第5話 ネコの人生

 先の襲撃から戻る際、少女もまた他の戦利品と一緒に持ち帰られたのを青年は勿論知っていた。


 団員たちが言うには「こんな少女でも街で奴隷として売れば多少の金にはなるだろう」とのことだったが、長い付き合いの中で青年には彼らが何を考えているのか分かってしまった。


 多分、団員たちはまた青年に少女をあてがい、困り果てる自分を見てゲラゲラ笑うつもりなのだろう。


 それは想像するだけで青年の心をざわめかせた。

 だからこそ、どうしてあの時少女の体に覆いかぶさることが出来なかったのか、理由を青年は知りたかったのだ。


 そんな頭を悩ませる当事者である少女と、ばったり川辺で出くわしてしまった。

 青年の頭の中にまた新たな「どうして?」が湧きあがる。


「…………」


「んー、まただんまりさん?」


 問い掛けられても青年が返事をしないでいると、少女はちょっと怒ったように口をすぼめると、水の中から立ち上がった。

 未成熟ながらも奇麗なカーブを描く一糸纏わぬ身体に、水気を帯びた長い金髪が張り付いた姿は、まるで金色の龍が寄り添って立ち昇ったかのようだ。


「もー、イヌってば話す事ができないのー?」


 少女が川面から岸へと上がって、青年の元へと歩み寄る。


「…………」


「ねぇってばー」


 そして青年が我に帰った時には、少女は目の前に立っていた。


「……ど、どうして?」


 そんな少女にようやく青年は口を開く。

 いつものように無表情を装って。

 最初に思ったことを。


「ど、どうして、ここに?」


「おー、イヌがしゃべったー!」


 少女が諸手を挙げて喜ぶ。

 まだ膨らみきってない乳房の上で、水滴が震えた。


「あのねー、ネコ、みんなに言われたの」


「い、言われた? 何を?」


「イヌをね、男にしてやれって」


 思わぬ返事に、青年は目を見開いて絶句した。


「変だよねぇ、イヌは男の子なのに。ちゃんとおちんちん、付いてたもんねぇ。あははははははは」


 屈託のない少女の笑いが川辺に響き渡る。


「でも、変だなぁとは思うんだけど、みんながね、ネコが奇麗になったらイヌは男になれるって言うからー、あー、だったら水浴びして身体を奇麗にしておこうかなぁって思ったの」


 そして少女は「どうかなぁ、ネコ、奇麗になったかなぁ。変なにおいとかしないよねー?」と自ら両脇に鼻をくんくんさせながら、青年に三度みたび問いかける。


「……な、ない」


 今度は青年もすぐに答えた。


「んー、なにー? 小さくて聞こえなかったよー」


「そ、そうじゃない、と言った」


 ただし、少女の問い掛けへの返答ではなかった。


「こ、ここへ来た理由を訊いたんじゃない。ど、どうやってここに来たんだ? も、森の中は暗くてすぐ迷う。よ、夜になればなおさらだ。そ、それにお前はこの川を知らないはず。な、なのに、どうして……」


 青年がぼそっぼそっと、どもりながらも言葉を紡ぐ。

 相当に聞き取り辛く、相手をイライラさせるような声色だった。

 が、


「おおー!」


 にもかかわらず、少女はとても喜んだ。


「イヌがいっぱいしゃべった! うー、これはネコも負けてられない!」


 そして青年の言葉なんて無視して、ネコはねー、ネコはねーと嬉しそうに自分のことを話し始めるのだった。



 少女もまた自分の本当の名前を覚えていなかった。

 ただし、青年のように奴隷というわけでもない。

 少女は孤児みなしごだった。

 なんでも物心ついた頃には、周りにお父さんやお母さんと呼べる人たちもいなくて、ひとりぼっちだったと言う。


 それでも幼い少女がこれまで生きてこれたのは、そのような境遇にもめげることのない天真爛漫な性格と、多くの優しい人たちに恵まれてきたからだ。


 貧しくはあるが盗みはせず、頭は足りないが子守りや収穫の手伝い、店番、掃除、洗濯などなど、なんでも頼まれた仕事を明るく楽しそうにこなす少女は誰からも愛される存在だった。


 そしてその日の食事や、寝床を提供してもらう代わりに、いろんなところでいろんな仕事をする少女のことを、人々は「まるで複数の飼い主を渡り歩く猫みたいだ」という意味合いで「ネコ」と呼ぶようになった。


 少女の話ではこれまで幾つもの町や村を渡り歩いたそうで、中には別の盗賊団の襲撃に遭って滅んでしまった村もあったらしい。

 それでもこれまではなんとか逃げおおせたものの、今回は村人がからかい半分で飲ませてくれた火酒で酔っ払ってしまい、襲撃に気付かずあえなく捕まってしまったのだそうだ。

 

「まぁでも奴隷になったら、毎日決まったところで眠れるし、ご飯の心配もしなくていいんだよね? だったらネコ、捕まってラッキーだったかもー」


 少女が屈託のない笑顔で、奴隷である青年に笑いかける。

 奴隷になれてラッキーだなんて青年には信じられない。

 ただ、少女は明るく語ったが、これまで彼女が歩んできた人生は決まった寝床もなく、ましてや今日食べることが出来るかどうかも分からない、過酷なものであったことはぼんやりと理解出来た。

 

 それでも捕まった時点で、下手したら殺されていたかもしれないのだ。

 そういう可能性が少女の頭の中からすっぽり抜け落ちているのを感じて、青年はやはりこの子は変わった子だなと感じた。


「ねぇ、イヌ。ネコ、ちゃんと奴隷になれるかなぁ?」


「…………」


「ネコ、なんでも出来るよっ。小さな子の子守りとかすっごく得意。それにお芋の収穫でしょ、宿屋のこーんなに沢山のシーツをごしごし洗ってパンパンって干すでしょ、計算も教えてもらったからお店番もへっちゃら!」


「…………」


「あ、料理は出来ないや。前に挑戦したら、真っ黒焦げになっちゃって怒られちゃった。難しいよねぇ、アレ。でもでも、ネコは猫みたいに、暗いところでもよーくモノが見えるから、ほら、川の中のお魚だって!」


 少女は青年が先ほどから一言も発していないにもかかわらず「しっ」と人差し指を唇に押し当てると、真剣な表情で川面を睨みつけた。

 と、不意に「やっ」と声を発し、素早く右手を川の中へ。


 戻した手には、ぴちぴちと尾を跳ね上げる魚が握られていた。


「ねー、スゴイでしょー? 料理は出来なくても、材料は捕まえることが出来るんだー」


 自慢げに笑う少女。

 しかし、青年は驚きを禁じえなかった。

 慌てて青年も川面を凝視する。

 月光が反射して見辛い上に、光量が圧倒的に足りなくて、水の中を泳ぐ魚の姿なんてまるで見えなかった。


「…………」


 青年は川面から視線を外し、今度は自分以上に夜目が利く少女をまじまじと見つめる。


 少女は「でも、ネコはー、猫さんと違ってお魚はあんまり好きじゃないんだー。だから、ぽいっ」と握りこんでいた魚を川へと戻したところで青年の視線に気付き、

「あ、ごめんー。もしかしてイヌはお魚大好きだったー!? だったらもう一度捕まえてあげるよ。じゃんじゃん捕まえてあげるよ!」

 と、先ほど以上に鋭く、それでいて無邪気な視線を下にむけるのだった。

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