死後物語 BLUE その7(終)

  7


 ソファに座った佳澄は、アナトミアの肩にもたれかかりながら、ゆっくりと熱い茶を飲んだ。


 ヴァルハラの火の鳥探偵社に戻ってきた佳澄がまずしたことは、涙を流すことだった。それをアナトミアが慰め、いまは落ち着き、はあとため息をつく。


「なんだか、悲しい夢を見たような気がする……ママは、あたしがいたからもう死のうとしなかったんだね。きっと離婚しなかったのもそれが理由なんだろうな……あたし、ママの重荷だったのかな」

「それはちがう」永一郎は言った。「重荷なんじゃなくて、宝物だったんだよ」

「宝物、か――」


 永一郎には、眞未の気持ちがわかるような気がした。死ねない、という気持ちが。それは枷であると同時に、希望でもあったんだろう。


 ――ひとが死ぬときは、生きる理由をなくしたときか、死ぬ理由ができたとき。


 眞未には生きる理由があった。できたのだ。たったひとりの娘。父親がどちらなのか、眞未にはわかっていたのか、それとも眞未自身にもわからなかったのかは知る由もないが、しかし眞未の娘であることだけはなによりも確かだった。


 眞未の生きる理由は佳澄だった。娘がいるということは、眞未にとって生き抜いていくのに充分な理由だった。


「でも結局、だれがお父さんなのかはよくわかんなかったな」

「まあ、母親がだれなのかはわかるけど、父親がだれなのかは、だれでも遺伝子検査でもしないかぎり、はっきりとはわからないものだ」

「でもさ、これってある意味ラッキーじゃない?」佳澄はにやりと笑った。「あたし、いまお父さんを選べるんだもんね。どっちを父親にするかって」


 佳澄はソファから立ち上がり、対面に座っている永一郎のとなりにぽんと座った。そして永一郎を見上げつつ、言う。


「よろしくね、パパ!」

「う――ぱ、パパかあ」

「お父さん、のほうがいい? ダディとか」

「ダディはヤだなあ……っていうか、おれが父親でいいのか? 自分で言うのもなんだけど、おれ、甲斐性ないぜ。あとひとの父親になれる人間だとは思わないし……」

「大丈夫、あたしもうそこそこ大人だもん。迷惑はあんまりかけないと思うよ」

「あんまり、ねえ……」


 永一郎は改めて佳澄を見る。


 制服を着た、十六、七歳の少女。


 意識的には二十八歳である永一郎は、自分と十歳ほどしか違わないこの少女を娘とは思えなかったが、しかし眞未の娘だとは感じられた。瓜二つの顔も、表情も、母親の血を強く受け継いでいる。だから、これは自分の娘ではなく、愛した相手の娘なのだと思う。無理に自分の娘だと思い込もうとするより、そのほうが自然と顔を合わせられる気がした。


「いや、そもそも、父親がだれなのかわかったら心置きなく成仏できるもんじゃないのか?」

「えー、なによ、あたしがいたら迷惑だからさっさと成仏しろって言いたいわけ?」

「そ、そういうことじゃなくてだな……」

「だってせっかくお父さんと会えたのに、このままお別れじゃ寂しいじゃん。ちょっとは父親らしいことしてくれないと。そしたら満足して成仏できるかも」

「う、ううむ……」

「さっそく尻に敷かれておるでござるなあ」ヴェルディヴェールはにやにや。「しかしそういうことなら、佳澄もここで働いてはどうでござる? 火の鳥探偵社はいつでも人材棒集中でござるがゆえに」

「わ、探偵になれるの? やってみたい!」

「あのな佳澄、探偵ってのはそう簡単になれるもんじゃ」

「お父さんは口出ししないで。これ、あたしの問題」

「ううむ……」

「探偵になるなる! よろしくね、ええっと、べる……」

「ヴェルディヴェールでござる」

「ヴェルデ……ベルちゃんで! アナトミアさんもよろしく」

「あらあら、まあまあ、賑やかになりそうねえ」

「あのー、置いてけぼり感がすごいんですが……」


 永一郎はため息をついた。まあ、世間の父親もこんなもんなのかもしれない。娘の相手になろうとしては鬱陶しがられる父親、というやつ。死んでなお世知辛い世の中だ。


 まあしかし、ともかく、まだしばらくはこのヴァルハラで生活していくことになりそうだった。娘が現れたのは思いがけないことだったが。いまなら眞未の気持ちをそのまま理解できる。娘を置いて消えるわけにはいかない、だ。


 娘。佳澄は本当に自分の娘だろうか。もしそうでなくてもかまうものか、と思う。佳澄が自分を父親として頼ってくれるなら、自分はそれに応えるだけだ。血のつながりなんて関係ない。それにすくなくとも愛したひとの娘ではある。


 永一郎は女子三人の騒がしい話し声を聞きながら、またちいさくため息をつくのだった。



  /了

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死後物語 BLUE 辺名緋兎 @cronos123

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