して自惚れや虚勢でないことを青年は知っていた。
そう、あの血染めのたんぽぽが咲き誇る岬にあった断崖絶壁だ。あれは砦を攻略すべく、ずっと昔に頭領が見つけてきた場所だった。
過去には青年も何度も挑戦していた。が、一度として成功したことはない。
それを少女はいとも容易くクリアしたのだ。大木をするすると登り、木々の間を跳び回る身軽さから「もしや」と思ってはいたものの、あの時の驚きは今でも忘れられない。
「でもさー、イヌー?」
青年が物思いに耽っていると、少女が話しかけてきた。
「どうして頭領たちはあんな古いお城が欲しいのかなぁ?」
「……と、頭領たちが欲しいわけじゃないさ」
少女の問いかけに、青年は砦から伸びる塔のてっぺんを見てみるように指示を出す。
少女が覗く遠眼鏡に、見張りの兵士の横顔が映った。
「こ、こいつは何を見張ってると思う?」
「うーん、海?」
確かに兵士は海を見ていた。
「う、海を見てどうするのさ? こ、こいつは海から来るかもしれない、あ、あるモノを見張ってるんだ」
「あるもの? なーに、それ?」
「……エ、エステバルの軍船だよ」
「エステバル?」
「う、うん。ベ、ベアダと同じぐらい強い軍隊を持った、海の向こうの大国だよ」
ベアダがそうであるように、エステバルもまた王国制を敷いているが立派な軍事国家である。
両国の間には大海がある為、これまで大きな衝突はないが、エステバルの軍船がベアダに近付き、緊張が走ったことは数え切れない。
「エ、エステバルの軍船が現われるのをいち早く見つけるのが、こ、この砦に詰めている連中の仕事なんだ」
切り立った岸壁の、しかも小高い場所に建てられた砦は、海を監視するのに最も適していた。
また、エステバル側から見たベアダの海岸線は基本的にどこも高い岸壁になっているが、この砦を頂点のひとつとする大きな湾状の深部にのみ、船を寄せて上陸できる港がある。
これがエステバルが侵攻出来る最短ルートであり、ここ以外となると大きく迂回しなければ上陸できるような所はない。しかも、そちらは途中には幾つもの海峡があり、さすがのエステバル海軍と言えどもさすがに侵攻は不可能だった。
故に先の砦はベアダからすればなんとしても死守しなければならない要所である。
ベアダが難癖をつけてアガルトに無理矢理侵攻したのも、かつてアガルト領にあったこの砦を自分たちの手で管理したかったからだという声すらもあった。
「だ、だからエステバルの連中は頭領と取引をしたんだ」
青年は少女から顔を背け、再び遠眼鏡を覗き込む。
「も、もし砦を落とすことが出来て、エステバルがベアダに攻め入る突破口を開けたら、ア、アガルトの再興を約束するって」
「ふーん、そうなんだー」
理由を聞きたがった割には、少女の反応は鈍かった。あまり興味がない、というか、正直青年の話がよく分からなかったのだろう。
ただ、
「イヌ、なんだか嬉しそうだねぇ。どうして?」
と、遠眼鏡を覗き込みながら頬をわずかに緩める青年に尋ねた。
その問い掛けに青年は驚きを禁じえない。
無邪気で、駆け引きということを知らず、愚鈍なまでにただただまっすぐな少女。が、時々、こうして鋭い観察眼を見せる。
今も気付かれないよう、少女から顔を背けて表情を隠したのに、見事に見破られた。
まったく、かなわないなと青年はふぅと溜息をつく。
「……ど、どうしてだと思う?」
逆に少女に尋ねてみた。
「うー、分かんないから聞いてるんだよー」
意地悪な答えを返してくる青年に、少女はぶーと頬を膨らませる。
少女らしい反応だった。
「……お、俺もある約束をしたんだよ、と、頭領と」
「約束?」
「そう」
当然、少女は約束の内容を聞きたがる。
だから少年は、少女とも約束を交わすのだった。
砦を無事落とせたら、全てを話してあげる、と。
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