第4話 答えの出ない問い掛け

 ――眠れない。

 ひどく疲れているはずなのに、青年の頭は決して意識を手離そうとしてくれなかった。


 強襲した村を夜明け前に発った盗賊団は、強奪品とともに仮の根城としている森の奥深くへと戻った。

 村の襲撃はおそらくもうとっくに世間へ知れ渡っていることだろう。

 が、それでもベアダ帝国の兵士が追ってくることは考えにくかった。

 十数年前にベアダ帝国が突如この地・アガルトに侵略し、支配するようになって以降、治安は乱れに乱れている。大きな街が襲われたのならばともかく、今更小さな集落のひとつやふたつ焼き払われたところで、彼らにとっては躍起になって退治する価値などないのだろう。


 だから盗賊団の者たちは根城につくと、皆安心してすぐ眠りについた。

 しかし、青年には奪ってきた食料品を貯蔵庫へ運び込んだり、皆が使った血や脂がべっとりとつく武器を整備する仕事が残されていた。

 さらにそれらが終わる頃には、今度は起きてきた主人たちの為に飯を作らなくてはならない。

 休む暇もなくひたすら働きつめ、ようやく解放された頃には、また深い深い夜の帳の中だった。


 疲れきった体を大木の根元に横たえ、眼を閉じる。

 普段ならそれですぐに眠りに落ちるはずだった。

 なのに今日はいつまで経っても眠りはやってこない。

 頭の中にあの少女の姿がいつまでも張り付き、

(どうして……?)

