第三章 目論見

第11話 エステバル

 青年たちが訓練から戻ってしばらくした頃。

 一羽の鳩が、血染めのたんぽぽが咲き乱れる丘の大樹にて羽を休めていた。

 青年たちと鳩とに直接的な関係はない。

 ただ、鳩としてはこれからのロングフライトに向けて一度身体を休ませるには、この大樹がベストのポジションにあっただけのことだ。

 昨夜降っていた雨はあがり、風もいい感じに目標地に向けての追い風。

 なにより一晩休んだことで体力・気力共に充実している。


 さぁ、行こうか――


 鳩が枝を蹴り上げて、その身を天空へと羽ばたかせる。

 目指すは海の向こう、遥かなる大地エステバル。

 風をつかまえ、鳩の身体がすぅーと空高くへと舞い上がっていった。




「失礼します」


 礼儀作法に則った四度のノック。

 扉の向こうからでも聞こえてくるハキハキとした挨拶。

 そして入室し、扉を閉めると、部屋の主に上体をしっかり三十度に曲げてお辞儀をする。


 すべてにおいて折り目正しいこの男、名をダビドと言う。


 年齢は三十代後半。髪を短めに刈り揃え、長身痩躯の体つきは無駄を一切省いたかのように鍛え上げられており、「ダビド、お呼びに応え参上いたしました」と敬礼して言ったきり、部屋の片隅で直立不動の姿勢で立っている。


 そう、彼は優秀な軍人であった。

 

「やぁ、ダビ。よく来てくれたね」


 対して部屋の主は机に頬杖をつきながらダビドをニヤニヤと見つめると、彼を愛称で呼んだ。

 年齢はダビドと同じか、やや年上。ただ、ダビドが鍛え上げられた肉体を誇っているのに対して、部屋の主はやや運動不足が目立つ体型をしているのが座っていても分かる。


 上に立つ者にはありがちな体型だ。


 しかしこの運動不足な男は、ごく普通の軍部上官ではない。

 それは贅沢の極みを施した部屋の様子からも分かる。

 床には足首が埋まるほどにふかふかな絨毯が敷かれて塵ひとつ落ちておらず、天井には男一人の部屋にも関わらず豪華なシャンデリア。部屋に置かれた机やチェストやサイドテーブル、燭台はどれをとっても凝った細工が施されており、一流職人の手によるものだと分かる。

 

 そして極めつけは机に無造作に置かれた、巨大な宝石を幾つもはめ込み、中央にはエステバル王国の紋様である鷹のレリーフが施された王冠だ。


 つわものたちが集まるエステバル王国軍において武功一番と誉れ高いダビドといえど、緊張するなというのが無理なほど、国家の最重要人物であった。


 が。

 

「君と私の仲じゃないか。そう畏まらず、リラックスしたまえ」


「はっ。ありがたきお言葉、恐れ入ります。しかし、そういうわけにも参りません」


「なんで?」


「陛下がそのような表情を浮かべて私を呼び出す時は、決まってとんでもないことを言い出すに決まっているからです」


 ですからリラックスなど出来ませんな、と部下であるにも関わらずジロリと部屋の主を睨みつけるダビドに対して、陛下と呼ばれた男は「たはー、まいったねこりゃ」と自らの額をぺしりと平手打ちした。

 

「いやいや、今回は本当にいい話なんだ。きっとダビも気に入ると思う」


 と言いながら、男は机の抽斗から一枚の小さく折り畳まれた紙切れをダビドに手渡す。

 ダビドは訝しみながらそれを広げて目を通すと、かすかに眉をあげた。

 紙切れはおそらく伝書鳩によって運ばれたものなのだろう。

 もし第三者に捕獲されて目を通されても意味が分からないように、エステバル特有の暗号で記されていた。


 問題はその内容だ。


「はっはっは、ダビの気持ち、私もよく分かるよ。私もそれを見た時は驚いたからね。連中、まだあの約束を覚えていたのか、って」


「…………」


「いや、ここ数年なんか、てっきり奴等は私たちのことを何かあった時に武器や食料を援助してくれる、自分たちのパパやママなんかと勘違いしているんじゃないかと疑っていたからね。約束なんかてっきり忘れたもんだと思っていたよ」


 男はくっくっくと笑いながら、王冠に施された鷹のレリーフを指でなぞる。


「だからこれは実に喜ばしい話だ。君もそう思うだろう、ダビ?」


「陛下、まさかこの話を?」


「勿論さ。彼らが今更ながら約束の為に動くというのであれば、我らも応じてやらねばなるまい。もっともどこまで本気なのか、成功する可能性があるのかどうかを見極まる必要があるがね。そこでだ、ダビ」


 ダビドを見上げる男の瞳が妖しげに光った。

 それだけでダビドには男が何を言いたいのかが分かった。


「かしこまりました、陛下。この件、私自らが出向いて確かめましょう」


「ふふふ、ほらね、ダビ。僕が言った通り、君も気に入っただろう。なんせこれが本当に勝負するに値するのならば、私たちは今再び素敵なパーティを開くことができるのだから」


 男に言われて、ダビドは静かに頷いた。

 確かに近年の社交ダンスには飽き飽きしていたところだ。

 もしこれが本当ならば、王国にとって、そして自分にとっても過去最大規模のパーティになる可能性がある。

 考えるだけで、ダビドの体内を流れる血が俄かに騒ぎ始めた。


 もっともこの時、ダビドも、そしてエステバル王国国王グスタホもまた想像だにしなかった。


 エステバルとベアダ、この世界を二分する大国の運命を、まさか奴隷の青年と少女が握ることになろうとは誰一人夢にも思わなかった。

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