 と答えの出ない問いかけを繰り返していたからだった。



 寝床に入った頃には真上にあった月が、すっかり西に傾いた頃。

 青年はやにわに体をぐいと起き上がらせた。

 そして汲んでおいた樽の中の水がすっかり減ってしまっているのを確認すると、転がっていた水桶をふたつ左右の手に持って森のさらに奥へと歩き出した。

 やや離れたところに、奇麗な水を汲める川がある。

 眠れないのなら早めに明日の仕事を終わらせておこうと考えたのと同時に、水浴びでもして少し気分転換をしようと青年は思った。


「あれ、こんな時間にどうしたんだい、イヌ?」


 と、そこへ青年に声をかける者がいた。

 彼の存在に青年は気付いていた。

 しかし、口下手な青年は人と話すのが苦手であり、相手がまた深夜にも関わらず黙々と仕事をしている最中だったので、話しかけて邪魔をしては悪いと思ったのだ。


「水を汲みにいくのかい? だったら飲みかけだけど、僕のをわけてあげるよ」


 そう言って青年を呼び止めた男は笑顔で、水が入った筒を差し出してきた。


「ち、違う……眠れないから……み、水汲みの作業を今のうちに……」


「眠れないって、イヌはもう丸二日も働きづめだったじゃないか」


「う、うん……で、でも眠れないんだ、マクス」


 青年は男の名を呼んだ。

 青年は奴隷である。故に団員たちを呼び捨てになんか出来ない。もし間違って呼び捨てになんかした日にはこっぴどいお仕置きが待っている。

 だが、マクスは違う。

 青年と年齢もそう変わらない彼は普段こそ他の団員たちの目を意識して禁じているものの、ふたりきりの時はむしろ呼び捨てのほうが気楽でいいと青年に伝えていた。


 そもそも気性が激しく、野蛮な連中が多い盗賊団の中において、穏やかで誰にでも優しいマクスは例外的な存在だ。

 体つきも線が細く、非力なため、襲撃には参加しない。代わりに襲撃で手に入れた戦利品を足がつかないよう闇の市場で売り捌いて金にするのがマクスの仕事だった。


「ふーん。襲撃の興奮がまだ残ってるのかな。そうだ、ならこれを飲むといいよ」


「え?」


「この前、帝都に行った時に仕入れてきたんだ。興奮した心を鎮めて、穏やかにしてくれる薬さ」


 そう言って手渡された薬とマクスを、青年は不思議そうな顔をしながら交互に見つめた。

 手の中にある薬は紙に包まれ、学のない青年でも値の張る貴重品だと分かる。

 そんなものを奴隷である自分にポンとくれるなんて、マクスの考えていることが青年には俄かに理解出来なかった。


「いいんだよ、イヌ。だってイヌは僕ら『アガルトの夜明け』の大切な戦力なんだから」


 どうしたものかとオドオドしている青年を見かねたのだろう。マクスはもう一度にこやかな表情を浮かべると、青年の不安を払拭するように言った。


「た、大切な戦力……?」


「そうさ。イヌが危険な仕事をしてくれているから、みんなはいつだって怪我ひとつなく襲撃出来るんだ。だからこの薬を飲んだところで誰にも怒られないから安心して」


 それにもし誰かが何か言ってきたら、その時は僕が庇ってあげるよとまでマクスは言う。

 団員と喧嘩で勝てるような腕力はないが、マクスは経済的に盗賊団を裏から支えるという、代わりがいない大切な仕事を任されている。加えて団員たちを束ねる頭領の一人息子であり、一応副団長という立場にもあった。


 そんなマクスがそこまで言ってくれるとあって青年はおずおずと紙を開くと、中から出てきた小さな黒い玉を口に入れた。


「に、苦い……」


「あはは。良薬口に苦しと言うからね。苦い薬ほど効き目は高いんだ」


 顔を顰める青年にマクスは水筒を手渡す。青年はこれも一瞬躊躇したが、口の中いっぱいに広がる苦味に耐え切れず、ゴクゴクと飲み始めた。


「うん。これであとは水浴びでもしてスッキリすれば気持ちよく眠れるはずだよ」


「あ、ありがとう……」


 青年のお礼にマクスはにっこり微笑んで「どういたしまして」と応えると、再び仕事へと戻った。

 今回の襲撃で得た戦果品を見定め、高く売れそうなものは町へと運んで換金しなければならない。商品の良し悪しが分かるのはマクスだけなので、今回のような小さな村の襲撃でも鑑定には数日を要するのだ。


 仕事を再開したマクスの邪魔にならないよう、青年はお礼もそこそこにその場を離れた。

 そのまま寝所に戻ることも出来たが、マクスが水浴びを薦めていたので、当初の予定通り近くの川へ行くことにした。

 さっき手渡された水筒の水もかなり飲んでしまったし、ついでに水を汲んでくればマクスへのちょっとした御礼にもなる。

 

 青年は森のさらに奥深くへと足を進めた。

 開けた場所にある根城とは違い、草木が深く生い茂った森は昼間ですら薄暗い。ましてや夜ともなれば完全な闇に包まれ、松明なしでは通常の人間なら歩くことすら困難だろう。


 しかし、青年は犬のように夜目が利いた。

 水場への道のりを確実な足取りで辿っていく。襲撃の時のように、人の気配に意識を集中する必要はなかった。獣も、この辺りには人間を襲うような凶暴なヤツはいない。知らずと緊張感は緩んでいた。


 だから、だろうか。頭の中にあの疑問が再び首をもたげてくる。


(どうして……出来なかった?)


 昨夜、奴隷である自分の目の前に、好きにしていいぞと差し出された少女。

 みすぼらしく、年端もいかないような少女だったが、それでも女には違いない。問題はなかった。

 経験はないが、やり方は知っている。

 興味だって、正直なところ、ある。

 あんな状態でも興奮はしていた、はずだ。


 それなのに青年はどうしても少女を奪うことが出来なかった。


 そんな青年の様子に、取り巻く連中たちは大いに笑った。

 学がなく、どもり癖のある青年は何かにつけて団員たちから馬鹿にされるのが常だった。

 だから笑われることには慣れている。

 なのに、何故かこの時は無性に心が揺れた。

 皆の侮辱が、どうしてかひどく悔しかった。


 それでもなお、青年の心は少女の身体に溺れるのを何故か拒んだ。


(……こんなこと、初めてだ……)


 いまや他人の命を刈り取ることすら躊躇わない自分が、どうして少女を蹂躙出来なかったのか?


(やっぱりあの名前が……)


 少女の名前を聞いた時、もう長く忘れていた古い仲間のことを思い出した。

 思わず感傷的になったのは確かだ。


(いや、でも……)


 だからといって手を出せなかった理由にはならない。


 頭の中で考えがぐるぐると堂々巡りをしていると、不意に目の前の景色が開けた。

 目的地の川へと出たのだ。

 そして、そこに。


「あれー、イヌも来たのー?」


 どうしてか件の少女が水浴びをしていた。

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